鉄とナイフ








 引鉄を引く勇気が持てなかった。
 彼は、ナイフを突き進める勇気が持てないように見えた。
 俺の履き違いかもしれない。この人は、根性なら弾丸も跳ね返すくらいにタフにできあがってる。
 折ろうとしても折れない心があって、独自の信念のもとに歩きつづけていた……ように、見える。開け放たれた窓から、風が吹き込んで頭髪を揺らめかす。六道骸は、白銀を斜めから浴びながら、俺の上に跨り、両手で握ったナイフを突きおろしていた。
 月日というのは人を変える。伸びた前髪と後ろ髪が肩に散らばっていて、以前に会った時の――三年くらい、前になるだろうか――優美な印象は見当たらなくなっていた。
 少しやつれたようだ。浮き上がった喉仏が白く照らされる。
「撃たないのですか」喉仏は、ゆっくり、上下をした。
 骸の額には銃口が突きつけられている。
 咄嗟に、枕の下にあったものを引き抜いたのだ。
 リボーンには即座に引鉄を引けと言われてる。でも、青みがかった黒髪に気がついて、指が止まった。胸元に刺さったナイフの切先は、俺が引鉄から力を抜くのとほぼ同時に、進入を取りやめていた。
「そっちこそ。刺さないのか」
 丁寧に分けられていた分け目は、跡形もなく、ただ少年はボサボザの頭髪を無造作に散らばしていた。毛筋の狭間から、六の刻まれた赤眼だけが見えた。
 ぎらぎらしながら、赤は素早い瞬きをした。
「どうして撃たないのか。その質問に答えるのが、先だ」
「刺せないのか?」「答えなさい」
「あのな。何年も前に、首輪つけられて引きずられてったヤツが、いきなり目の前にきたらビックリするだろ! これ以上の理由がいるのかよ、あんたは」
「……私の襲撃に対する反応は80点ですが、その返答は0点ですね」
 侮蔑じみた呟きの後に、骸がナイフを強く持ち直した。
 それを感じたのは、切先が体内に埋め込まれているからだ。
 奥歯を噛むと、骸の目が愉しげに細くなっていった。夜の闇と同質のもので、顔を照らす白い光には相容れないものだ。窓からひときわに強い風が吹いて、サイドテーブルに乗せたままの書類が、骸の背後で飛び交った。
「待て。俺の質問に……答える、約束」
「約束? 誰がそんなものをしたと」
 平然と言いのけた骸だが、ナイフは引き抜かれていた。
「私は先にいえと言っただけ。――まあ、言葉遊びに興じるつもりはないので切り上げますが、刺さなかったのは、ボンゴレが撃ち抜こうとしなかったからですよ」
「はあ?」「力を抜いた。だから、私も力を抜いた」
 骸は、バカにしたような、呆れた口調で言い切ると、両手を左右に広げた。ヒヤッとしたものが背筋を走る。持ち手が黒いナイフは、俺の腹の上に落ちて、鈍く銀色に発光していた。
 さりげない仕草で骸が俺の腕を取る。
 額に押し付けたままの銃口が、反れて、窓を向いた。掴まれたことでギクリと全身が強張ったが、それも感じ取ったらしい骸は、シニカルに口角を吊り上げ、何も掴んでいないほうで前髪を掻き揚げた。青いほうの瞳は、疲れた色をみせて、空に浮かぶ銀色の円陣を見上げていた。
「バカらしい。こんなこと、バカすぎて真面目に取り合えません」
「……暗殺を命じたのは誰だ?」
「脳みそに水でもつまってるんですか、ボンゴレ」
「みっ」言葉につまっていると、骸は変わらぬ表情のままで言い捨てた。
「赤ん坊に教えられることばかりに馴れていると心まで腐り果てますよ。先程の返答から考えるに腐敗ははじまっているようですけど、まあ、そんなことはどうでもいいんですけどね。処刑人ですよ」
「…………え?」
「処刑人の恨みを買ったということです」
「ど、どーして?! 平凡な高校生だぞ!」
