むくつなぐる〜み〜


「ひのふのみ、うし、全員揃ってやがんな」
 手早く点呼を済ませて、家庭教師リボーンがクリスマスのサンタよろしく肩にかけていた大袋を降ろした。
 シチリア島北西部、パレルモ国際空港である。
 ボンゴレ十代目・沢田綱吉と、その守護者が集結している。十時間以上の空旅を乗り越えてきた直後で、全員が疲れた面持ちだ。綱吉は警戒を声にこめる。
「どこいってたんだよ? リボーン」
「九代目からの迎えのワゴンがきてる。だがその前にコイツらをくばる。いいか、お前らの今回の旅の目的は?」
「目的って……。ボンゴレファミリーに挨拶に行けって言ったのはお前だろ! しかも昨日に唐突に!」
 暗にオレの日曜日を返せと言っているらしかった。
 ファミリー出資の下、いくら連休を利用したといっても、準備もなしに国外に飛ばされるのは心臓に悪いようだ。
 六道骸が、ポツリと同調した。
「まったくね。第一、僕は君達の正式な仲間では……」
 リボーンは二人の文句を無視した。
「おまえら、自分の人形を取れ。そいつらと一緒にアピールすんだぞ。次代のボスと守護者です、ってな」
「……リボーンってボンゴレファミリーのナビゲーターかなんかだったの?」
「バイトだ。お前らの案内が終わったらオレは休暇なんだ」
 スーツ姿ではなく、赤いポロシャツに丸い縁取りのハットなんて被っているから、そういうオチだろうと骸は思っていた。誰にも聞こえない声量で囁く。
「くだらないですね……」
「げえっ! お、お前、いなくなっちゃうの? オレ、一人なの? シチリア島まで来てオレをほーりだすのか?!」
 そんな会話を真横にしつつ、守護者達が袋を開けた。
 人形が入っている――、彼ら自身を精巧に模した特注のぬいぐるみだった。
「すげー。たけぐるみってか?」
「山本、妙な愛称をつけんなよな」
「お前んのはごくぐるみか。あっちはひばぐるみ」
「人の話を聞いてンのか?!」
 山本武と獄寺隼人が騒ぎ出した。骸も、人形を取りだしたが、クローム髑髏ではなく六道骸を模しているのには少々驚いた。だから今日は自分一人がシチリアまで呼び出されたのか、と、納得もする。
(復讐者の檻を出たときから少しは覚悟していますが――、このまま、なし崩しで僕をファミリーの一員に組み込む気か? アルコバレーノ)
 冷めた気持ちになって、口角を吊り上げる。
(甘いな! 沢田綱吉の肉体さえ入手できれば用は終わりだ)
 と、山本武がふり向いた。
「おっ。お前の分もあるんだな、六道サン」
「クフ。むくぐるみってところですね」
 営業スマイルを作り、ぬいぐるみの頭を撫でてみせる。
 愛らしいつぶらな瞳は、赤と青のカラーリングに分かれている。赤目には六の文字。黒曜中の制服も、下に着ている迷彩シャツも、精巧に再現してあった。
(さりげなく、かなりの出来だな。これが無駄な部分への投資を惜しまないというイタリア最大のボンゴレファミリーの底力、か?)
 まじめに考えるのがちょっと馬鹿らしくなってくるが、骸としては、敵情視察でこの島まで来たつもりだ。馬鹿らしくても最後までついていかなければ。好奇心旺盛にならなければと自分を叱る。
(ついでに、沢田綱吉のガードがゆるくなれば満点なんですけど)
「ひ、ひばーどがっ」
 喜びでの感動か、ショックを受けての戦慄か、掠れた声で、雲雀恭弥がひばぐるみを握りしめている。ひばぐるみの頭にはチョコンとヒバード人形が付属している。これが驚きらしい。
「こいつは、ボクサーだな!」
 笹川了平は、ボクシングパンツ姿のぬいぐるみの頭を楽しげに掻き混ぜる。
 私服姿の彼らが、それぞれの反応をする中で、沢田綱吉はまだ家庭教師と話し込んでいる。
 彼がいなくなるのは不安らしい――、骸にすれば好機だ。
 と、視線がぶつかった。綱吉と。
(僕を警戒してるのか?)
