きょんしーぱろ

※死んでます







「久しぶりにその名を聞いた」
 そうですか? なんのこともないと、男は平然と受け答えた。かつてある国を支配しきったとあるファミリーの呼び名だった。
 様式を統一され、ゴシックトーンでまとめられた応接室である。
 黒スーツの男性は居心地がわるそうにソファーに収まる。目を泳がせながら慎重に口にするそぶり。
「まぁ……今はもう無いファミリーだ。影響力は残っているが、マフィアではないと彼ら自身が喧伝をし続けているのだし……」
「ああ。そうでしたね。ドンを喪ったのだからそうするしかないでしょう」
「…………。それで……例の話なのだが」
「ええ、はい、どうぞ」
 チリ一つ、埃一つないテーブルに、真っ白な毛筆の誓約書が並べられていく。
 男は、手に取りもせず、ただ高みから見下ろしていた。
 あわい笑みがずっと頬を寛がせている。
 遠くを見るような、なんともいえない眼をしている。
 襟足となる後ろ髪は、ながく四人掛けのソファーへと垂れる。男が小首を傾げると首筋にわずかにかかった。発せられる、あまやかな声音に一つ、一つと、丁寧に返答が生じる。すべて終わると、スーツの男は玉の雫をこめかみに浮かべていた。
「ではそのようにしよう。六道さん。……どうか、ご内密に頼みますよ。本当に」
「もちろん。貴男も他言は無用です。まぁわかっているのでしょうけれど」
 にこにこしながら、反対へと首を傾げる。
 二十代も後半の男がするには、やや幼い仕草である。が、この場では遊び心を感じさせるのが、男の好みであった。
「僕は、気まぐれなのが欠点であると、ながらく己自身でも思うのですが……」
 組ませたままの両足。高く挙がってる膝の頭へと両手を着ける。
 ふふっとまた幼稚な笑いをこぼした。
「あのファミリーのようになりたいのであれば、貴男の思うがまま、好きになさるのがよろしい」
「とんでもない」
 即答を返す男の喉から、ふとい脂汗が垂れていく。
 赤と青のオッドアイは、相変わらず何も感じさせないガラスの透き通るような目玉を保っていて、人形か何かのように表情を一片も変えず、ただ、見返している。
 いやですね、脅してるつもりはないですよと、口に呟くそれはだだっ広い室内によく木霊する。
 不釣り合いであればあるほど、こうした交渉では恐怖が生じるものである。





 オカエリナサイ。短い答えは希望通りであるが味気が欠ける。
「そこに立って」
 男が戻ってくるなり告げる一言で、出迎えにきた老若男女がうろたえる。眼帯をしている女が片手を上げて場を制した。
「骸さま。ツナは昨夜の傷をまだ修復し終えていません……」
「いいですよ。あとは自分でやる。それより下がりなさい」
「――――」
 目配せをすると、すごすごと大半が下がっていった。
 金髪の男がだが食ってかかる。
「骸しゃん! アイツは! もうヤッてきていーれすよねぇえっ!! アイツクソ生意気だったびょん!!」
「お好きに。必要な判はとれました。用はもうありません」
「よっしゃあぁぁぁぁ!! 柿ぴー!!」
「はしゃぎすぎるとヘマるよ……」
 足音を残し、男のわきを通り抜けていく。男はただその場で待っていた。今は使われなくなった、美術館の跡地である。小国の片隅で誰からも忘れられて、夏のシーズンとなるとたまに肝試しで使われる場所である。
 ここ数年は、シーズンでは鮮やかな血の跡が無数にあると、血の匂いがこびり付いていると、ネット上で度々うわさになっている。次の潜伏場所を選別するべき時だ。しかし、まだあと一夏、ここにいると仲間には話してあった。
 展示物もなく、床の木板がところどころ外れて荒れ果てているなかで、忠実な女部下は彼をそこに立たせていた。
 二十歳は過ぎるとみえる体格であるが、少年のあどけなさも残る目鼻立ち。両眼はかたく閉じる。
 指先、胸、腹、どこもかしこも動かず、灰色と白の中間のような肌色をしていた。
 着せられたチャンパオは、鮮やかな青い生地に金糸を混ぜ込んで織ったもので、虫の甲羅のような光り方をする。極めて高価な、稀少な品である。
 首に在る革環が外され、口枷が外され、最後にピッ――
 まっ黄色の札を奪う。
 女部下はすばやく身を翻し、逃げた。かんかんとヒールが床を打った。
 男は、後ろ毛となる長い尾っぽをたなびかせて三叉に別れた槍を引き抜いている。幻術と現実を組みかさねた彼の最も得意とする術だった。
 横に踊らせてから自らの真っ正面に立たせる、そのときには既にツメが迫っている。がちっ!!
「うううう!!」
 目と鼻の先で獣のうなり声。
 真っ赤に血走った両眼を見開いて、まだ若い男が歯を剥いている。鋭く刺し貫くようなそれにオッドアイもまた、獣性を剥き出しにして笑い返した。
「綱吉! 今日は少し――非道くしますよ、バラす!!」
 言うが早いが槍を薙がせてキョンシーを払い落とし、そのときすでに切っ先は幻と曲げて変化させてある。
 ぼろっ、キョンシーの手が半分、落ちた。
 こつんこつんと小さく小雨が注ぐような音がし、指先がバラバラに足元にふった。
 槍は回して反対の手も切ろうとするも、キョンシーも並の化け物ではなかった。元となった人間の特性をそのまま引き継いでいる。
 すばやく、後ろに跳んで、憎たらしげに牙をかちんかちんと言わせている。
 指はもげたが両手は前に突きだし、今にも飛びかかってくる。
「さすが」
 からぶりした槍を胸元へ戻す男は、ひどく嬉しそうに相好を崩した。きわめて親しい者にしか見せない、彼の本当の笑い顔である。
「やりますね。今日は初めの頃のように――ばらばらに解して、また僕自身の手でつぎはぎし直してあげますから。殺すつもりで……」
 アアアア! 超音波のような怒号があがっている。
 人間とかけ離れた跳躍力で飛びあがって、棄てられた美術館の天井にまでこすれて落ちてくる姿を見、舞い上がるチャンパオの美しさに眼を細める。オッドアイに浮かぶのはただ単に、喜びだった。死んだ人間がまた動いて襲ってくるのだから、これほど、嬉しい秘術はなかった。
 しかし、死体如きに遅れをとる六道骸ではなく、死体もやはり生前の彼よりかは遙かに弱かった。