「君がそう思うだけでしょう。あと数年で、君はイタリアにいってボンゴレを納める。それが彼らには気に食わないんでしょうね。もしくは別の誰か」
 あっけらかんと、骸は続けた。密かな確信を込めて。
「ファミリーの中を洗ってみればいいんじゃないですか」
「おかしいよ。目をつけられることなんてしてないはず――」
「私に弁解をされても、どうにもなりませんよ」
 ベッドの脇に腰かけ腕をくむ。
 迷彩のタンクトップから伸びる二の腕には筋肉の隆起がクッキリとある。
 ナイフは細く、刀身が短いが、この男の腕力ならば柄元まで食い込ませることが可能なのだろう。そこまで考えて、反射的にナイフを払いのけていた。拳銃はいつのまにか骸の手のひらに収まっていたが、彼は、どうするつもりもないようで、おざなりに銃口を握りしめるだけで、窓の外を眺めていた。
「この三年、どうでした?」
「? 六道骸、事情をもっと詳しく話せよ」
「脳みそを使えと言った。ヒントもやった。最大限の親切だと思いますが」
 低い感嘆が喉を走る。その骸の言葉で、決定打になったようなものだ。ファミリーを洗えばわかると……解決できると、暗に示しているのだ。骸は立ち上がり、同じ質問を繰り返した。その手にはいまだに俺の拳銃が納まっている。
「三年間で変わったものはありますか?」
「……背が伸びた。声が低くなった。でも、そうじゃないな?」
「ええ。僕が見たボンゴレは変わった。君は、自分で変わったと思いますか」
「変わったものもある。でも、変わらないものもあるよ」
 背中だけを見せたまま、骸は窓辺へと歩み寄った。
 露出した肩が白く照らされる。震えもせず、揺らぎもせず、頭髪をはためかせながら、揺らめくカーテンに飲み込まれて彼は佇んでいた。言葉は透き通るようで、何の感情もにじんではいなかった。
「僕を殺せないのは、三年の前の、あの甘さが残っているから。そうなのですか?」
「・……わからないけど。俺は、あの時に殺さなかったことを後悔してない。そうやって生きてるアンタをみて、正直なところ、安心した。殺されてなくて良かったと思う」
「ほう。キャラメルに砂糖かけて食べたみたいな気分になりますね」
 肩越しに振り返った横顔は笑っていたが、その両目はいびつに曲げられていた。
 片足が窓枠にのる。ゆるく握っていた拳銃は、しっかりと握り締められていた。その意味を考える前に、声にしていた。
「行くなよ、六道。ここに残れ」
 微笑みを深くするだけで、骸は拳銃を胸元に引き上げた。
「暗殺が失敗してアンタはどうなるんだっ」
「さあ」「わかってんだろ!」
「ボンゴレが感知するところではないんですよ」
 軽く頭を振ったのちに、骸は重心を傾けた。
「待て!! せめて、コレ!」
 散らばる書類を踏みつけて、サイドテーブルの最下段にある棚をかき回す。鉄の冷気をすぐに見つけて、窓の外へ向けて傾く人影に投げつけた。
 空いた手で受け取ると、彼はやや目を大きく見開かせたのちに苦笑した。
「わかってるんじゃないですか……」黒い手袋を嵌めた指先が、ギュウとマガジンを握る。
 装填は済ませてある。それで10発は撃てるはずだ。俺のものだった拳銃が月に掲げられた。
 引鉄にかけた人差し指以外を開かせて、顔の真横でヒラヒラと振りめかす。口角をシニカルに笑わせて、彼は、窓を飛び降りた。
「――――」窓枠にかじりつくが、闇に紛れて影は見えない。
「言わないのかよっ。あれ――」
 クッと誰かの喉が鳴った。
 そして、闇夜の向こうから叫び返す声がした。
「Arrivederci!!」







 

 

 

06.3.5

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Arrivederci … またあいましょう!