 心臓が微かに跳ねる。
 骸は、綱吉から気忙しげな眼差しを注がれるのは好きだった。毛を逆立てている猫を無理に触ろうとするみたいでゾクゾクする。
 沢田綱吉は、マフィア殲滅の手駒の筆頭となる予定の少年だ。
 丁重に受け入れる準備は整っているし、綱吉を入手した後、仲間を連れて日本から逃亡するためのルートも確保してある。
 あとは、綱吉が堕ちさえすればいいのだ――、
 と、思考を中断した。
 右腕に奇妙な重みがかかっている。持ちあげれば、長袖迷彩シャツの袖に、ぶらーんとぬいぐるみが垂れ下がっていた。
 沢田綱吉に、よく似た顔だ。
(つ、つなぐるみ)
 思わず胸中に呻く。
 並中制服姿の綱吉人形は、楕円の瞳でこちらを見上げる。
 微かに眉を八の字にしている。そのせいか、瞳を形作るプラスチックがウルウルと潤みを帯びているよう見えた。
「な……っ!」
 オッドアイを見開かせて、唖然とする。思考が再稼働を果たす前に、
「うわぁ?! こ、こいつら自分で動くぞ?!」
 隼人が叫んだ。ごくぐるみがたけぐるみに襲いかかっている。

「マイクロチップが入ってンだよ」
 当たり前のような顔で、家庭教師が言う。
「お前らの抜け毛を採集した。遺伝情報をサルベージした後に性格を抽出、コピーして、埋めこんである。お前らの双子みたいなもんだ。めっちゃほっせェ疑似神経をグルミーズ共の全身に、」
「なんだ、ぐるみーずって」
 綱吉が青い顔でツッコミする。理解しがたいと、頭を手で抑えてもいる。
「チーム名だ。戦隊ものっぽいだろ。で、全身に神経が通ってるから動くんだよ、ボンゴレファミリーのゴーラ・モスカに応用する予定の新技術試作品だ。宣伝用のキャンペーンロボットだゾ」
「スゲェっすね。ハンパネぇす! さすがボンゴレです!」
(そういうレベルか?)
「そういうレベルなの?! 現代科学が形無しだぁああーっ!」
 両手をふるわせる沢田綱吉を、ほとんど反射的にふり返ってしまってから骸はハッとした。さりげなく視線を反らす。
 既に、ボンゴレ九代目の私邸に移動した。
 応接間だ。グルミーズについて話している間に、執事が現れた。各自の部屋を書いてありますと言って『シチリア合宿三日間』とタイトルがついた冊子を寄越してくる。
「シチリアに散らばる一家の幹部方に、全員でお会いください。幹部にはあなた方の顔を、あなた方には、ボンゴレがどのような外部活動をしているのかを知っていただきます。次世代のファミリーを担う最重要人物としての自覚をどうぞお大事に」
(どこぞの学校の新入生オリエンテーションのような……)
 などと思い、冊子をめくっていると、
「マフィアがンな新人研修のよーなことしてていーんか!」
 ガマンしきれないと、沢田綱吉がツッコミを入れた。
 今度は微笑がこぼれてしまった。
 沢田綱吉のこういうところに、骸は素直な好感を持っていた。
(好感――、好き、ね)
 改めて、違和感を覚える。足元からの違和感に、意識の大部分が奪われつつあった。
 休憩になったところで、声をかけた。
「綱吉くん。これってどういう――」
「うるさい!」
 彼は、顔面を赤くして怒鳴る。
「お前こそ何なんだよ! これ!」
 背中には六道骸を模した二頭身のぬいぐるみがひっついていた。赤ん坊を背負ったような図になっている。
「……君に好意があるのでは?」
「なっ、お、まえなぁ。取ってくれよ」
 言われて、人形を掴んでみるが、簡単には離れそうもない。早々に諦めた。
「リュックサックみたいですね」
「呑気なこと言ってる場合か! なんでこいつがくっついてくるんだっ」
「君が好きなんでは?」
「…………」
 うぐ、と、綱吉が言葉をつまらせる。
「前々から言ってるじゃないですか。いい加減に僕のものになってしまえと――」
「うるさいな、やめろよ、こんな場所で」
 歯噛みする。意を決したように、綱吉が右手でむくぐるみの頭を突き飛ばした。しかし、へこたれず、むくぐるみはアリかヘビのように綱吉の右腕に絡みつく。
「ひ、ひぃっ?!」
 ゾワゾワしたのか、首を竦めて綱吉が硬直している間に、むくぐるみは右腕を昇ってまた背中に貼りついた。
「あっ、ちょ、も、もおなんだコイツは! 骸、やめさせてくれよ」
「僕は別に操ってないですよ」
 呟くが、いささか直視がつらい光景に思えて骸はテーブルの周辺に目をやった。守護者達が思い思いに休憩している――ぬいぐるみの相手をしている。
「……そこまであからさまに君に反応するとは、すこし、意外ですけどね」
 ペロリと舌をだした。
 骸が手を離すとすぐだった。むくぐるみは沢田綱吉に突進して抱きついた。空港からずっと、そんな調子で、綱吉にくっつくか後ろをステステと走っているかのどっちかだ。
 こほん。居心地はよろしくないが、気を取り直す。
「ですがね、綱吉くん」
 他の守護者の手前、声を低くした。
「恥ずかしがってるんですか? ある意味では正しい結果ではないですか。僕は、君にしか興味ないわけです」
「ず、ずばずば言うな……っ」
 ガマンの限界だと、綱吉が耳を赤くする。
 その視線が気弱にブレる。骸の足元を見た。そこには――沢田綱吉をコピーしたぬいぐるみ、つなぐるみがいる。
 つなぐるみは、六道骸の周辺をうろうろしていた。今も私服のブラックパンツを引っ張り、気を引こうと頑張っている。
「…………」
 六道骸も、革靴の上に乗ってピッピッと服を引いてくる存在を見やる。心底から、不思議そうな、戸惑いを秘めた問いかけがでた。
「……君、本当は僕のことどう思ってるんですか?」
「ど、どおも思ってない」
 硬い声で、綱吉。
 べ、と、少しだけ舌をだしながら毒づく。
「誰がお前の仲間になんかなれるか」
「そうはいっても、つなぐるみは僕に全幅の信頼を置いているようですが」
「っ、む、骸の髪型がパイナップルに見えて珍しいんだ!」
「つ・な・よ・し・く・ん。君ねー、もうちょっと素直に――」
「うるさい! むくぐるみをどーにかッ、」
 と、ハッとして顔をあげたので骸も習った。むくぐるみとつなぐるみの動向は、誰もが気にしていたらしい。テーブルの反対側で、四人が背中を丸めて潜んでいる。
「やっぱりアヤシーのな、二人とも」
「十代目は骸なんて気にしてない気にしてない気にしてない気にしてない」
「どーでもいいけどねぇ」
「そうか、ボクシングが好きかりょーぐるみ!」
 武に隼人、恭弥に了平が、小声で言葉を交わしつつも耳を澄ませている。
 ばぁん! 