「うぎゃああああああ!!」
「うっるさ」素直に思ったことを呟く六道骸に、沢田綱吉は叫んだままの顔をソックリそのまま向ける。
「お、おま、走れよ!! はやく!!」
「なぜこの僕までが……?」
「いいから!! オレとペアになっちゃったからだろぉおおお!! うわああああああああああああ!!」
 ていうか、これ、コンニャクじゃないですか? 綱吉に片手首を引っぱられて早歩きになりつつも、骸はナナメ上を見上げている。たった今、綱吉が顔面から突っ込んだ『何か』だ。
 深夜。墓場には、卒塔婆のシルエットがざくざく乱立していた。お盆真っ盛りでの肝試し大会である。
 ペアは公正なる(リボーン談だ)くじ引きによって決定した。
 綱吉は、ぐいぐいと引っぱって、ろくに走ろうともしない元・敵の少年を睨みつける。
「走ってって! お、おまえ、そんなんでなんで肝試しきてるんだよっっ」
「怖くないからですが?」
「ちがっ!! オレのために走ってって……あ、あああ〜っ!! こんにゃくがくる!!」
「なんで僕が。ていうか、きみだってコンニャクってわかってるじゃないですか……」
「そーゆう問題じゃなっうおっ!! あああああああああああああ!?」
「はあー」
 わざわざ見せつけるよう、骸が嘆息する。ジトりと両眼も歪める。手を取り戻そうとするが、綱吉はすがってきた。
 そのとき、墓と墓のあいだに張り巡らされたナワにコケたのもあって、骸の腰周りに抱きつく。
「わあああああああああ! あーっ!! ああああーっ!!!?」
「…はあ」
 もう一度、溜息してみせる。しかしほんのりと誇らしげな息だった。
 わきに手をいれてやって身を支える。
「こんなのでボンゴレファミリーの跡継ぎだなんて、耳を疑いますね。正気じゃない」
「わ、わわわわあって、わかってるよ……ってか、あのな、夜の墓場ってだけでオレはコワイの! はやく行こうよっ、もーどんな仕掛けでも怖すぎてヤバイって」
「流されやすいお人好しですよ。ついでに能天気で、すぐ死ぬ、間違いなく。ついでにダメになる」
「い、言いたい放題、おまえ……ありがと。ドーモ……」
「いそぐんでしょう?」
 綱吉を立たせると、骸は、この点については何も言わずしかし握りしめる。
 繋ぎ合った手は、夏のぬるい大気と同じほど生ぬるくてきもちわるかった。
 綱吉もそう思ったし、骸もそう感じた。
 けれど、ゴールまで離さずにいたのは、彼らもそれなりに仲がよく、互いを信頼しあっているからである。綱吉が骸が本当はさして悪い性分ではないのだと知っていた。骸も仲間が困っていれば手を差し伸べることに躊躇はなかった。相手がこの子であるなら。互いにそうだ。
 ふたりはいまだ中学生であった。





 血は多いとむせる。噎せ返るような熱がそここから立ちのぼってくる。最後に切断したところを手で押さえていたが、次から次に、彼が生きてることを報せる血潮が噴き出てくる。そこから手を離すとき、腕に抱いている頭がちいさく声をうめいた。
 はなれている槍は、血まみれになって倒れている。
 すわりこんだ男の長い後ろ髪もまた、血で凝固しつつあった。手のなかの綱吉はまだ眼を拓いていて、何も見ず、虚空を射貫いて口をぴくぴくさせている。
 誰もなく、気配もない。夜は長く続いてまだ終わりがなかった。
(結局…)
 抑えきれないもののある、間柄だった。
(友にはなれなかった…)
 それは、最後、互いが口にした言葉でもあった。
 それからは声もなく、ただ金切り音と唸り声と悲鳴と怒号が交差して、最後に、相手への殺意をもてなかった者が死んだ。
(…でも、)
「あいしてますよ。きみと永久に」
 死んだ躯も故人も死すら、骸というのは取り繕うことができるもので。
 だから亡骸だ。
 骸はまじないのように自らのうちで唱えた。
 抱える頭をそっと首に戻す。指で継ぎ目をなぞれば糸も入るし、幻術で何もかも隠せてもしまえるが、しばらくは不恰好にずれたそれをただ見つめる。
 仕方もなくしようもない欲求だった。これこそ。
 死んだ王にこうも相応しい王冠もなく、最も愛しい冠であるこれは、何度目にしても言いようも無く胸が壊れてしまいそうなほど鼓動を速くした。たまに目をこぼれるものは、だけれど今日はなかった。
「……君の分も生きて……」かわり、言葉がでる。何も考えずに済む、この繕いの時間が好きだった。編み物を楽しむ少女もきっとこのような心境なのだろうと男は思う。最後のほうは、出来上がりが楽しみで、うれしくなる。今はいちばん嬉しくなる時間だ。
「こんな世は、壊してしまいましょうね。君みたいに呆気なく、簡単に」















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