稲妻でできたヘビ
バチッ。
轟いた電撃に、ツナは目を丸くした。恐怖に丸まった瞳からは危うく涙が零れそうである。いやいやと首を振るのを押しのけて、骸が首を伸ばした。
「どうしますか。二つのうち、一つですよ」
しなやかな手つきでスタンガンを見せつける。
鉄面に押し付けた彼の爪先は白く変色していた。鳥肌がたった。この異常な性癖をした少年は本気なのだ。
興奮した口調で、骸がさらに一歩をつめた。
鼻先が触れ合うほどの近距離だ。
互いの呼吸が聞こえる。眼を細めたのは、左右で色の違う瞳で、六道骸の瞳だ。哀れな生け贄の目尻からポロリと白い塊が流れていった。
「オレ……、は、死にたくない」
「スタンガンでは死者はでませんよ」
「……。い、痛いのがイヤだ」
即座に表現を変えるくらいの器用さは身についた。
真夏の大気を受けて汗に汚れた襟首が、ビショビショといっていいほどに汗に濡れている。壁際に追いつめられてから、まだ五分と経っていないはずだ。時間感覚がおかしくなりそうだった。
彼は、今度は笑わずに推し量るような眼差しを注いだ。
首筋に突きつけたままのスタンガンはそのままだった。窺うように、鼻先をヒクヒクとさせて少年の口元を嗅いだ。
「ウソをいってもわかりますからね。無駄ですよ」
「ついてな、い。ほんとにディーノさんとは何もなかったから。一緒にご飯誘われて、送ってもらっただけだから」
「どこで夕食を?」
言いよどんでいた。
素直に白状して、骸が納得するとも思えなかった。授業の開始を告げるチャイムは鳴りひびいた。体育館と校舎のあいだにある、ごくごくわずかなスキマに押し込められて十分が経過したということだ。
「……並盛第二ホテルの屋上」
ぼそり。囁いたのは、他でもない骸自身だ。
顔色を失うツナを無表情なまなこでもって見下ろし、骸はスタンガンをことさら強く首へと押し付けた。ツナの目に見えるように、親指でグイとスイッチに重責をかける。
「ち、ちがっ! そうだけど違うからな!」
「何が。あの跳ね馬とはもうプライベートで会わないと僕と約束したでしょう。破ったんですよ君は」
「デ、ディーノさんは久しぶりに日本にきてくれて……!」
「言い訳をするつもりで? そんな選択肢は与えてないはずですが」
「ひっ?!」
バリと鼓膜を突き刺す音色。
わずかに肌から離して、スタンガンのスイッチが完璧に押し上げられたのだ。目の前で爆ぜる青い閃光に、ツナは戦々として首を振った。
「今度こそリボーンに言いつけるからな?! む、骸が酷いことするって。守護者のクセに、ぜんぜん言うことをきかな――」
「へえ。僕にそんなクチきくんですか? 君が? 沢田綱吉が?」
「ぐ!」
スタンガンの尾で容赦なく額を一撃された。
ツナの後頭部が、さらに反動でコンクリートに打ち付けられる。目前で火花が飛び散ったかのようだ、言葉を失った少年の襟首を掴み、骸は下向きに強引に力を加えた。
ヒステリックな音をたててボタンが飛び散った。露わになったティシャツの襟に指をかけ、呆気なく破り開くと、胸の真ん中にスタンガンを押し付ける。
「一つは、今すぐにボンゴレファミリーの解体を宣言すること。もう一つは、君が自分から僕との契約に進み出ること。どちらで?」
電極が疾駆するのは心臓の真上だ。
分厚い導線を見下ろして青褪め、ツナは首を振った。もはや何度目かわからない。恐怖で零れ出た涙は、氷の冷たさを併せ持っていた。嘆きの悲鳴だった。
「どうして、お前、霧のリングなんか受け取ったんだ。恨んでるままなら、とるなよ、そんな……もの」
「君は面白い。興味を持った」
骸はニコリと表面的な笑みをみせた。
取り繕う目的が明らかで、本人すらも隠そうとしないので胡散臭さが匂うほどに漂っている。
「ボンゴレを守るのはこのわたし。ボンゴレを殺すのもわたしだ。僕以外の適任者もいないでしょう? 時期がくるまでは守護者でありつづけますよ」
