骸とツナの恋人事情



「うわぁああ!」
 六本、ダイナマイトが炸裂した。
「何やってんだ、伏せろ!」
 家庭教師が叫ぶ。五歳児はぴっちりめのブラックスーツでボディを飾る。叫び声より一瞬だけ速く、影が躍り出た。六道骸だ。
 沢田綱吉の肩を掴むと、自分の下に敷いて体を投げた。
 爆発が、爆風とともに彼らを苛む。
「うっ……うぐ!」
 ガタガタッとした音が続いた。
 二人で呼吸を止めている。爆風が収まり、ようやく体を起こしたときには、骸の背中から木片が落ちた。
「だ、大丈夫だったか?」
「ええ。君は」
「ちょっと、くちン中に木の屑入ったくらい」
 最初に大口で悲鳴をあげた、あれが不味かった。下唇に手を当てて綱吉は咥内を舌探る。ペッと数センチの木屑を吐き出した。
 が、奥歯にはまだ異物感があった。
「ん」うめいて、綱吉は再び頬をモゴモゴさせたが、
「と、取れないな……。歯ブラシが欲しいな」
「貸してみなさい」
 両肩に手を置いて、骸が向き直った。
(え? なっ。何してんの?)
 綱吉は、悲鳴を呑む。
 口に舌が入ってきて満足に喋ることができない。
 六道骸の舌先は、器用にぐるんと歯列の裏側を探った。右の上顎奥歯で動きを止める。綱吉の顎と後頭部をそれぞれ手で掴んで、上向きに傾けた。
 自らは顔を横にして、奥深くまで舌を捻子入れる。
「んふっ、んっ!」
 鼻に掛かった悲鳴が漏れた。
 ピチャピチャッ。水音。奥歯と奥歯の間に木屑が挟まっていた。
 骸が優しく患部を舌で突付いて異物をえぐり出そうとしている。たまらずに綱吉は体を戦慄かせて骸の背に抱きついた。その口角から、つうっと流れて唾液が顎を濡らす。
 最後に、人指し指を差し込まれた。つん、爪先でつつかれて、木屑が舌の上に落ちる。
 親指も加えて骸が摘み出した。唾液で細い橋がかかる。
「血の味はなかった。歯間にハマってただけで、怪我はしてないですよ。綱吉くん、ああいう場面で、無防備に口を開けちゃいけませんよ……」
「ご、ごめんっ」
 口を拭い、綱吉は動揺で震える。
 すぐさまハッとした。視線が痛い。ボンゴレファミリーの面々が疑わしげに骸と綱吉を取り囲んでいた。
「待て……。確かに、交際は許可したが、所構わずイチャついていいとは言ってねェ」
 五歳児はメラメラした炎を背負っている。
 真っ赤な顔で、ダイナマイトをふり被るのは獄寺隼人である。標的は六道骸に変わっていた。
「ちょ、待っ、こ、これは事故だぞ?!」
 慌てて骸を押しのけた、そのときだ。
 遠くから雷鳴がした。囃し声と足音が続く。誰が促すでもなく、ボンゴレファミリーは一斉に瓦礫を駆け登った。先の爆発、獄寺のダイナマイトによって穿たれた大穴をくぐる。
 冷えた外気が、体温を浚った。高く伸びた枝葉が屋敷を覆う。秋田県の山林山奥、深夜。金切り声が一家を追いかけた。
「逃がすなぁ! 追えェえ――ッッ!」
 ズガガガガガガン! 連射音が続き、ギクリとして足並みを崩すと、人影がすばやく両側に駆けつける。
 左側の相手は迷わずに綱吉の手を握った。
 右側ではリボーンが忌々しげに叫んだ。
「骸! 何ちゃっかり手を繋いでる!」
「え、えッ!」
 骸は片手で虚空を掻いた。三叉槍が手中に落ちる。六道輪廻の力によって亜空間に隠しているのです、と、説明を受けたことがあったが、綱吉にはタチの悪い手品に見えた。
「た、戦う気っ? そんなの聞いてないぞ!」
「時間稼ぎですよ。大丈夫、君は敵を燃してしまえばいい」
「何をどーどー殺人勧告しとるんだお前はっ?!」
 手を引かれ、ヒッと青くなる。
「いっ。いやだ! 無理だよっ。お前一人でいけ!」
 ヤクザ連中の秘蔵品――三十連弾倉アサルトピストルが雷鳴の如き撃音をたてる。ヘルメットを被った大男が操っていた。
 ズガガガガガ! またもや連続射撃が夜気を貫いた。
「ンなヘボ弾に当たるかよ!」
 罵倒しつつ、リボーンは殺し屋の目をして骸を睨んだ。
「六道骸! ツナを巻き添えにすんな!」