 綱吉が、両手でテーブルを叩くと同時に立ちあがった。勢いがあったので、『アッ』とばかりにむくぐるみがカーペットに落下する。
「オレ、外の空気吸ってくる!」
 起きあがり、むくぐるみが両手をパタパタさせながら小走りで綱吉を追った。
「…………。好きなんですねー」
 骸の口角はヒクりとした。
(標的に過ぎないんですけどね。むくぐるみはなんであんなに必死なんだ)
 リボーンが言うように、自分に準拠した存在であるとは受け止めにくい。綱吉にとってもそうなのだろうか。テーブルの紅茶を手に取り、首を傾げてみる。
 ……ピッピッ。
 足元の存在が、ひたすらに服を引く。
「君の主人は外ですよ?」
 戸惑い顔で覗きこんでみると、つなぐるみはプラスチック製の丸目を骸に向ける。目が合った途端に、ほわわ……、と、点描で描かれた楕円が飛び交うような気がした。
 な、なんだこの存在は。
 引き攣りつつも、ニッと営業スマイルを浮かべてみる。
 つなぐるみが、恥じらうように視線を反らした。
(さ、さすがに似ている……のか?)
 手を出してみようかと悩む間に、執事が戻ってきた。途中で捕獲したらしい沢田綱吉を連れている。綱吉は、疲れた顔でむくぐるみを背負っていた。

「テメー、往生しやがれ!」
 獄寺隼人が、躍起になってひばぐるみの背中を両手で取り押さえる。雲雀本人は、既に行方をくらませたので、宣伝担当のひばぐるみだけでも確保したいらしい。
「ご、獄寺くん。守護者は?!」
「グルミーズを含めれば全員いますっ」
「じゃ、じゃーもう行こう! 挨拶行こう! オオカミと赤ずきんちゃんやろう!」
 沢田綱吉は、赤茶のジャケットをはためかせながら小走りで丘へと向かう。
 白い建物が見える。ボンゴレが経営する孤児院があるらしく、十代目と守護者は、人形劇を上映するというスケジュールになっていた。少しずつ、歩調を緩めて、骸はメンバーの最後尾についた。
(……ばからしい。やれやれですね)
 あるところで、さりげなく道を曲がる。住宅街の方へと歩く最中に、
「じゅ、十代目! 骸が消えました!」
「どえええ?! ちょ、み、みんな何でこう次から次に――っ、て、お兄さんは?! どこ行った?!」
「あ、あっちの建物が気になるってさ」
「幼稚園児か!」
 ぎゃあぎゃあした騒ぎ声が聞こえる。うんざりとしながら、嘆息を吐いた。
(さすがに、人形劇はないですね。付き合いきれませんねぇえ)
 足早に立ち去り、ジャケットのポケットに両手を入れる。
 鼻腔から深く息を吸いこんだ――シチリアはいい天気で、風も穏やかだ。終わる頃合いまで散歩でもしようと決める。
 しかし、五分と経たずに六道骸は足を止めた。
 肩越しにふり返る。
「…………」
 二頭身の生きるぬいぐるみが、壁に手をついて、おぼつかない足取りでよちよちと前進していた。つなぐるみだ。
「ついてきちゃったんですか?」
 困惑に眉を寄せて、こぼれた声は思ったよりも迷惑げに変じる。
「綱吉くんは? 君を抱いてたと思いましたが」
 グルミーズにお喋り機能は付属しない。見下ろしている間に、こてんと前に転んだ。二頭身なので頭が重いらしい。
 ……ふるふると、丸い手を石畳に立てて、起きあがろうとしている。
 ヘタすれば骸には単に硬直しているだけに見える。何回も転んだのか、つなぐるみの体のところどころが汚れていた。
「本体とやっぱり似るんですかね? 立ち振る舞いとか」
 言いながら、スタスタ歩いていたむくぐるみを思い起こす。
 捨て台詞のつもりで冷たく告げた。
「……僕、誰かに拘束されるのは嫌いなんですよね」
 ブーツの踵を返して、シチリア市街を目指す。人通りが盛んな方に行けば、さすがに、つなぐるみもついてこないだろう。
 しばらく歩いた。
 だが、骸は、こっそりと背後を見やった。まだついてきてるのかと気になった。
 つなぐるみはまだ歩いていた。
 距離を開かせまいとしてか、今は壁から手を放しての二足歩行を試みている。両手をうろうろと前にさまよわせ、おぼつかない足取りで下手な行進をする。口の縫い目は逆三角形に歪んでいて、悲しげな顔立ちに見えた。うー、とか、不満を持った児童みたいな声まで幻聴として聴こえそうだ。
(……しょうがないなぁ)