「っで、だからって。やりす、ぎ……。ディーノさんはボンゴレじゃないけど外部っていうほど遠くは」
「甘い。僕はそんな甘ったるい考え方は持ちあわせてないんですよ」
「ディーノさんはリボーンの前のお弟子さんで……! 危ない人じゃないっ!」
「万人がそう思うような男ならばマフィアなどやってられないはずですけどね」
侮蔑を込めて、骸が首をわずかに傾がせた。
「僕の任務は君の護衛で、外部の侵入者から君を守ること。今まで僕は耐えたんですよ? 今週中に何回やりました?」
聞きたくないというように、綱吉が身を捩る。反射的な行動は子供じみたものだ。彼の年齢を思えば、当然のことであるが、両耳を塞ぐ直前に聞こえたものに硬直した。骸は、ただ自分で発した問いかけに自分で答えてみせただけだ。
「七回目。まだ木曜日なのに」
氷点下の温度を秘めた声色だった。
「だ……。だって」ギクリとしながらも反論していた。骸が放つ殺気じみた冷気に肝が竦んでいたが、彼の行き過ぎた行為を咎める機会を失うわけにはいかない。
「ファミリー以外のやつと一緒になるのは仕方ないじゃんっ。そ、それに前も怒ってたけど、あの女の子はハルっていって友達で――」
「友達が抱きついたりするんですか?」
「ハ、ハルはちょっと好意の表現が行き過ぎてるだけだよっ」
「好意……?」
反対側へと首を倒して、骸はゆっくりと剣呑な呟きをした。
鬼気迫った気配に、ツナは続けるはずだった二の句を丸呑みしていた。
「君の恋路なんか知ったことじゃないですけどね。でも、僕の手を煩わせるのは許さない。選ばないなら、今回もお仕置きしますけど? どうするんですか」
屈みこみ、オッドアイがツナと目線をあわす。
どろりとした白濁があった。
「お……、まえ、今、何をやってンの……」
「一日中、君の監視ですよ。退屈極まりないですね」
予感めいた危惧だった。ツナの胸を一瞬で掬った黒々したものは、絶望と言う名を与えるのが相応しい。震えはじめた胸にスタンガンを押し付けたまま、骸は口角を吊り上げた。肌色にクッキリした導線の痕が刻まれていた。
「でも沢田くん。いや綱吉くん。僕はね、君に優しくするつもりなんてこれっぽっちもないんですよ」
くすくすとしながら、少年は楽しげに自らとツナとの鼻のあいだにスタンガンを持ち上げてみせた。電光色のヘビが、バチバチっと吼えて導線を駆け巡る。
「僕の遊び道具の一つですけど。ボルトをね、五万から九十万まで好きに上げられるんです。今日は君のために持ってきました」
ツナが上目で骸を見れば、彼はいまだ腰を曲げたまま顔面を覗き込んでいた。バリバリとした音。
「……さあ、どう選ぶんですか?」
「無茶だよ……?! 今更、オレがどうこういったってボンゴレから抜けられないしお前と契約するなんての、も――……」
言葉が消えていく。ツナが語るごとに、骸は嬉しげに目を細めていった。スタンガンがするりと指と指のあいだを滑る。
濁った眼は真摯な色をみせていた。
「静電気レベルから試してみましょうか」
「アッ、アアァアァッ!!」
かたちの無い電気のヘビが、無数に束になってツナの全身を貫いていた。
反射的に自らの体を掻き抱いていた。そんなことをしても電圧を押し留められるわけではない、わかっていても力を込めざるを得なかった。首に無造作に押し付けられた導線から、骸そのものが浸入してくるようで、痛みの中に猛然とした吐き気があった。
再びチャイムが鳴る。失神したツナを抱え込んだまま骸は体育館の壁にもたれた。
色の違う瞳は空を映す。
それから、少年に、唇を重ねただけの幼いキスを与えた。
たどたどしくもある一連の所作は、彼の本性に似合わないものだ。その真意を測ろうとする唯一の少年は、しかし、襟首を焦がしたままグッタリと眠っていたのだった。
おわり
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06.07.3