「仲間のために盾になってみるのもイイ経験でしょう?!」
 押し付けがましい一瞥をリボーンにやって、一方で骸は綱吉の腰を小脇に抱えた。
「は、わぁあああっ?!」
 広葉樹の太枝に飛び移っている。
 六道骸は、三叉槍を頭上に掲げてみせる。禍々しく口を笑みで裂いた。ぶわりと裾野を広めたのが、不可視の悪夢だ。
「さぁ、死の淵で踊るがいいっ。第一の道、地獄道!」
 追手が転倒した。耳を覆ってのたうちまわり、切れ切れに叫喚をあげる。戦慄いたのは綱吉だった。
「だああ! 永遠の悪夢によりせーしんを破壊する能力!」
「解説ご苦労っ!」
 口角に悦を刻み、六道骸は地上の家庭教師を見下ろした。
「足止めは引き受けました。君たちは逃げろ!」
「なにをォ」リボーンが半眼で唸る。
 ぎしぎし揺れる枝上がため、綱吉は青褪めて六道骸にしがみついた。骸は片腕で腰を抱き返す。心なしか嬉しげだ、が、
「いぎゃああ! オレも逃げるーっ! 帰るーっ!!」
 悲鳴は軽やかに鮮やかに無視である。家庭教師が胡乱に毒づいた。
「こんの駄目っツナ……。骸のどこがいいんだ!」
「ほ、ホントに置いてくのォ?! うそお!」
「相手が厄介ですからね。いい判断です」
 言葉を切ってから、付け足した。
「君たちを守ってあげられる程の余裕はない」
(は?!)我が耳を疑って、綱吉は呆然と骸を見上げた。風で掻き揚げられて潜入用の黒装束が表面を波打たせる。色違いの瞳は、敵をまっすぐ強固に射抜いている……。
 仲間がすべて木々に紛れたのを待って、一応、尋ねた。綱吉には信じられない。
「マジでファミリーを助けるために足止め役を?」
「フッ。クフッ。クフフ。何をいうんですか君は」
 六道骸は、三叉槍を水平にして突きだした。
 槍先が枝葉を押しのけて月光を浴びる。遠くからは猟犬の足音だ。だしだしだし! と尋常でない速度でやってくる。だが、綱吉が肝を冷やしたのはセリフの中身に問題があったからだ。
「君まで騙せるとはさすが六道骸。演技力には自信がある男です――、しかしッ、クフッ。君以外を守る気なんてハナからありませんよ」
 六道骸は堂々として微笑みを降ろす。
「これで君と二人きりです。綱吉くん、どうですか。どきどきしません? おや何を驚くのです。そんなに怖い目をして? 君を育てるといった心に嘘はないんですよ、」
 ワォン! 鋭い吼え声にオッドアイがしなる。
「第三の道、畜生道」
「……相手を死に至らしめる生物の召喚……」
 キャインキャイン! と、虎の大群に追い立てられるドーベルマンの群れ。見送りつつ、綱吉は冷や汗を垂らした。
「何が狙いだ? 骸さん」
「二人きりになりたい」
「もっと具体的に」
「キスの続きでもどうですかぁ?」
 俯いて骸は頬を赤らめている。
「こ……の、ろくでなし!! 約束を覚えてんのか! 助けてくれるってゆーからキスもエロいことも許してんのに!」
 怒りで赤くなる綱吉だが、骸は素面で口を丸くする。
「それは当然の権利じゃないですか」
「ぶふゥ! お前の方はえらく時間かかってるじゃん?!」
「仕方ないでしょう。ボンゴレだって甘くないんですから。下準備はたくさんある。君も強くなってもらわないと」
 会話は段々と入り組んだものに変わる。沢田綱吉と六道骸が俗にいうよーな『交際』を始めたのは半年前だ。求愛を断り続けられた果てに、骸は一つの条件を提案した。
「なんだよ。オレだって修行頑張ってるんだぞ」
 反抗心を込めて睨んだ。今更、後付けでアレコレ言ってくるのは卑怯だと感じた。
 僕と一緒になるなら、沢田綱吉とマフィアとの縁を切ってやると、目の前の少年は言ったものだが、
(こいつ、胡散臭いんだよ)苦虫を噛んだ。
 綱吉はマフィアのボスとして君臨するのもイヤだったが、永遠にからかわれ続けるのもイヤだった。
「本当に信じていいんだろうな。六道骸サン?」
「深いことは考えず、僕に身を任せてください。このままボンゴレファミリーにいたらあと十年も生きられませんよ?」
 こめかみに青筋が浮かんで喉は引き攣った。