 オッドアイを窄めつつも、骸は、その場にしゃがんだ。
「ほら。せめてここまで来なさい」
 両手を広げて、抱きつく空間を作ってやる。
 パァッとつなぐるみが喜びに目をきらめかせた。ぽて、ぽて、とした歩行サイクルを速くして両手を伸ばしてくる。
 一分ほどかけた後、『ひしっ』とした感触で胸元に飛びついてきた。
 お尻を手で掬い上げるようにして、抱きあげて、立ちあがる。
「よしよし。一人でよくがんばりましたね」
 不覚にも笑みが漏れた。つなぐるみは、けなげで良い子だ。
 髑髏プリントのシャツに、つなぐるみがすりすりと頬擦りをする。綱吉によく似ているせいか照れ臭くなってきて頭を撫でてあげるのはすぐに止めた。
 かわりに、頬についている泥を拭いてやる。
「いつからついてきたんですか? イケマセンね。知らない人に見つかったら大変だ。一生、玩具にされちゃいますよ?」
 ヒソヒソ声の問いかけに、意味がわかるのかわからないのか、つなぐるみはプラスチックの双瞳をまたウルウルさせる。そうしながらペットリと身を寄せるので『ごめんなさい』とでも言っているよう思えた。
 赤ん坊でも抱くように持ちながら、市街へと歩きだした。
「一緒に散歩しますか?」
 クスリと苦笑が漏れた。
(かわいいな。そんなに僕が恋しいのか?)
『――性格を抽出、コピーして、埋めこんである。お前らの双子みたいなもんだ。――』と、リボーンのそんな言葉も蘇る。
(まさか……な……)
 沢田綱吉の横顔まで蘇ってしまって、骸は一人でかすかに目のあたりを赤くした。
 つなぐるみは、指で顎やら頬やらを撫でてやるとうれしそうにコロコロした眼差しを向けてくる。
「かわいい……ですね」
 控えめに感想を漏らしてから、どうせならキレイなものを見せてやろうと考えて広場の方へと足を運んだ。

 綱吉は、数秒ばかり思考が停止したようだ。ポカンとして腕に収まるつなぐるみを凝視する。
 夕陽が昇り始めた時刻だ。骸は、散策を終えて何食わぬ顔で駐車場まで戻ってきたのだった。
「恐らく寝てるんだろう、あいつのことだ!」
「コラァッ! でてこーい! 野生児!」
 了平と隼人が肩を並べて、駐車場脇にある林を捜索している。雲雀恭弥がまだ行方不明らしい。
「大体、ちょうどいい頃合いのようですね」
「お、おまえ……」
 どこに消えてた! とか、そんなツッコミかと思いきや、綱吉は腕の中を覗こうとする。骸はワゴン車に一足先に搭乗する。
「どこでそいつを拾ったんだよ」
「綱吉くん、この子を放置しましたね? かわいそうじゃないですか」
「め、目を離してたら消えてた」
「へえ。保護してあげたんですよ、僕は」
「……誘拐の間違いじゃなくて?!」
 ワゴン車のスライド式の扉を片手で抑えながら、綱吉が喉を震わせる。まるで誘拐であって欲しいと願うかのような態度だ。背中には、相変わらず、リュックのようにむくぐるみを吸着させている。
 少し、イラッとしたが、骸はつなぐるみの腋下に手をいれて『たかいたかい』をした。暴れる様子もなく、つなぐるみはされるがままだ。骸の顔に向けて両手を伸ばす。
「自分からこちらにヒシッと抱きついておきながら誘拐だと叫ぶ輩が居たら会ってみたいもんですよ。君は言いそうですけどね」
「なっ……。イヤミかよ」
 顔を顰めているが、それを無視して、つなぐるみに笑みを向けた。
 と、不意に、つなぐるみの制服がヒラリと動いたのにオッドアイを奪われる。指でシャツを摘んでみる。
「あ。すごいですね。服を着せてるんじゃないですか」
 純粋に、作り込みに感心してつなぐるみを逆さまにした。
 ぐいと、ズボンに手をかけると、
「なにしてんだぁああああ!」
「ぐ!」
 沢田綱吉の平手が顎に飛んだ。
 勢いがついて、がん! と、後頭部を後ろにぶつける。綱吉が怒りの形相でつなぐるみを引ったくった。
「信じらんない! このッ、ヘンタイ!」
「っつ……、信じられないって僕の台詞ですよ、なにすんですか」
 胡乱に睨みつける。かすかに冷や汗を浮かべたが綱吉も対抗するように睨み返してきた。緊張の糸が走る――が、すぐに切れた。
 つなぐるみが、綱吉に首根っこを掴まれたままで手を伸ばそうとする。
 ヨシヨシ。
 慰め、励ますような手つきで、骸の頭に触った。
「…………」「…………」
