9/8・キスの約束
「そういう決まりだから」
味気ないセリフで彼はキスを始めた。六道骸は、コントローラーを片手にソファに収まってただそれを受け止める。
下から掬うよう、くちびるを重ね終えると、綱吉は渋面でうなる。
「これでいいだろ」
「…………はあ」
「んなっ!!」
「ゴミ童貞とでも罵ってやりたくなる初心っぷりだこと」
「なぁっ!! ……既に罵ってないか!?」
「モノの例えですよ」
うざそうに眉を顰めて言うので、ともすれば不機嫌とも取れる。実際、沢田綱吉は怖じ気づいて頭を後ろにさがらせた。
骸は、空いてる方の手で自らの唇に触れる。
キスの余韻――あったものじゃない。半分は骸のせいだが。
青と赤の眼差しは自然と、点滅を続けるテレビゲーム画面へと向かう。コントローラーを持ち直した。
「次のラウンド、いきましょうか」
「えぇーっ……。もういいよ……。疲れた」
多分キスを指してだろう。トンデモないなと骸は思う。たった今のキスで疲れたなんて朝起きてすぐ「疲れた〜」と愚痴るようなもんだろう。
隣にやっと座った彼の肩をぽん、軽く手で叩く。
「ゲームがしたいと言ったのは君でしょう」
「オレは、ミョーなゲームまでやるつもりなかったんだけどな」
「君は被害者意識が強すぎなのでは?」
「あ、の、な。キス…だとか……っ……アアもういいや。もう一戦な!」
「くふふ。キスだとか?」
「そもそもバージョン違うんだけどっ。オレがやりたかったのは『3』なんだよ!」
「仕方ないでしょう。バーチャルコンソールに入ってないんですから」
「おまえの幻術が役に立つときだろっ」
「幻術を何だと思っているのやら……?」
てきとうに受け答えしつつも、コンティニューを進めている。ゲームが始まると綱吉は口を黙らせた。
ガチャガチャッ……、キーを叩く音が響く。
「だぁああああーっ!!」そうしてコントローラーはまたしても宙を舞った。
綱吉は、ソファーで仰向けになって倒れている。
「またっ! 『3』を持ってこいよぉーっ。『1』なんて初めて触るよっ!?」
「僕はこっちのバージョンのが好きですけどね。ハメ技が軽く三個はありますしバグも残ってますし」
「そ、そこはふつう、欠点なんじゃないかっ!?」
「クフフ。つまらない常識ですねぇ」
「そ、それだから幻術師はっ……って……、おい、骸。この手はなんだ」
「わかってるでしょう」
「……いや、罰ゲームで……キスってのは……わかったけど。記念日の代わりでまぁイイんだけど……」
この少年からすると、これで相当な譲歩であるのを骸はよく承知していた。
照れ屋で奥手で好きな相手だって遠くから眺めてるだけで幸せを感じるよーな男だ。負けた方が自分からキスをする、一見すると綱吉に何のうまみもないかのような条件であるが。その実、受け身で可愛がられるだけで済む分には、綱吉は割とガードが甘くなるのだ。
「くふふふっ」
甘ったるくうなる骸は、色を篭めた眼差しを存分に注ぎにかかる。
「今日で出会って一年目ですよ? 忘れるなんて、ほんと君は薄情な方だ」
「だから、こーしてるだろ……」
「だから僕は今日お誘いしたんですけどね」
「だぁから、き、キスっ…するって!」
まるでお人形のポーズを弄るようにして、骸は綱吉の両腕を自分自身の肩へと誘導してみせた。
手首を架ける形になって、しかし抵抗はせずに綱吉は唇を尖らせる。両目は半分に窄めて不満を訴えていた。
口は、不承不承と骸に近づく。
「ん…。これで、」
「さっきのとは変えて下さいよ」
「……えぇ?」
目を閉じて、首を突き出していた彼は頭を引っこめる。呆れて骸のオッドアイを覗いた。
「なんだよそれ」
「当然ですよ。君、二回目ですよ?」
「……どうしろっていうんだよ!」
「知りませんよ。自分で考えたらどうです? 負けたのはそちらですよ」
「なっ!! お、おまえなぁ。ワガママだよ!」
「きみのほうでは?」
シラを切るかまえを敏感に悟り、言葉に詰まる。ただギュウッと腕はクロスさせて簡単に骸の首を絞めた。仕返しだ。