「だから取り合えずキスの続きしようって? ここで?!」
「しましょうよ。ンー」
「うだああっ!! んー、じゃねえええ!!」
 迫って来る額を押しのけつつ、
「何考えてんのお前はッ。し、信じられない! これじゃっボンゴレ辞める前にオレの人生終わるわぁあああ!」
 沢田綱吉十七歳、心の叫びがこだまする。ぎゃあああ! と、どこからか敵の悲鳴も聞こえた。虎ががんばっている。

 

 夕方には並盛町に帰還した。
 沢田家だ。奪還した勅命書を確認すれば、九代目の炎の刻印はまだ勢いよく燃えていた。勅命書は建設予定の日本ボンゴレ支部に関する注文書でもあった。
 雲雀恭弥がチェルベッロ機関からの報告を告げる。勅命書に関わる記憶は抹消が完了したと、それを聞いて、ボンゴレ十代目こと沢田綱吉は、厳かに――正確には、厳かになるよう最大限の努力をしたために引き攣った顔で――一家の面々を見渡した。
「お疲れさま。みんな。今日はもう解散していい」
「だな。任務終了だ」
 家庭教師も同調すると、出揃ったファミリーの面々は各自で解散した。残ったのは六道骸だ。
「綱吉くん。ちょっと」
 暗く笑えた。フッ。
「胡散臭い。近づくな!」
「なぜ帰りの新幹線からずっとその態度なんですか?! 納得いかないですよ。何を考えているんですか!」
「そりゃオレの台詞だ!」
 負けじと言い返す。リボーンがうめいた。
「何だよ……。痴話喧嘩かよ」
「痴話、じゃない! その関係を考え直したいんだオレは」
「そら、いい判断だな」声を弾ませる幼子とは真逆に、六道骸は両眼を見開かせた。喉はつまらせる。
「な、なぜ。君には僕が必要だ。好きでしょう?」
「信じられないよ。とことん自分勝手なんだから骸は!」
「やっと気付いたか、ダメツナ」
「カテキョーは黙れ!」
 骸が叫び、オッドアイと黒目とがバチバチ火花を散らした。
「なんだとお? 射殺するぞ」
「リボーン! 口を挟まないでくれ」
「……命令スンな。何だよ。やっぱ痴話喧嘩か」
 家庭教師は山高帽子の両端を掴んだ。もう知らねとばかりに帽子を深く圧しかぶる。綱吉は骸から目を離さなかった。交際宣言してから、リボーンは毎日拗ねているよーなもんだから、いちいち構っていられない。
 だがその態度も癪に触るらしい。家庭教師は、唇を尖らせてスーツの懐から銃口を見せた。
「テメーら外でもよおせ。ツナ、後で覚悟しとけよ!」
「ああ?! もーっ、おいっ。妙な方向に拗ねるなよっ」
「拗ねてねーよ、バァカ!」
 六道骸と共に部屋から叩き出されて、綱吉は歯噛みする。骸には人指し指を突きつけた。
「それもこれも全部お前のせいだ!」
「落ち着きましょう。綱吉くん」
 両手をあげて、どうどう、とばかりに手振りしてくる。骸の眼差しは静かだが、演技上手なこの男、滅多なことでは感情を露出させないため何を考えているのか定かでなかった。
「怒りの原因は何でしょうか」淡々と、問いかけてくる。
「全部だよ! お前と一緒にいると怖い思いばっか」
「仕方ないじゃないですか……。そんなことで怒らないで」
「骸さんはそれを楽しんでるからイヤなんだ!!」
 眼差しがぶつかり、綱吉は自分たちのバックにピシャッと稲妻でも瞬くような錯覚を強く感じた。そんな気持ちなのだ。
 押し黙った末に、骸が腕を伸ばした。肩が壁へと押しつけられる。
「なっにっ。を、脅したところでっ」
 裏声で叫んだ。骸は冷ややかに返す。
「そんなに信用できないですか? 君を守りたいだけなのに」
「ちょ……こ、ここ、廊下」
「だから? 君の家だから? それで止めるとでも?」
(こ、このやろお)首筋にぬるりとしたものが宛がわれた。舌が顎まで昇ってくると綱吉の顔面に影が差す。オッドアイの奥に、燃える何かを見つけられた。骸は、内心で怒っている。
 と、思うと、膝頭が震えはじめた。
 でも、この怒りすら本気なのだろうか。骸なら、よほど動揺していない限り、綱吉に自分の感情を悟らせたりしない。この関係はウソではないとどうして言えるだろう?
