ならずのヴェンディカーレ


 


「納得がいきません」
 骸の第一声に振り返るものはいない。
 すでに聞き飽きたからだ。しかしこの反応も馴れた。
 同じ言葉を五回くり返したのちに、少年はすらりとした指先で懐を辿った。冷えた石壁に木霊したのは金属の擦れ合う音で、千種と犬は広げていた本を閉じて制止をかけようとしたが、
 ぱあんっ! と、いう、濁音のが速かった。
 頭部からの出血をばら撒きながら横転するのを見守ったすえ、千種は骸の手から滑りこぼれたピストルを拾った。その両目は鉄格子の向こうを睨んだ。
「また処刑人がくる」
「あいあい、隠しとくぜー」
 床に敷き詰められた石をどかして、犬。
 彼らが地下牢に幽閉されて二週間が経った。首を締め付ける重りにもようやっと慣れてきて、異臭のする食物の味も受け入れることができるようになったのだ、が。ピストルを石の下へと隠蔽しながらも千種は深くため息をついた。骸が憑依弾によって脱走を図るのはコレで、


   ********


「十八回目ですね」
「手軽に死にすぎだアンタは――!!」
 頭を抱えながら、綱吉はテーブルに額をすりつけた。
 向かいの座る獄寺隼人は、タバコを咥えたままでつまらなさそうに教科書をめくっていた。正確には獄寺ではない。六道骸、だ。少年は、小馬鹿にした笑みを付けて綱吉を見下ろした。
「こんな問題もわかんないんですか? 知能では断然に僕の圧勝ですね」
「あーもー、なんなんだよ! いい加減にしろよっ。オレ、もう一日一回はアンタと会ってるんですけど……!」指折り数える綱吉だが、二週間は十四日であり骸が自殺した回数が十八回であるので、一日二回の大台に乗り上げるのが日常茶判事になりつつあるのは数える前からわかっていた。
 綱吉の絶望を察した獄寺――、骸は、ニヤリとして顔を近づけた。
 ふうっとタバコの紫煙を顔面に吹きかけ、焔のにじんだ尖端を灰皿に押し付ける。
「あっちも本はくれるんですけど、活字ってずっと追いかけてると飽きませんか? 気分転換しようにも牢の中って窓が遠いしジメジメしてるし二十四時間、千種と犬の顔みてないとなりませんからねー。どうせボンゴレには想像つかない世界でしょうけど」
「だからって獄寺君の体で遊びに来るな!」
 再びゴリゴリと綱吉が額をすりつける。
 彼にしてみれば、このところの不眠症は骸のせいだと断言できた。
 気まぐれなのかいい加減なのか、思い立ったら即日実行な性格をしているためか、骸は授業中だろうが深夜だろうが獄寺隼人に憑りついては訪れて、綱吉で遊ぼうとするのだ。綱吉で遊ぶ、その表記は間違っていない。前髪をツンと引かれて顔をあげれば、骸は楽しげにニヤつきながら教科書とシャープペンシルを取り上げていた。
「これ、日曜の勉強会ってところでしょう? どーせですから教えてあげますよ」
「…………」思い切り顰めツラを返して、綱吉は首をふった。
「いい。いらない。お前、いびる気満々だろ」
「わかりますか?」
「否定しろよ!」
「くははは」
 笑ってる場合じゃねーよ!
 と、胸中でツッコみつつも綱吉が立ち上がる――。
 がしりと腕を掴んで引き止めて、獄寺隼人は似合わない爽やかな笑顔で言い放った。
「私は君の右腕よりも頭脳で優れてる自信がありますよ。座りなさい」
「ほ、本気なのか」げっそりとうめく、綱吉。
「もちろん頭脳以外の面でも優れてます」
 笑顔だ。綱吉を見上げるのはやはり満面の笑顔である。
 けれども薄ら寒いものを感じて、静かに腰をおろした。
「会話を成り立たせる気が実はなかったりする……?」
 リボーンと山本が不在で、二人きりだ。獄寺隼人に乗り移る六道骸が、明確に危害を加えようとしてきたことはなかったが、死ぬ気の助力をえられないなかで雲行きを危うくするのは賢くはない。
 しぶしぶと綱吉が教科書をみやる。その心中をどこまで察しているのか。
 笑みを、いささか陰湿なものに変化させて、骸はシャープペンシルの先でもって文中の公式をトントンと叩いていた。
 テーブルの真ん中にあるプリントが宿題であることはとうに理解しているようで、それを解くための解の公式を指し示しているのだが。綱吉は呪う眼差しで骸の横顔を射る。綱吉は公式をどう応用すればいいのかがわからないのだ。
 そして、骸は彼が睨む理由がわかっているのだった。
 底意地の悪い笑みを返しながら、少年は教師面をして問いかけた。
「君はどーしようもないダメッ子ですねえ。中学生の数学って何世紀前のものかわかってますかー?」
「……オレ、高校は数学やらないとこに進学したい」
「現実逃避ですね。ちゃんと脳みそ動かしてくださぁい」
「憑依弾って時間制限とか、ないの?」
「僕が飽きるまで続きますねえ」
「…………」
 ガクリと肩を落とす綱吉。
 その肩を支えたのはやはり骸だった。
「しっかり。まだまだ序の口ですよ。ほーら、太陽があんなに高い」
 窓の外から降りそそぐ、さんさんとした光。それらを見据える綱吉はくらりとした目眩を感じた。まぶしかったからではない。骸が日没まで居座る気であるのを理解して、気絶しかけたのだった。
「お。おまえ、おとなしく囚人してろよ頼むから……!」
 聞こえないフリをして、骸はパラパラとノートをめくる。
 綱吉がハッとして叫んだ。
「おま! いつの間にオレのノート!」
「クフフフ。何ですか、コレ。らくがきしてありますね」
 能天気に笑いながらも、奪い返そうと手を伸ばす綱吉の額を押しのける。ゴリラ男がかかれた隣に走り書きがあった。骸は面白がるような輝きをのせて、目を細めた。「おや……」
「『キョウコちゃんは今日もカワイ」
「ぎゃああああ――!!」
 骸の高笑いも重なったが、綱吉は掻き消すほどの絶叫をあげながらノートを奪い返した。反省の色もなく朗らかに骸が言った。
「恋人か思い人か、はたまた愛人かってとこですか」
「なっ?! あ、愛人とか言うな――!!」
 全力での絶叫はもはや何度目か!
 取り合う気もなく、骸はうっすらした笑みで綱吉を見返した。
 その後も綱吉は複数回にわたって部屋からの脱出を図るが、ことごとくを阻まれて、骸もいまさら引くワケもなく、彼らは三十分もあとには真面目に勉強会をおこなっていた。
 何でこんなことに、と、骸がイヤミを言うたびに綱吉は胸中で悪態をついたが。
 プリントを達成しなければならないのは事実であるし、実際、骸の教え方は(本人がよけいな意図を挟まなければ)的を得ていてわかりやすかった。
 けれど最後で、プリントを終えた達成感で仰向けになったのがいけなかった。
 目を閉じたのもいけない。精魂が果てた綱吉は、骸の存在をすっぽ抜かして眠りについていた。
「……どんだけ無防備なんですかね……」
 遠くで聞こえる声に、綱吉が眉根を寄せる。
 座布団を抱きしめる綱吉に、フウとため息を残して、骸は頬杖をつきながらも獄寺隼人のプリントを埋めた。ただの暇潰しである。陽光はすでに低い位置にあった。
 そろそろ帰ろうかと、骸が思い至ったのは日が完全に落ちたころだった。
 少し悩んだあとで、少年の体をベッドに移した。彼の横顔はほんのりしたピンク色をしていて、胸の上下とあわせて睫毛が揺れた。
 ただの気まぐれだ。自らに聞かせ、骸は首をふった。
「やっぱり納得がいきませんよ」
 頬に触れ、前髪を掻き揚げる。
 さらりと指のあいだをすり抜けていくブラウンに目をすぼめた。
 問いかけに答える声はないと、自身でわかっていながら、語りかけていた。
「一体、ボンゴレの何が、僕に勝っていたというんですか」
「ありふれていて、それどころか常人以下でマフィアにも向かないタチだというのに」
「君の何が。僕はなぜ負けた」その疑問を口にだすのは初めてだった。
 納得がいかない、と、そうした表現で千種や犬に語ってはいたけれども。その内訳をバラすことはなかったのである。骸は浅く肩でため息をついた。少年は浅く唇を開けて寝息をたてるだけだった。
 今、首に手をまわせば殺せる。 けれども。骸は呟いて、指先をくすぐる髪の一筋を握りしめた。
「どうも、君のペースにはまっているようです」
 静かに認めて、両手をひらく。
 ほどけていくブラウンを視界のすみに置きながら、自らの首に触れた。
 元のからだに戻れば首輪が嵌められている。ボンゴレを恨んでいないといったらウソになる。敵意や殺意がないといったらウソになる。憑依弾で身近なものに乗り移り、ボンゴレに危害を加えてやるつもりで、彼は何度となく獄寺隼人に乗り移っているのだ。失敗はこれで十八回目だった。
 骸は胸中でかぶりを振った。いつの間にか――、沢田綱吉を許しているなど。
 それだけは、その考えだけは、自分に許しを与える気になれなかった。
「ばからしい。有りえてたまりますか。ばかだ。馬鹿。また来ますから」
 少年の瞳が虚空を見つめる。――ふらりと、瞬間だけ生気が失われた。
 引き替えになって舞い戻った光は、驚いたように自分の両手を見下ろし、綱吉を見下ろした。
「十代目?! あっ、あれっ?!」帳の落ちた窓辺をみやって、テーブルのプリントを見る。
 見慣れない整った文字での解答。しばしの沈黙の末、獄寺は事態を悟って絶叫した。
「またかよ?! あの分け目ヤロ――!!」