 二人揃って、目を丸くして、沈黙する。
 つなぐるみはまだ手を伸ばす。
 ワゴン車内にぶつけた後頭部を、撫でてあげたいようだ。
「ちょ、ちょっと……」
 戸惑った声音を搾りだしたのは骸だ。
 さすがに、予想外で、視線を俯かせたまま汗を光らせる。
 綱吉は後ろによろめいた。顔を真っ赤にして、両目を充血させる。声にならない悲鳴をあげているらしい――口を『い』の形に引き伸ばして震えている。
「…………っっ!!」
「だいじょうぶですよ、つなぐるみ」
 綱吉が手を放したので、つなぐるみは骸の頭に乗っている。その体を両手で抱きあげたが、つなぐるみは、まだナデナデを続けたがった。やめなさいと、骸が腕に抱くと不思議そうに首を傾げる。
「…………」
 は、と、短く息をついて、骸は半眼を綱吉に向けた。
 言ったら泣くかなと、少しだけ思った。
「こういうことを思うなら、殴らないで欲しいんですけ、ど」
「ちッ、ちがうッ〜〜〜〜」
 動揺が伝わったのか、むくぐるみが、顔を綱吉の隣に出した。『ん?』と、尋ねるように、頬をスリスリと押し付ける。
「っ、ち、ちがう。ちがう!」
 ヤケになったように叫んで、綱吉がすばやくむくぐるみの頭部を鷲掴みにした。ばしん! と、野球の投球フォームの要領でふりかぶって六道骸の顔面に叩きつける。
「ぶ!」
「これ返す!」
 乱暴に、ワゴン車の扉を閉めると、綱吉は雲雀恭弥捜索隊の方へと逃げていった。
 ぶつけられた反動で、シートに体を沈めつつ、骸は呆れた顔をする。
 と、その鼻先を、つなぐるみがナデナデした。
「……なんなんですか、きみたちは」
 思わず、気弱な声が漏れだした。つなぐるみの丸い瞳と、丸っこいボディには奇妙な包容力を感じるので呟いてもみる。
「それは、きみの本心なんですか?」
 そ、と、頬に指で触れてみる。
 だが、なんだかそう尋ねたことが自分で恥ずかしくなってきて骸は奥歯を噛んだ。
(本心だからって、なんなんだ……。だからなんになるって言うんだ?)
 綱吉が撫でてくれて、自分が、彼に撫でられて。
 それがどんな意味になるのか。
 心臓がトクトクと鼓動を刻む。ひとまず、骸はそっぽを向いてぶっきらぼうに呟いた。手で人形を隅に押して、つなぐるみのナデナデをやめさせる。
「どうもね、お気遣いをどーも」
 そうして、ワゴン車の窓にかじりついているむくぐるみの後ろ襟首を捕獲する。
「君は僕といなさい。ホントに怒りますよ、彼。ハイパーモードになると面倒なんですからね?」
 あるいは、自分のために、むくぐるみを綱吉から引き離したかった。確かに沢田綱吉を必要としている自覚はある――、が。
(べつに、酸素かご飯みたいに思ってるワケでもナシ。単なる標的に過ぎないんですよ)
 暴れるむくぐるみに、苦々しい気持ちになった。
(お前はそれをわかってない)
 ち、と、舌打ちがこぼれる。
 顔がやたらに熱いので自然と口元を手で抑えた。上目遣いで窺ってみると、沢田綱吉は既に林中へと姿を消していた。

 雲雀恭弥は昼寝中のところを発見された。三十分後、大あくびをする彼をワゴン車に詰めこみ、ようやく、移動となった。
 さりげなく、沢田綱吉は助手席に収まった。骸から一番離れている場所なのだ。
「よーするにまた特訓なんだろこれは。オレに守護者の管理能力があるかどーかを試してるんだ。運転手さん、なんで記録映像撮ってるか訊いていいですか!」
「これが仕事なんでね、十代目」
 言いつつ、運転手はハンドルの隣に立ててある監視カメラを指でつつく。内心で賛同しつつ、二体のぬいぐるみを両腕で抑えつけながら、窓の外を眺める。
(恐らくそういう特訓なんでしょうね)
 その夜遅く、日付変更線を跨ごうかという頃に、ようやく安息の時間となった。
 六道骸はガウン姿であぐらを掻いていた。ベッドの上だ。
 部屋から出して貰えないと悟ると、むくぐるみは標的をつなぐるみにチェンジした。とん! と、押しては転ばせて、どうにか立ちあがったところを、
「…………」
 また、とん! とする。
 つなぐるみは、よろめいて膝をつく。悲しげにブルブルと震えた果てに、どうにか、気を持ち直して立ちあがる。むくぐるみは両手を構えてじりじりと近づく。つなぐるみはちょこまかと覚束ない足取りでベッドの上をさまよい、転ばされて、また起き上がり……。