 そもそも、好きだとか愛してるとか、そんな甘い言葉は六道骸に似合わないのだ。
「――なっ、流されてなんかやるかぁああ! キスだめ!」
 ばしっ! 両手で骸の口元を覆って、押しのける。オッドアイの目付き一瞬だけ驚いてから恨みがましく変遷した。
「ふぉうふへ?」妙なくぐもり声だ。
「どーしてもこーしてもっ! だめなもんはダメっ」
 骸が眉間を険しく寄せあわせた、次の瞬間、
「うわっ!」慌てて掌を引き戻していた。骸が、ぺろりとその掌の内側を舐めたのだった。骸は僅かに舌を出したまま呟く。
「ふん……。今日の君は可愛くない」
「み、身からでたサビだと思うんだけど六道骸?!」
「うっとりさせてあげようと思ったのに」
「嘘つけ! とにかくキスはダメだ。しばらく近寄るなよ」
「えええ」口をへの字にする六道骸。
 綱吉は流されなかった。
「似合わない演技をするなッ。気持ち悪いから」
「僕を……僕を捨てるんですね」ヨヨヨヨ、と擬音でもつけたげに手で顔を覆い、泣きマネする骸である。悪ノリする内はぜえったいに仲直りするもんか、綱吉は脳裏で決心した。
「帰れ〜〜っ。黒曜町に帰れっ。もう来るなっ」
「綱吉くん。本気ですか?」玄関を追い出されたとき、六道骸は少しだけ不安そうにした。声裏に緊張めいたものがある。
 半眼で睨みつけた。
「冗談言ってるようには見えないだろ」
 バン。思いっきり扉を閉める。
 こうして、ゴングが鳴り響いたのだった。
 メールの無視に電話の即切り。これらのため一日目にして綱吉の怒りは六道骸に伝わった。二日目のことだ。
「綱吉くーん。開けてください」
「いやだ」
「扉、蹴破りますよ」
「死ぬまで絶交してやる」
「……綱吉クーン。開けてください。開けてー」
 沢田家の玄関。扉を挟み、延々と押し問答を繰り広げる二人組み。リボーンは沢田奈々とともに食卓についていた。
「ボーイフレンドを持つと大変なのねぇ」
「ママン。どこまで意味をわかっているんだ」
「いつもみたいに一緒に食べて欲しいわ。ツッ君、変なとこでガンコになっちゃうんだから」
 リボーンは箸で綱吉の分のおかずを寄せた。
「ツナの懐の広さはママン譲りなんだな」
「あら。骸クンはいい子よ。食器洗ってくれるもの」
「骸は信用できねー。絶対、ボンゴレに仇成すンだぜ」
 六日目。部屋の窓から侵入者があった。綱吉は首にタオルを巻いた格好で辟易した。風呂から上がってみれば、プレゼントで室内が埋め尽くしてあるのだ。
「歯ブラシまで贈ってるぞ。ツナのよく使うメーカー」
 寝床の発掘を中断して、リボーンがふり返った。
「あ、あんのやろう。どこまでオレのことプロファイリングしてるんだろう?!」
 頭を掻きむしる。綱吉の背を横目に、リボーンが噴いた。
「おまえら喧嘩してるときのが面白いな。傍から見てて」
「放っておけーっ! つーか尋常じゃないだろこれは! どっかに盗聴器でもあるとしか思えなくね?!」
「その心配はいらん。撤去中だ」
「だからさっきからプレゼント開けてるワケね、勝手に……。って、マジで仕込んでンのかい六道骸ぉおおお!!」
「なんだ、勝手に開けちゃいけねーみてーな口ぶりだな」
 そして七日目。校門から家までの全力鬼ごっこになった。
 八日目。六道骸が遂に扉を蹴破る気配を見せる。綱吉はリビングに向けて大声を出した。
「母さん! 玄関に出てっっ!」
「むっ……。そう来ますか」
 六道骸は唸る。腰に手を当てて、いつも通りにふんぞり返っているに違いないが。奈々が出て行けば、扉に手をかけて、僅かな隙間から家内を透かして見ようとした。
「印象悪くしたくないので帰りますけど。僕には母親がいませんから。将来の母親は大事にしたいんですよ」
 慌てて、綱吉は母親を引っ張り戻した。扉は硬く閉める。心臓はばくばくした。骸の過去に、というより、
「何でウチの母さんが骸の母親になるんだぁあああ!」
「実の母親のように慕ってくれてるなんて嬉しいわ」
