朝の吸血









「ところで、僕、エスなんですよ」
「はぁッッッ?!」
 最大限に相手を怯ませるべく、素っ頓狂に叫ぶ綱吉だが胸を抑える力は緩まらなかった。
 寝転がる少年の、パジャマの上に手のひらを押し付けながら、骸はニコニコとした笑みを絶やさぬままで告げた。鼻を通った悦ばしげな声音だった。
「S。サドとも読む人がいますね」
「……それを今言われても俺は何て言ったらいいのか、わかんないよ」
 引き攣る綱吉だが、笑みを取り繕ったのは、それだけ必死だからである。とにかく、彼はベッドの上から抜け出す必要があった。
 骸は笑みを穏やかにして、頷いた。
「君に理解は求めていません。受けてくれればいい」
(何をだ――――ッッ!!)胸中で絶叫しつつ、綱吉が歯を食い縛る。
 肘をたてて上半身を起こそうとした。クスリと笑う声が頭上でゆらめく。
 朝焼けがカーテンを焦がして、青と白みをまぜた空気が部屋中を包み込んでいた。骸の青髪が、いつもよりも澄んできれいなコバルトブルーを発色していた。綱吉が青褪めているのは、決して、それらの青に心を染められたからではない。
 よくできたつくりの顔は、ニヤ笑いを貼り付けて綱吉の唇へと近づいた。
 ぎゃ、と、かすかな悲鳴と共に手のひらが骸の顔面を抑えた。
「静かにしないと、起きてしまいますよ」
 呆れたふうを装っているが、声音の底には確かな愉悦。
「おまえ、時間と場所を考えろよ! アホか!」
「考えた結果が今なのですけど。時刻は早朝。人々は寝静まり、ボンゴレもベッドの中。アルコバーレもいない」
「へえっ?」慌てて首をあげた。
 枕からずり落ちて、首を仰け反らせる格好になったが、無人のハンモックには目を見開かせた。ウソだろと綱吉がうめくので、骸は嬉しげに微笑んだ。
「今日は一日、毒さそりとのデートなんですよ」
「そうなんだっ? そ、そういえば、このところビアンキみてないけど……」
「麗しいハナシじゃありませんか。デートの準備にいそしむなんて」
「いや、ていうか、何でお前が知って――、エエッ」エに濁音がついたような悲鳴が続く。
 喉元に歯を立てられていた。綱吉が全身を硬直させたのが伝わって、彼はさらに嬉しげに、歯のあいだに咥えた喉へと舌を這わせた。
「や……、めろ! この変態ッ。六道ッ」
「どーいうわるふひですか」苦笑する骸だが、咥えたままだ。
 そのためにくぐもった声を聞きながら、綱吉は体をよじらせた。
 喉仏のおうとつを往復されて気持ちが悪かった。ザラりとしたものが這うたびに震えるのを、骸がクスと鼻で笑った。笑って、舌を長く差し出した。
「う……っ、ぐ」
 喉仏を、浅く摘むように噛まれて綱吉が唇を引き結ぶ。
 骸の手のひらが布団のしたへ進入していた。ベッドの縁には彼の膝が立ち、綱吉は完全に主導権を握られてしまっていた。
「君は、寝てるだけでいいんですよ……」薄い笑いを浮かべながら、舌が喉をくだる。
 引き結ばれた綱吉の唇は、青褪めていたが、端っこで俄かに痙攣を始めていた。
 不規則な震えは、彼の意思ではなく生理的な反応であることを物語る。痙攣をしたのは唇だけでなく、喉も同じで、骸がそのためにくつくつと肩を揺らしているのを見つけて、少年の目尻が赤らんだ。
「おま……、その性格……じゃなくて、性癖っていうんですか。それは、問題……かと」
 どうして? とでも言いたげな眼差しを感じて、綱吉が顎を引く。
「変態のくせにサドだなんて手に負えない……」
「おや。君がそんなことを言うなんて」
「えっ」気がつけば、喉を辿る舌が消えていた。
 骸は顔をあげていた。眉を僅かにシワ寄せている。
 唇が自らの唾液にぬれて、艶やかに光っていた。青い空気の中ではそれすらも青褪めて見えたが、口角を彩っているのは傲慢なほどに勝者の貫禄を備えた軽笑だ。うっすらと低く、骸はうめいた。
「それじゃ、僕の面倒を見る前提があるように聞こえますけど……」
 数秒。間を挟んで、綱吉はブンブンと勢いよく首を振った。
 ハァと素早く骸がため息をつく。あまりに素早いので、綱吉には気付かれなかった。
「ばっ。バカじゃないかっ? ――いたっ!」
 歯が、喉と肩を繋ぐ骨のひとつに噛み付いていた。
 浮き立った細長い、皮膚だけを貼りつかせた骨をギリと噛みしめたまま骸が目で微笑み返す。
「っづ……、だ、き、切れるっ」そうっと見せ付けるように骸が口を離す。
 歯を見せて笑ってきたのは、先にこびりついた血を見せびらかすためだ。
「バカ! ほ、ほんとに噛みきることないじゃないですかっ?!」
 いくらか手荒い扱いを受けてる綱吉ではあるが、朝っぱらから、しかも首に出血するほどの噛み傷を作られるとは考えていなかった。骸は、あっけらかんと言い放つ。
「Sだって言ったじゃないですか。不可抗力ですよ」
「どういう理論だそれは――――!」
 ほとんど涙声で叫ぶが、骸は気にした様子もない。
 それどころか、してやったりという顔をする。綱吉が二の句で文句を続けるまえに、湿った唇が、チリチリと痛む首筋に吸い付いた。丁寧に血を舐めとる――といえば聞こえはいい。綱吉には、傷口を舌で穿り返しているようにしか思えなかった。
「もっ……、いい加減に……。帰れよっ」
 喘ぎ喘ぎにうめく。骸が、肩口を浅噛みしながら言い返した。
「今日は最後までいきますよ。もう決めちゃいました」
「は、ハァ〜〜ッッ?!」伸びた指先が、枕からずり落ちたままの綱吉の頭を拾う。
 重なり合った唇は濡れていた。それよりも鼻をついた異臭に綱吉が顔を顰めた。匂いの根を大量に絡み付けたままで舌先が唇をくすぐる……。震えて、顔を反らせようとした拍子に僅かに唇があいた。隙間から潜り込んだ舌は、すぐさま、咥内で縮こまっていた綱吉の舌先へ巻きついた。
「ングっ」締め上げられながら、綱吉が途方にくれた。
(血の味のキスって……。どういう展開だよ!)
 骸は、すっかり体も布団の内側にいれていた。
 ピッタリと密着する体温と舌先をくすぐる芳香。綱吉の気が遠のいた。









おわり

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06.03.24