常夏の蜃気楼






 アスファルトが焼けている。強い日差しのなか、サンダルの少年は鈴を鳴らして歩いた。
 一陣の風が通るので、麦わら帽子のつばを捕まえた。
 カラン、コロンコロン。
 鈴は、転がされる。
「やっぱりうるさいな」
 沢田綱吉はひとりごちた。
 ポケットからこぼれたストラップを手に握る。鈴も一緒に握ったので音はいくらかマシになる。
 綱吉は、ぼうっとして、立ちぼうけになった。
 大通りは左右にだだっぴろいけれど、車の通りはなかった。ほかに歩く人もない。この近辺は、バス停すらないし、住宅地もない。
 あるのは、人々の記憶から忘れ去られたような森だけだ。本当に忘れられている、古びた遊園地が森のなかに残るだけ。
 綱吉はぼんやりした目で、ただ、道のうえを見つめる。
 立ちのぼる熱気によって道幅は揺れて見えた。綱吉は十分ほど立ち尽くしていたが、やがて、きびすを返すと、きた道を戻っていった。
 鈴の音は、こぶしのなかに殺しておいた。



「一週間前ですけど」
 六道骸というのは、時間の感覚が違っているらしい。
 綱吉にすると、それはもう終わった話だった。翌日になってもこの男に反応はなかったのだ。
 にぎやかな話し声が、耳に入る。沢田家の庭にはリボーンの監督のもと(実働は綱吉や獄寺たちである)作られた、流しそうめんセットができていた。こんな立派なものがあるなら皆を呼びなさい、と、沢田奈々は息子に呼びかけた。
 流しそうめんパーティーは大好評だ。竹を割って繋いだセットの上流から、上機嫌な奈々の掛け声とともに、
「行くわよぉ??っ」
 そうめんが投入される。
 チューブから流れる水道水が、下流へと押し流した。
「うおー!! こんどこそガッツリいただくもんね!!」
「この竹に口をつけちゃいけないの?」
「フォークにしたらどうだ、エンマ」
 にっと歯を光らせ、フォークを輝かせる山本に、シモンファミリーが群がる。
 それを遠目に綱吉は、足元に置いてあるバケツからそうめんをつまんでいる。流しそうめんセットの最下流に置かれ、誰も取れなかったそうめんが溜まるバケツだ。
 早い段階で、綱吉はバケツから食べようと決めた。そうめんが、とれない。
「なんで君はこなかったんですか。なにかあったというワケでもないでしょう。調べはついてますが」
「骸、みょうが」
「は」
 バケツの向かいでしゃがむ少年は、ふたりだけの会話がお望みらしいが。
 綱吉は、彼のもつガラスの器をちらっと見て短く告げる。
「みょうが。そうめんに入れるもんなんだよ。あっちのテーブルにあるから」
「怪しい名前の……」
「日本文化だぞ? おいしいんだから」
 目の頭の方を歪めて骸は少し困っていると見えた。サンダル履きで袖なしのシャツを着ている。
「ここでちょっと待ってなさい」
 綱吉は、返事をしない。
 骸が立ち上がってから数秒をそこで待ったのは、返事を期待してのことだろう。結局、彼は、なにも言わずにテーブルへと向かった。
 そして、
「これ、苦いんですけど?」
「つゆと、いっしょに、食べるもんだから。食感がおいしい」
「にしても君、バケツから食ってると残飯漁ってるみたいだから情けないですよ」
「お前も今からここから食うんだろ!」
「まさか」
 食いません、と、言いたそうに骸はバカにした顔になる。
 が、彼は箸をおろした。
 オッドアイは綱吉を見ている。
「で、一週間前ですけどね。なんでこなかったんですか?」
「そうめん、また流してるぞ〜」
「残飯に付き合ってあげてる僕の真心を踏みにじりますか? ナマイキです。まぁいいですから白状をしてみろ。なぜだ」
「お前、さっきテーブルでネギいれてこなかっただろ。ネギとみょうががセットでこそだよ」
「骸さまっ」
 綱吉が言い切らないうちに、興奮で目をきらきらさせてるクロームが小鉢を片手に駆けつけた。小鉢についてるスプーンを使って、さっさ、とネギを骸の器に投入する。
 綱吉にも「ネギいれます……!」と宣言してネギをひょいひょいさせた。
 ワンピースの後ろ姿に引き攣る綱吉だ。
「お、おうちゃくして他人まかせにしてぇー……っ。ていうか今のどんな技術だ!?」
「テレパシーくらい使えないんですか? 次期ボンゴレが?」
「ネギの運搬にんな技術使うほうがどうかしてる!」
「なぜそこまで話したがらないんですか」
「そんなこと、は、ない。日曜はさ、オレそっち行くつもりで歩いていったよ。途中で引き返したけど」
「引き返した。なぜ?」
「そりゃ」
 そこで、とまる。
 真夏の蜃気楼が揺らぐように目の奥がぼうとなる。遠い目をする一瞬を、骸が拡大した。
「先々週、君んとこの男親に強引につれだされたそうですね? 修行をつけられたそうじゃないですか? それで僕が嫌いになりましたか」