「わかってない! 今の絶対そういう意味じゃなかった!」
「じゃあ、どういう意味よ」奈々がきょとんとする。
 綱吉は冷や汗を垂らした。沈黙は短く、
「墓穴掘ったな、ツナ」リボーンのからかいで終わった。
 九日目。全力鬼ごっこ再び。勝負は二時間にわたるが逃げ切った。そうして十三日目に突入する。
「……来ないな」
 自室である。下校直後なため、カバンを肩に提げていた。窓から見下ろす道路には人っ子ひとりいない。
 家庭教師は銃器の手入れをやめて顔をあげた。
「来ないと来ないでダメなのか。難しいヤツだな」
「メールも電話も来てないんだよね。三日間、何もない」
「マジで難しいヤっちゃなテメー」
「人を扱いづらい女の子みたいにゆーなっ!」
 唾を飛ばしつつカバンを投げる。音をあげ、ベッドが重たげに沈んだ。後ろ手でケータイ電話を握りしめる。
「ストレスで胃に穴が空きました〜なんてな」
「テメーに愛想がつきたんじゃねーの? ヤッタな」
「……」後頭部をぽりぽりと掻く。綱吉は部屋を出た。並中の制服そのまま、玄関で、スニーカーをひっかける。
「ツー君? もうすぐお夕飯よ」
 台所から尋ねる声がした。
「散歩いってくる」
 飛びだして二時間後、綱吉は黒曜町に居た。
 背後では、オレンジ色の光が小波を遠のかせた。腰に手を当て大通りに面するマンションの十五階を睨む。
 メッシュ素材で簡素な、深緑の財布からスペアカードキーを取りだす。キーは六道骸本人から贈られたものである。初めて使う場面がこうだとは思わなかったが――、十五階。リボーンと六道骸による教育によって綱吉は潜伏もこなせる程の実力を育ててきた。
 骸の在宅する一室にまんまと侵入して、忍び足でフローリングの上を滑った。綱吉は壁に張りつく。
(うまい具合に進んでくれたけど……)
 先の勅命書奪還作戦。帰り道、新幹線の中で考えたのは別の新たな作戦だ。うまい具合だ。すべてのことが。うまく六道骸を追いつめた筈だし、彼がうっかりと本音を漏らすように演出が出来た筈だ。
 リビングには三人。男性の声だけ。
「骸さま、だらだらするならご自分の部屋にしてください」
「いいじゃないですか。別に」拗ねた声でする。
 骸だ。固唾を飲み込んだ。恐る恐るとリビングを覗けば骸がソファーでふんぞり返っているのが見える。
(これじゃ本気で骸に会いにきたみたい。違うけど)
 今が好機だ。六道骸の正体を暴いてやるッ、胸中でうめいた。携帯電話を取り出して間もなく、騒がしくなる。
「!!」がばりっと身を起こして、オッドアイがケータイの画面を凝視する。その顔はみるみると明るくなった。
「千種! 犬! メール!」
「ハァ? 骸さん寝ぼけてるびょん」
「今どうしてるかって――、綱吉くんから!」
(……本気で嬉しがってるようには聞こえるけど……)
 ソファーに正座する六道骸。背後から千種と犬が首を出す。
「うっそだぁ。マジ? やっとフラれたと――ふぉブッ!」
「犬、口を閉ざしなさい」骸は得意になって拳を握る。
「これで立証できた訳です。僕は綱吉くんに嫌われてなんかいなかったんですよ!」
「骸さま、さすがの計算です」
 ボウルを抱え、お米を研ぎつつ柿本千種。
 綱吉の瞳には殺気が灯った。計算というからには、やはり演技か。騙していたのなら許せない。
「くふふっ。任せてください」
 骸は上機嫌になって親指でボタンを連打した。
 手中で綱吉のケータイがバイブする。ギュウッと握って音を潰した。

 ――寂しくなりましたか? 少し、冷静になってくれたみたいですね。距離を置いたのが効きましたか。――

(また勝手なこと言いやがって)
 胃袋の底がむずむずする。
 綱吉は瞑目する。やがて一文を完成させた。

 ――骸、わがままでゴメン。寂しかった。会いたい。――

 ぞくっとした。こんなものを送るなんて普段は絶対にない。
(さぁ、どうする。嘲笑うの? 計画通りだって?)