   ********

 むくりと起き上がった彼を、二人の少年が歓迎した。
「おかえりなさい」「骸さーん、なんか土産話ねえのっ?」
「ん……」ゆるい頭痛が残っていた。頭部を辿れば、血でパサパサに乾いた髪の毛で指が引っかかる。脳裏に蘇ったのは、サラリと流れた綱吉の髪の質感だった。
 目を細めて、告げた。人差し指を顔の横にたてた。
「ボンゴレはキョウコという女に惚れてます」
「あ、……そうなんれすか」
 目を丸くして、犬。
 しかし骸は深刻な面持ちで二度ほど頷いて、
「シャワーってまだ浴びれましたっけ?」と千種に尋ねた。
「さっき犬が入ったから水しかでないと思いますけど」
「別に構いませんよ。頭、血だらけで気持ち悪いんですよねえ」
 息苦しげに首輪をひっぱりつながらのボヤきだ。本から顔をあげた千種は、
『それなら憑依弾を使わなけりゃいいのに』と、眼差しで語っていたが、骸は気付かぬふりをして備え付いた水場へ体を寄せた。




おわり


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>>ヴェンディカーレ=vendicare=復讐する、恨みをはらす

>>骸ツナ祭りさまに献上しました。
>>MOEをありがとうございました…!