「…………。お前って」
 綱吉はまたも止まった。
 苦笑しながら胸を深呼吸でふくらませる。
「なんでそう、オレとあいつのことだと核心突くのうまいんだろな」
「君はよく見てますよ」
「うーん、冗談に聞こえねぇ」
「冗談ではなく」
「あえて冗談に済ませたいところなんだけどな!」
 冗談めかし、バケツに箸を突っ込ませる。骸も箸もすばやくともにバケツに入った。
「!」
 と、鏡面のように水面が変わった。
 そこに映し出されるのはハイパーモードへと変化した沢田綱吉である。
 声を失う綱吉に、幻術をしかけた本人はさらなる仕掛けを与える。そうめんを一本だけ取って、つと、ツナの頭の周りにはわせた。
 にょろにょろと蠢く影を報せたのち、一本だけを取り上げて、骸はつゆにも着けずにそれを食べた。
 奇妙な、勝ち気な嗤いがあった。
「こういうことなら、僕の得意分野なんですよ。君だって知っているはずだ。僕が嫌われる道理はなにもなかったはずだ」
「なんで、そう」
 鏡面に映るハイパーツナは、凛々しい。あの父親のように成長すると綱吉だって予感できた。
「骸って、まわりくどいのに、絶対合ってるってツラができんのかなぁ。……うん、ごめん」
「いえいえ。自覚してくれるなら。八つ当たりで僕との付き合いをやめるというなら、僕とて、色々と考えはする」
「例えば?」
「日中で口にするのは憚るような内容ですが」
「なら、いいや。いっとくけど夜でも聞かないから。それ」
 目をあわさず、冷や汗は浮かべる綱吉だ。夏の暑さがいまごろ蘇った。肌の内側がぐつぐつと煮え立った。
「あの日は……、なんか、こう。いやになったんだよ。男にてごめにされるのーー」
 向かいで骸が変な音を立てた。
 綱吉が目をあげると、今度は骸が目をあわさなかった。喉に手をやって軽くせきこんでいる。
「? 父さんが、オレにもっと稽古をつけるって。帰りはオレを神社に引きずってって勝手にお守り買ってさ、強くなれよとか、無責任きわまりないことオレに言うんだよ。骸? 聞いてるか」機嫌が急速に下がっていくのを実感できた。綱吉の目がすわる。
「せっかく話してやッてんのに」
「きいてます、きいてます。ちょっとインパクトがあったもんで」
 裏返りかけた、甲高さのある声だ。
 骸は汗して周辺に目をやる。
 楽しく、流しそうめんセットを囲んでいる仲間たち。そしてバケツをつつく、しみったれたこちら側。
「まあ……」
 アドバイスをしたいらしいが、骸もうまくは言えなかった。
「僕を呼んでみるとか? 次は」
「本気で言ってるのか。お前も父さんも絶対不幸になるから。ややこしさが倍になるだけだよ」
「中途半端に易しいのがねぇ。別に、いまさら、僕は傷が増えたってどうってことないですよ。君が怖がってるのが一番の問題だ」
「そうかなぁ。父さん、つよいよ。お前がもし負けたらオレが責任感じるよ」
「色々と聞き捨てならないんですが?」
 綱吉の目からも、はっきりと口元を引きつらせる骸が確認できた。
 綱吉は、苦いものを飲み下ろした。話してせいせいしたなんてことは、ちっともない。余計に、気分が沈んだ。パーティーというのに。
 だけれど口にのぼるのは感謝の言葉である。
「来週は、そっちに行くよ。歩いてく」
「タクシー使ったらどうです、いいかげん。カードを貸したでしょう」
「いや。骸、そのカードなくしそうで怖いから返したいんだけど? オレは歩いていくのがいいんだ」
「わけがわかりません」
 即答するが、骸はバケツからそうめんを引き上げながらも、
「じゃ、僕が迎えにいきます。また途中で変えられたんじゃ堪りませんからね」
 長々と話し込んでいる彼らが、交際と呼べるような仲を細々と続けていると、この場の誰もが知っている。流しそうめんパーティにはピリピリした空気が漂い始めているが……。
 骸は、もう綱吉しか見ずに、トドメになるようなセリフを口にする。
「とにかく僕が好きなんでしょう? なら、僕たちは負けません」
「あいつを負かすべきじゃ」
「全員でかかろう」
 ひそひそとした声は、奈々が新たなそうめんの桶をもって戻ったので中断した。
 骸が立った。腕を強引にひっぱって、むりやり、綱吉も立ち上がらせた。にこにこしてみせる。ここでない、遠くを見るような目で沈んでいる綱吉が驚いた表情になった。
「君の不安、ぜんぶ僕ならのみこんであげますよ」
 幸い、これは、そよ風のような声量だった。
「……なっ」
「そろそろ、セックスする仲にでもなりましょうか? 僕たちは」





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