 浅はかなボンゴレ十代目をうまく自分の虜に出来ていると自慢するだろうか。
 神経を研ぎ澄ませて、深呼吸。
 送信ボタンを押した。
「…………」
 リビングで、骸は両目を丸くした。呆気に取られて画面に釘付けになっている。口も丸くなった。
 戸惑うように。彼は低く呻き声を出した。
「……う……、え……?」かぁっと頬を紅色にする。
 数秒経たずに額までが照れあがった。俯くと、前髪が動いて耳が出る。赤くなった肌では銀製のピアスが目立つ。困ったようにメール画面を見下ろして、すぐさま、骸は髪を直した。
「骸さま?」従者二人が喉を引き攣らせた。
 彼は戸惑いながら口を手で覆った。
「いってきます」
 ふぅ、と、のぼせたように深呼吸をして、直立する。
(っ?!)直感的に壁に貼りついていた。リビングから影が飛び出した。骸だ。走りながら片手を下にして、玄関を通り過ぎる傍ら、ローファーを指先で引っかけて掴み取る。小さく飛び跳ねた時には履き込んでいた。
 着地で、既に外に出ている。バタンッ! 扉そのものの重さによって自動的に閉まる――黒いシャツがはためくのしか見えなかった。
 綱吉は、壁にもたれて心臓を抑えた。ドッドッドッ!
 廊下は幅があって壁際にも物が置いてあるから、急いでいる骸には、姿がバレなかったようだが……。鼓膜の裏に心臓がきている。酷くうるさい。
「あーあー。また病気ら」
「今回は相当こじれてたみたいだからな」
 少年二人が廊下に出てきた。千種は、ボウルをがしゃがしゃ言わせて悔しげにうめく。綱吉には気がつかない。
「夕飯、ハンバーグだって言っておいたのに」
「ありゃ、もう今日は帰ってこねーれよ」
(……骸……?!)綱吉は限界まで両目を見開かせていた。
 ぜえぜえと息が乱れ、体が震える。視線は彷徨った。天井を見ても自分のつま先を見ても落ち着かない。
「そんなにいいのかなー。骸さああーん」
 犬が嘆く。綱吉は、呼吸を正しながら、柿本千種の肩目掛けて手を伸ばした。彼は、振り向くなり、手にしていたボウルを投げた。目を点にして声を裏返す。
「ぼッッ、ぼぼぼぼぼごれ――ッ?!」
 綱吉は空中へ漕ぎだしたボウルをキャッチしたが、米の研ぎ汁がびしゃっとして顔を濡らした。思わず呻く。
「タオルと水をもらえたりする?」
「だえええ?! いっ、いつからオマエがぁあああ!」
 従者二人がギョッと後退る。綱吉は、上の空に答える。
「あいつ、本気で考えてるのかなあ」
「な、何をお……、ゴホッ」
 犬は、衝撃から立ち直ると千種を押しのけた。
「ぼっ、ごっ、何ふざけたこといってンらよ!」
「ふざけたこと?」
「ボンゴレこそどーなんだってハナシだろ! 骸さんのこと、本気じゃれーんならからかうな!」
 思ってもみない指摘で、動揺した。
「……オレが? 骸を?」
(逆じゃなくて?)