骸は、焦るどころかニヤリと笑みを深くして、続く動向を待ってみせた。
「…っ」
つ、と。
苦悶を表層に浮かべてる人間の顔が、慎重そうに骸の上唇を掬い上げにくる。そのまま開くすきまに舌をねじ入れようとした。骸は一切抵抗せず、唇に力をいれずに綱吉を受け入れた。
唇が触れ合ったとたん、沢田綱吉の方がビクンとして震えた。骸の肩に乗っている腕がか細くぶるぶるとしている。
「…………」
濡れた音は立たない――、なぞるか、舐めるか。恐ろしく弱々しい愛撫を数回やった果てに舌は単に逃げ出した。
ぷはッ。
綱吉は、骸の目と鼻の先で、ほんの数ミリ離れた距離感で息咳詰まった息継ぎをやった。染めさせた頬で俯いて何もない場所を横目で探っていた。
「これで、いいよな」
「…………クフッ」
骸は、喉が渇いてひっついたような音がでた。
上目遣いのオッドアイが濡れた輝きを秘めている。彼が小さく呻いたセリフに綱吉は目を剥いた。
「僕が勃っちゃったらちゃんと責任取って下さいね」
「…………今のキスでぇ!?」
なんでだ。本気でふしぎそうに、綱吉の濃い琥珀色の瞳が凝視をする。
その2
口角を小鳥のようなタッチでちょんちょんと啄んだ。その果てに彼はグッタリと肩を下げる。
「もう……、やめよっか?」
「なぜにまた」
「見りゃわかるだろ!」
実に乱暴、横柄である。
説明は無用と彼はそっぽを向く。骸は悠に十度はくちづけを受けただろう自らの唇を指になぞった。
口角への刺激。それはまだ、皮膚の下に残存する。
「クフフ。照れているのですか」
「ちがうよ。もういいだろ、やるならストーリーモードにしようよ……」
「僕はまだ負けてませんが」
「オレは負けまくってるんだっ」
「そんなのが理由になるのですか」
「なるだろ! オレはもーいいんだよっ!」
「おやおや? 逃げるつもりですか。天下の沢田綱吉が」
「お、おまッ……こーいうときにわざわざフルネーム呼びすんなよな」
「卑怯な手を使うと日頃は僕を糾弾しておいて、どたんばになるとこうですか? 君という男は全く。油断もスキもない」
「お、おまえが負けるまで付きあ、っえ……て、い、う気か」
語気はしぼむ風船といっしょだ。
しぼませた六道骸は、得意げに流暢に唇を斜めうえへと押し上げる。「クフフフフフフフフフ。その態度は懲罰ものですよ?」
至近距離だ。首を伸ばせばもう、口どころか鼻や頬や顔そのものがくっつき合う距離。
綱吉は一度は目を瞠った。が。
眉間を盛り上げると自ら骸にくっつきに向かった。話し終えたばかりでまだ僅かに開いている唇の双子山を塞ぐ。
「…っ」
キュ。硬く閉ざされた細い眉を骸は丸めたオッドアイで見つめている。
「…………」
彼は、やはり、小鳥のような軽やかなタッチで離れていった。少女のように頬を染めさせた。
「これで全部、帳消しってならないのか」
「…――クフ、くはっ!」
「おいっ」
「い、意味が分かりませんっ。これで? 全部? もう一度キスしてやるからこれ以上は諦めろっていう意味でしょうか。複雑怪奇ですよ、君は! くははははははははははは」
「!!」がぁん、と、ショックは受けた様子で顔をビックリさせているが綱吉はすぐ立ち直った。頑丈だ。骸との付き合いのせいだ。
「さっきからクフーとかクハハ! とか、おまえ笑いすぎなんだよ! オレをからかってるんだろ。もう終わりだよ」
「君は繊細でいて乱暴ですよねぇ」
上機嫌に歌うその口元は指が掛けられた。ニヤニヤして上半身を眺められる側は、手足を引っこめてソファーのうえで体育座りになった。
むす。不機嫌な横顔があるが。骸はさりげなく、とっくに肩に手は回していた。
綱吉が何か言う前に骸は言う。
「もう一戦だけしましょうよ? 特別サービスです。君が勝ちやすいようにしてあげましょう」
「はぁ?」
「最終戦ですよ」
爽やかに笑顔で言ってのける六道骸は、空く手の指をぱちんとならした。
まだ驚いたふうに骸を見返す綱吉である。骸は勝ち誇るみたいな面持ちで停まっている。そのまま、一分くらいが経過した。
……ぱたぱたぱた。足音が遠くこだました。
ずざぁ!