「…………」
 六道骸は、黙りこんで目前の珍事を眺める。
(うーん。なにか、こう、納得いかないとゆーか釈然としないといいますか)
 つなぐるみが骸に泣きついた。骸の膝をたたいて抱っこを求める。
 はいはい、と、骸が手を伸ばせば天の助けとばかりに抱きつく。そのボディを持ちあげながら、カーテンで閉ざした窓辺へと視線を向ける。
(僕とボンゴレって……どういう関係でしたっけ)
 少なくとも、今、目の前に展開されている光景は……。もはや何が正しくて何が間違いかわからない。
 昼間、やたらと怒っていた姿が思い出された。
 と、むくぐるみが、骸の足を昇った。抱かれているつなぐるみの髪をぐいぐいと引っ張る。
「はいはい。遊んで欲しいそうですよ」
 一応、自分のコピーなので、便宜を図ろうとするが、つなぐるみは『いやー』という風に首をふる。
 返答に困り、特に何もしないでいると、やがて、むくぐるみが勝手に骸の腕中からつなぐるみを引き摺りおろした。
 つなぐるみがガウンにしがみついて足をバタバタさせている。
「……イヤですって」
 どうにか、それだけを呟いて、骸がむくぐるみの額を抑える。
 つなぐるみを抱く。だが、またむくぐるみが足によじ登る。またちょっかいを出してくる……。と、こんなことを延々とやっているせいだろうか。もうすぐ深夜の一時だ。
(グルミーズどもをずっと見ているせいか? ホントに、僕は何をしたくてここまで沢田綱吉を追ってきたんだか)
 それにむくぐるみのこの異様な執着心は何なのか。
 また、むくぐるみがつなぐるみを奪っていった。
 片足を掴まれ、ベッドの上をずるずると引き摺られてつなぐるみが離れていく。つなぐるみは骸に向けて両手をパタパタさせる。
「……はいはいはいはいはいはい」
 小声でぶつぶつ呻きつつ、あぐらを崩してベッドに膝をつく。
 つなぐるみを抱きあげながら、骸は心身を侵食するあまりよくないものの気配を敏感に感じ取っていた。
(僕らしくない。こんなの。家政婦じゃないんだから。こうなったら誰か適当に殺してきて血でも見るか)
 幸いなことに、マフィアがたくさんいる地域だ。うまくいけばボンゴレファミリーを主犯格にしたてあげられるかも――、と、計画を立てかけたところで、懐にモゾモゾ動くものを感じた。
「…………? 眠いんですか?」
 つなぐるみが、うっとりとしているように見えた。胸に体をすり寄せてきて骸に全体重を預ける。
 心臓にわななくような鼓動が広がった。
(ろ、ロボットなんでしょう? 眠くなるはずがない)
 とは、思うのに、あやす手つきで、優しくつなぐるみを揺する自分がいる。くるんとした両目を見たくなくて瞼を閉ざした。無闇に呼吸が細くなる。
「オヤスミナサイ。綱吉」
(沢田綱吉は何を考えてるんだ。僕にすべてを預けて眠りにつく――そんなこと、本心で望んでいるんですか? そんな……そこまで気を許してくれる……なんて、ありえるんですか? 君に)
 つなぐるみの前髪を指でスイと持ちあげる。露わになった額に吸い寄せられて、唇を押し付けた。
(抵抗もしない)
 体内に赤い炎がむらりと起こる。ベッドに寝転び、頭上に電灯を頂きつつも、ふにふにした場所に移して感触を味わった。
(やわらかい、綱吉――、君が求めてくれるなら、僕は、)
 ……と、そこでハッとする。
 本当の意味では何も考えてはいなかった。ただ、そう、ただ目の前の存在が可愛かったからキスしてみただけのことだ。だが沢田綱吉の面立ちを再現した人形を目で確認すると体内が騒いだ。
「っ、チッ」
 慌てて、自分の唇をごしごしと手の甲で拭いた。
(ちくしょう。うっかりしました――)
 何をどうウッカリしたのかと、尋ねられたら困る。妙に焦って辺りをみまわす。すぐ隣で六道骸の奇行を眺めていたのはむくぐるみだった。首を傾げて『なにしてるの?』の顔だ。
「…………、も、もう寝ましょうね?!」
 骸は引き攣った声で二体のグルミーズを抱き寄せた。

「サイアクだぁっ」
 大きな声で喚いて、沢田綱吉はベッドにダイブする。
 ばうん。スプリングで跳ね返る感触を全身で味わって目を閉じる。顔中が真っ赤になっていった。
(シチリアなんて来なきゃよかった。なんなんだ!)