「そうだ、ボンゴレ。それはそうと不法侵入だ」
 千種が呆れ顔でうめく。しかし彼は踵を返して綱吉の注文通りにタオルと水の入ったコップとを持ってきた。
 両手でコップをいただき、綱吉はおっかなびっくりに尋ねる。
「骸、どこ行ったのかな」
「お前のとこだろ」と、千種。
 綱吉の躊躇いは数秒だ。コップの中身をごくごく飲み干し、玄関に向かった。ありがとう! 声だけを残す。
「おいっ。骸さんにひどくするらよーっ!!」
 マンションを出ると、綱吉はケータイを握りしめた。
「リボーン?! 骸が来たらそこで待ってろって伝えて!」
『アァ? もう追い返したぞ』
「ぶッふうう!! アイツ超はえええ!! ど、どどどどこ行った?! 調べてっ。おまえなら出来んだろッッ」
 すれ違う人が振り返る。なりふり構っていられなかった。
「頼むよっ……! 後で何でもやるからっ、教えてくれ」
『テメー、そんなに好きだったのか?』
 ドキッときた。すきかな? 自問して、やがてこくこくと首を縦にするが、電話ではそれは伝わらない。リボーンは沈黙に何かを透かし見たようだった。
 ため息を契機に通話を切られる。足が縺れた。
(……くそっ。オレを見限るのかよ、リボーンッ。そりゃ骸なんて威張るし見下すし自分勝手だしプライド高いし歪んでるしヒト嫌いだけどっ。でも信じてやるべきだったんだ)
 バン! と、自動券売機に両手を叩きつけた。
 駅の構内である。通勤帰りの会社員や制服の少女が怪訝な顔をするが綱吉にはどうでもよく思えた。
 コッチは、それどころじゃない。
(オレは、ボンゴレを抜けたいってだけ考えて――、骸本人のことなんて全然考えてなかった。あいつ、マジメにオレのこと考えてたのか。オレが好きだって?)息苦しいのを堪えた。
 電車がくるのも走るのも、やたら遅く感じる。やっと並盛町に戻ってホームに降りた矢先、ケータイが動いた。綱吉はギクリとする。
「……リボーン? 何だよ」
『骸の居場所わかったぞ。並盛高等学校だ』
 高校は駅から近い。というより駅から見えている。
 肩で風を切って校舎をふり返った。シルエットが夜から浮かびあがっている。あそこに骸が、と、思うと、足が走り出した。

 

 引き戸の向こうで六道骸はぐったりしていた。足を大の字に開いて、イスに浅く腰かけ、背もたれの後ろに頭を垂らして両腕もだらんとさせている。黒が基調の私服。
「! 綱吉……」
 骸は薄く目を開けた。
 ぜえぜえしつつ、綱吉は後ろ手で戸を閉める。
「骸さん。そこ、オレの席」
 並盛高等学校二年C組、出席番号八番なのだ。骸は、一瞬だけ自らが腰かけるイスを見下ろし、皮肉げに口角を吊り上げた。
「フ。なんですか、踊り終わらせた人形を燃すとでも?」
 ふいっと顔を反らされて気を揉んだ。
「リボーンに何か言われた?」
「君は僕を利用だけして捨てる気だそうですね」
 六道骸は悔しげに呟く。
「それなら憎い。殺してやりたい」
「こらっ。キケン思想に行くなぁああーッ!」
 覚悟を決めて骸の前へと回り込んだ。今度は、自分が信じてもらう番になったのだ。
「骸さん。何を言われたんだ」
「リボーンは、謀られているんだと教えてくれましたよ。これまでの喧嘩は君の計画ですって?」
 綱吉は目を丸くする。家庭教師には全てお見通しだったのか。
「そ、それはっ……。骸さん。オレなりに考えたからだよ」
 オッドアイを覗き込んで、瞳にありったけの謝意を込めて、そうしてこの距離に自分から近づくのだけでも初めてだと気付いた。
「僕が馬鹿でした。普段、騙した騙さないだの気にしてるくせに、君は平気なツラして僕を騙すんですね
 六道骸は冷淡に告げる。静かな怒りが目に滲んでいた。
「骸さん、ごめん。オレ、骸さんのマンションに居たんだよ。急に飛び出したからびっくりした」
「……マンションに?」
 顔を引き攣らせて、骸が綱吉に視線を戻した。
 真前から綱吉を見上げる。
 こういうタイミングを待っていた。骸の前髪を掻き揚げて、体を寄せて唇を圧し付ける。綱吉は硬く両目を閉じた。ふつふつと、体の中が熱くなる。恥かしい。
 綱吉が離れると、骸が恐る恐ると問いかけた。
「今のは?」
「オレの気持ち」
 声が掠れた。綱吉は額に汗を感じた。
「今までちゃんと応えてやれなくてごめん。よくわからなかったんだ。お前がオレをどう思ってるのか」
 色の違う両眼。それが複雑そうに綱吉を見上げる。
「君は同情でキスができるんですか?」
「できるわけないだろ。あの……だから、違うよ。骸さん。久しぶり。ずっと避けててごめん」
 不思議と、彼の全てが愛しく見えてきて綱吉は戸惑った。喉を上擦らせる。間近で見上げるオッドアイは美しかった。滲みながら光る。
「会いたかった」
「……綱吉くん?」
 呟きながら、六道骸は綱吉の手首を掴んだ。
「……僕も」その掌は、ゆるゆると胸に昇る。シャツを掴まれて、綱吉は不安がった。
(怒ってる?)