砂埃を革靴で巻き上げてスライディングしてきたのは、並盛中学校の指定スカートとベストに身を包む並盛版のクローム髑髏女子だった。
アメジストに色付く目を見開かせ、肩は荒くはずませて汗まみれの彼女は少年たちをふり向く。ドアのない入り口から滑ってきた人間に驚きすぎて思わず片方は片方に抱きついていた。
「――――っ、…っ」
無言だ。特に何も言わない。
クロームは、騎士が忠誠を誓うかのようにして跪き、アルミ製のスーツケースを両手で差し上げた。
主人たる六道骸は、抱きついてきた少年を片腕に抱いたままでその封を外した。ぱちん。
中から、真っ黒な手袋を取り上げると。
「――――…」クロームはケースを仰々しく両手でしっかりと閉ざした。そうして小脇に抱えてすっくと立った。
深く息を吸う。そして、その場から猛ダッシュをはじめてやって来たのとまったく同じ方角へと走り去る。これらは一分もなかった。
唖然としている綱吉がようやく言葉を取り戻す、その空白を含めると一分ちょっとだ。ずる、と綱吉は骸の胸からずり落ちて、骸は両手に黒手袋を嵌めた。
「んなぁっっ!!」
「さて。では……」
「おいおい何を通常進行しよーとしてんだよっ!? い、今のクローム学校からっ!? まさか並盛からっ!? コッチまできたの!! ウソぉ!?」
「まぁ、いいじゃないですか。では……」
「よ、よくあるかァーッ!? おっまえ相変わらず非道な!!」
「僕の下僕をどーしようが僕の勝手じゃないですか? うるさいですね」
「げ、下僕! おまえの勝手!!」
「では!」
互いにセリフにセリフをかぶせるように叫び、足は自ずとソファーを下りているし相手と向かい合っている。
間合いが取れたところで、骸は何とも言いがたい引き攣った頬笑みを浮かべてみせる。「では!」もう一度、同じトーンで同じセリフを口にした。
片腕は高く掲げて、舞台上の役者をおもわせる芝居がかった身ぶりが続く。
「ちょうど良く僕への怒りが温まったようじゃありませんか! いきますよ、では! リアルファイトだ!」
「なっ」
んだ、それ!
ツッコミは、骸の寝室を覆うまばゆい閃光が吹き飛ばした。
その3
ピチッ、ピチチーッ……。
何かが飛び立つ気配で沢田綱吉は目を開く。そのさまを右目の端に捉えるとき、すでに骸は跳んでいた。
「……」沢田綱吉は見覚えがあるはずだった。
深く茂った森のなか。葉っぱが覆った天井を縫って降り注ぐ空のひかり。誰も寄りつかないだろう、獣の抜け道でしかない場所に少年がふたり――。
綱吉は、跳ぶ骸のほうに顔を向けてはいるが、目は周りをキョロキョロしていた。
「クフッ。トドメはボーナスステージですよ!!」
「……なんだよそれ」
やっとのセリフは綱吉らしかった。
彼は、当惑をありありと表情に載せながらも、ようやくふり向く瞳を塗り替える。自力によるハイパー化だ。三叉の槍を編み出してその手に握る六道骸を迎撃するため。
「何を考えてるんだ!」
「クハハッ!!」
バギンッ!
特殊なグローブに包まれた両手は、ガードすれば楽に槍の一撃をはじいた。
が、骸の本命も違うところだ。
懐に潜り込むとニヤッと歯を覗かせた。オッドアイの両眼はするどく瞳孔が上がった。
「出会った場所がファイナルというのもオツだ。君もゲーマーならわかるでしょう。燃える演出でしょう」
「ぐっ! ……ていうかもうゲーム関係なくないか!?」
「でも、僕らにはピッタリでしょう!?」
綱吉の手を握って背中の側でひとまとめに束ねている。バックを奪ったまま、骸は高笑いを放つようなテンションだ。
が、口許はいやに落ち着いてうっそうと茂る頬笑み方でいる。後ろをふり向こうとしている綱吉は歯噛みした。挑発されている!
「ここで僕が勝つのは、想定外ですよ?」
「……っ……!」
ためらいは一秒もない。
綱吉の瞳に篭る焔が颯爽とオレンジ色をなびかせる。静まった森の奥深くで航空機エンジンでも噴いたかのよう、あたりに影が乱立した。影を立たせる原因は、綱吉の両手から逆噴射によって放たれた大量の炎のエネルギーである。黒と赤にめまぐるしく変わる背景を人影が横断した。
綱吉であり、骸だ。
背面へと退きつつ右手は前へ突き出した。
「そうこなくては! いきますよっ」
「!!」
噴射によって、綱吉は葉っぱの層を貫いて大空へと飛び出ている。
ばらばらと、無数の葉が泳ぎまわって骸との間を阻む。それらすべてを上回る数の襲撃だった。骸は本気だと今更ながらに全身で感じる所業だった。
フォォァアッ――空気の色が変じる。
「ガガイア!」それが温情と、骸はわざわざ技の名を叫ぶ。
真っ黒い絨毯のような羽毛にするどい牙を持つカラスの群れは一直線に沢田綱吉を追撃した。
無神経ともおもえる大爆発が、森の頭上で炸裂した。
一斉に木がそれぞれの方角へ傾き、つんのめったように幹を曲げる。骸は黒手袋に三叉槍を握り直して彼の行方を見守った。うすく笑むような、微妙な表情が貼り付けてある。
……ぱらっ、ぱらぱら!