 日中のことを思い出そうとすると、六道骸の姿もでてきた。過去にかけられた言葉の数々が浮かんでは消えていくので頭を両手で抑える。
『綱吉くん。僕には君が必要なんです。一緒にこの世界を壊しましょう?』
『守ってあげます。大事にします。それこそ、男性が恋人を守るのと同じように、誠意を尽くして君の身元を引き受けます』
『僕のものになりなさい。やさしくしてあげますから』
(……うそくせェー。誰がンな言葉を信じられるっていうんだ)
 ベッドに潜りこむと、ガウンの裾が広がるような感じがした。一人部屋なので、乱れを気にする必要がないのは助かる。
 部屋の電気は消してある。目を閉じると、密やかな自分の呼吸だけが体内に跳ね返った。
(骸なんか――、なんとも思ってない。つなぐるみもオレとは違う、に、決まってるじゃんか。くそ。動揺するのはどうしてなんだ)
 煩悶混じりに瞼を閉じて、眠りにつく。そうして一時間ほど過ぎた後だ。
 綱吉は鼻にかかった呻き声を漏らした。
「ん」 寝返りを打とうとしたが、なぜだかうまくできない。重みのある何かが、腹の上をもぞもぞしている。
「んあ……?」
 薄っすらと、両目を開けた。
 ちょうど、そこで、すぽんとガウンの中からでてくる顔があった。
 つぶらなオッドアイ。丸い手。二頭身のボディ。忠実に再現してある黒中の制服。むくぐるみが這って進んでくる。
「…………」
 目を見開かせてしまう。
 思考が止まる。むくぐるみが、顔の真上までやってきた。じりじりと顔を近づけてくる――。
 唇同士をくっつける前に、ガシリと、綱吉の右手がむくぐるみの額を鷲掴みにした。
「っ……ぎゃああぁあぁあああああ?!!」
 悲鳴が迸った。

 全体重をかけて扉を叩き開ける。
 バァン! その叩音にギクリとして六道骸は速やかに体を起こす。眠りが浅いので就寝中の緊急事態にもすぐ対応が効くのだ。
「?! さ、沢田綱吉?」
 暗闇に目を凝らして、骸が絶句する。
 胸元が大きく開いた、乱れたガウン姿で、沢田綱吉は青い形相をしていた。荒く呼吸をして、右手に提げるむくぐるみを突きだす。
「なんだこれは!」
「はぁ? あ、いつの間に」
 布団をめくれば、むくぐるみの姿が消えていた。
 つなぐるみは体を起こす。すぐに、ピトリと骸に体を寄せる。
「――――っ、監督不行届だよ、骸サン!」
 見ないようにしているのか、綱吉は、瞼を半分閉ざした半眼にしながら人形を突きだした。
「何かされたんですか?」
 ひとまず、綱吉を部屋にいれた。
 ぐちゃぐちゃになったガウンが注目されているとは自分でも気付いたらしく、綱吉は片手でガウンの乱れを直す。
「た、大したことじゃないっ。ビックリしたんだよ。ちゃんと見てろよ、そいつ」
 その反応と、就寝直前の出来事を思い出して、骸がポソリと呟く。
「キスされました?」
 はっとして、綱吉は息を呑む。
「お、おまっ! やっぱお前の差し金なんじゃないのか?!」
「それは違います。何してるんですか、君、人形相手に」
「んなぁっ! し、してない! っつーか勝手にしよーとしたんだよっ」
「なんでそんなに動揺してるんですか?」
 綱吉はみるみると顔面を火照らせる。骸も、つなぐるみにうっかりとキスしたことを思い出してかすかに頬を染めた。
 考えたくないというように、頭を振り回して、綱吉が後退る。
「うるさい。とにかく、むくぐるみは返したからな」
「綱吉くん? 深夜に他人の寝室に怒鳴り込むなんて君らしくないんじゃないですか。少し落ち着いたら? ゆっくりしていってもいいですよ」
「っ、る、さい。いい加減にしろよ。お前がいくら言っても――、オレはボンゴレファミリーの人間なんだから」
「マフィアは君だってきらいでしょう? 僕のとこなら君をもっと大事にできる」
 混乱に乗じて、さりげなく、アピールを試みる。
「君のすべてをありのままに受け入れてあげます。僕と来なさい」
「オ、レはっ、お、まえのこと、好きじゃない」
(好きじゃない?)