 骸さん。ごめん。懺悔に六道骸は応えない。彼の指は頭を掴んで逃げるの禁じた。低く囁いてくる。
 ――もう一度やって。
 思わず、綱吉は離れようとした。
「綱吉くん」切なげに呼ばれると胸がざわめく。
「っ」
 仕方なしに、相手のものに唇を擦り付けると骸の柳眉が歪む。彼は綱吉を机に座らせた。その右頬に手を添える。
 夜の学校は静まり返って他から一切の物音がしなかった。
「こういう風にするんですよ」
 互いの声は頭の隅まで届いた。横合いからの口付けは、触れ合って数秒と待たずに濃厚なものへと変わった。
「んふっ……」
 下唇と上唇の隙間に舌が捻じ込まれる。
 舌の裏側をまさぐられて膝頭が震えた。震えは全身に広がってぶるっと甘く脳天を揺さぶる。反射的に胸を押し返した。
 キスという名目の仕置きに過ぎないのだ、と、それを予想しての抵抗だった。だが六道骸は優しかった。頻繁に角度を変えて舌同士を絡め合わせた。体から力が抜けた。
「っ、ぁ。むぅ……、は。ん」
 やんわり、労わるように下唇を食まれて背筋がぞくっとする。
「綱吉……」硬く閉じられた両眼を見つめつつ、ぢゅっ。唾液を吸い上げる。綱吉の背筋がピクッと反った。やがて、顎まで伝った唾液を舌で舐めて取って、骸はうなじをキツく吸い上げた。ガタリッと机が音を立てた。
「っ?!」
 頬を上気させたまま驚いていた。余韻で頭がぼうっとした。
「な、……何してんだよ……?」首筋を辿り、鬱血の上で指を止めてみる。むず痒い。彼はしれっとして尋ねた。
「だめなんですか?」
「え、えっと」思いっきり外から見えるトコじゃないか! 綱吉は内心で毒づく。うっとりしたのも台無しだ、が。
「…………。少しだけなら」
 手をどかすと、赤いにじみが皮膚の下に見えた。紅葉したモミジの色がぱっと綱吉の頬に散る。キスマークで、情念の深さを教えられた気がした。
「綱吉くん。僕はいささか自分勝手かもしれません」
 震声が矢継ぎ早に告げる。響きは哀願だった。
「でもこれだけは本気なんですよ。ボンゴレの名前は、いつか必ず君を壊す。綱吉くん。愛してるんです。壊れて行く君を見たくない。君は、君らしいままで生きて欲しい」
「骸……」
 自然に、言葉が喉を通る。目の前の彼が愛しくて堪らない気持ちになって綱吉はにこりと笑んだ。
「ありがと。愛してる」
 オッドアイが丸くなる。次には、潤んだ。
「ええ。僕もです。綱吉くん」
 言って嬉しげに小首を傾げる。
「初めて僕にそんな甘い言葉をかけてくれましたね。ああ、勅命書を横流しした甲斐がありました。苦労が報われます」
「…………あ?!」
 綱吉はみるみる青褪めた。
 約二週間前、奪還したのは勅命書だ。しかしこの件のせいでボンゴレの日本支部建設計画が頓挫しかけている。
「お……、おまえが横流ししたのかぁああああ!」
「六道骸らしいでしょう」
 悪びれなく、少年は舌を出した。
「なんだか僕らの計画が遅れてるって思ってるようですが、ちゃんと完璧ですよ。僕は。もちろん水面下で、ですが」
(や、やっぱり人生終わりかけかもッ)綱吉は思った。
 だが恋人がコレほど大胆不敵で図太いヤツなら、長生きできる気もした。パートナーが最強で最恐だ。色んな意味で。




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