得たいの知れない、黒い塵が落ちてきた。
葉っぱかガガイアの破片か――。
「ゲホっ!」
少年の咳は、それらの下だ。
超滑空で寸でのところで難を逃れ、しかし爆風にはヤラれて地べたに叩き付けられた沢田綱吉だ。しかしもう、膝を立たせている。骸がその位置を見初めるなり動いた。
準備が整ったので我慢していた呼吸をやろうとして、そしてそのまま咳込んだに違いなかった。
どぅんっ! その場より急発進する――、と。
「殺す気かぁぁぁぁぁぁぁぁあ!?」
「ぐぶッ」
膝蹴りをまことしやかに顔面に叩き込んだ。骸がすっとんで倒れる、次の瞬間だ。
「!!」びくっ! 綱吉は小さく跳ねた。
しゅうう……、額の火はちぢむ。
「よ、余裕あるな……」
カンカンカーン! ゴングの音が森にこだまする。バトルでちょっとボロボロになった森である。初めて会ったときから、大分お互いに戦闘技術も向上していた。
ついでに、上空に『TSUNAYOSHI WIN!!』なんて表示が浮かんでいる。ゴシック体の赤い文字列だ。
綱吉は、恐る恐るとツッコミした。
「いつの間にか格ゲーになってるし……ッ!!」
そして、骸がムクッと唐突に起きたので「ひえええっ!!」ゾンビにでも遭遇したかのように戦慄いた。
その4
「お待ちなさい。なぜ、逃げますかね」
骸が襟首を捕まえた。回れ右してとりあえず逃げようとした綱吉だ。
「なぜっつーかな!? つーっかなんなんだよコッチこそなんでっ!? だろッッ!?」
「なんでと……」
押し問答じみたやりとりの間、周囲も変化した。森が溶けて元々の居場所が戻ってくる。
骸の額の鬱血も、綱吉の焦げっぷりも元通りだ。
何もかも、バトルもなかったようになる。いつもの骸の寝室だった。
いつものソファーに綱吉は押し込められた。
「わぶっ。ちょ、な、なにを」
「何って。ゲームしていたでしょう? 僕たち」
「げ、げぇむってレベルだったのかぁアレはっ!? ルール変わってただろ!」
「アレコレとうるさい男ですねぇ。君、勝っておいてそれだけ五月蠅いのはどうかと思うな。ワガママでは」
「お前に言われたかーないわっ!?」
押し倒したかたちで骸はツナの両腕を抑えている。片手ずつを外し、指先をもごもごさせて歯も使って手袋を脱ごうとした。
ぽと。ぽさ。ソファーに、恐らく貴重なものだろうヴェルデ博士の発明品が横たわる。
綱吉は、なんとなくそれに遠慮してしまった。気が弱いタチなのだ。
大人しくなった理由はわかっているのに、骸はワザと明るく頬笑みかける。そういう性悪なところのある男だ。
「僕からくちづけを。あげますよ。そう、イイコで待ってなくともね……」
「誰が待ってるんだよっ……!」
「僕に勝てなくて拗ねていたクセにそう言いますか」
「そーゆー理由でじゃなくってふつうに……、ゲームしてんだから……。……っ……おい、骸」
「焦れずとも、してあげますよ。クフフ」
最後の『クフフ』はくちびるが閉じたままで含まれた。ソファーに寝かせた愛しい沢田綱吉の首筋やあごの内側、骨格のラインを口先で追っかけながらの『クフフ』だった。
くすぐったさで綱吉が身じろぎしても、骸は素手にした両手でしっかりと両腕を捕まえている。
動物が我が身をマーキングに使うように、丹念にキスして自分を教えてくる男だ。実際のところ、綱吉よりも彼のがワガママだ。それは骸のほかは誰もが知るかもしれないが。
軽く、皮膚を嗜みながらも骸は舌は這わせることなく、すべて唇で行った。
「うっ……、く、くすぐった」
「……僕も散々焦らされましたからねぇ……。クフフ。君は本当、あの頃から僕のうえをちょろちょろと小うるさく舞うハエのような眩しい子ですよ」
「……、――――」
鈍い琥珀色の目玉が半分サイズに細められた。ツッコミしよう……としたのだが。
唇の肉であちこちを軽く食べて刺激してきていた男が、ようやく唇に唇を合わせるので慌てて目を閉じる。薄く目を開き、骸はそのさまを見守った。約束は単なるキスというだけだ。
くち、せりふ、それらはともかく。
ふわふわの羽毛にくちづけるかのよう、柔らかな接触になっていた。
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