 言葉を反すうしてみて、苛立ちを覚えた。
「じゃあつなぐるみは?」
「そ、そいつを引き合いにだすなぁっ!」
 泣きだしそうに両目を潤ませる綱吉の手首を捕えた。
 語気が荒くなったのは、沢田綱吉の態度に腹が立ったからだ。
「意地を張るのも度がすぎると可愛くありませんよ? 綱吉くん。ベッドに座って。少し話をしましょう」
「い、や、だっ、手を離せよ。話すことなんてないっ」
 叫ぶ声はひどく掠れている。俯きながら綱吉が呻く。
「オレは、ほん……とにっ、骸なんか、なんとも思ってないんだから!」
 心臓が上に動く。この少年には、さんざん、嫌いだとかどうでもいいとか言われているが、こういうときには、実はかなり好かれているのではと骸には思えた。
 もっと。もっと困らせたいと不意に思えて綱吉の顎を掴んだ。
「僕は君を想ってますよ。側に置いて大事にしてあげたい。おいで。ボンゴレファミリーなんて捨ててきなさい」
「無理だ。やめろ、よ、放せよ。オレは友達裏切るのなんてイヤなんだ。やめてよッ」
 暴れるので、顎にさらに力をこめて上向かせる。
 首を思いきり反る形になって、後ろに転ぶように思えたのだろう、沢田綱吉が全身に力をいれてこちらのガウンを手で掴む。
(あ、キスできそう)
 咄嗟に、彼の唇に意識が留まる。
「むくぐるみとキスしたんですか?」
「……さっ……、されかけただけ、で、」
 その言葉が終わらない内に、
「じゃあ本体としてみます?」
 ずいと、顔をおろした。何がどう『じゃあ』で繋がるのか、少し、骸自身にも疑問が残ったが、そんなことは些細に思えた。
「綱吉……」
「!」
 沢田綱吉は、全身を震えあがらせてギュウと両目を瞑る。
(綱吉?)攻撃がない。嫌がっているようには見えなかった。本当にキスできそうだ。と。勢いに任せて、唇同士を重ねようとした瞬間だった。何かが背中にダイブする。
「っ?!」
「わ!」
 つなぐるみと、むくぐるみだ。
 つなぐるみは骸の背中に、むくぐるみは、綱吉の後ろ首に抱きついて、『なにしてるの?』とばかりに覗きこんでくる。
「あ――」
 各々のぬいぐるみをふり返った末に、ハッとした。
 すぐさま、体を離して距離を取る。
 綱吉が、心臓を抑えながら唾を飛ばす。互いに顔を真っ赤にして早口になった。
「こ、子どもの前で変なことするのはよくないだろ!」
「そ、そおですね。それでもそおですね!」
 乾いた笑い声をこぼすこと数十秒、綱吉は「おやすみ」と囁いて即座に部屋を飛びだしていった。
「お、おやすみなさい」
 怖じけづいたように呻く。勢いよく開け放たれた扉が、勢いだけで戻ってきて、バタンと独りでに閉まる。
(去り際にさりげなくむくぐるみを連れて行った)
 見えた光景が少し信じられない。つなぐるみを抱きあげつつ、深々と、嘆息を吐きだした。愛らしい人形の額に自分の頬を押し付ける。
「何してるんでしょうか、僕たちは」
 本当に、わからなくなってくる。

 三日目である。
 告げられた事実に、十代目と守護者が声をあげた。
「ええ?! 充電って三日間だけなの?!」
 休暇を終えた家庭教師リボーンは、採点表を携えて屋敷に戻った(綱吉は落第点だと宣告されて引き攣った)。夕食の席である。説明を省いた割りに『なんだお前らはそんなことも知らんのか』という態度でリボーンは一同を見返す。
「ああ。グルミーズは充電式だ。今の技術力じゃ三日分がせいぜいで、次の充電もできない。今日には稼働を停止する」
「そ、そんな……」
「なんだ? ンなに馴染んだのか?」
 言いつつ、リボーンは、綱吉が背中に貼り付けているむくぐるみを覗きこむ。庇うように後退りつつも綱吉は頭を左右に振る。
 武が、たけぐるみにバンザイをさせた。
「そっかぁ、おまえら、何気に儚い命なんだなぁ」
「致命的な短さだからまだ実用化できてねーんだ。将来、ボンゴレの技術力が向上すりゃあまた充電できるよーになるかもしれんし、稼働時間も延びるかもしれん」
「ヒバードも飛ぶようになるかな?」
 ひばぐるみの頭についているヒバードを片手でグリグリしながら、恭弥が食後の紅茶に口をつける。
「…………」
 長方形方の食卓テーブルの奥で、六道骸はファミリーを遠巻きにしていた。膝に乗せていたつなぐるみの頭を撫でる手が止まる。
(機械といえども生命を再現する限りは死の再現もまた運命、か)
 夕食後は、自由時間だ。シチリア最後の夜である。
 骸は外に出ることにした。
 庭は広いので、適当に歩くだけですぐ一人になれる場所に辿り着ける。つなぐるみを連れているので、一人、という表現はおかしいかもしれないが。
 風は冷たかった。日本に帰れば、もう、コートの下にニットを着込まねばならないような季節だろう。
 と、池の近くを通りがかったときだ。
「? 沢田綱吉?」
「ぇっ」
 強張った声が、闇の向こうから聞こえる。
 置き石に腰掛けて、綱吉はぼうっとして暗い水たまりを眺めていた。夜に強い骸の目には、大事そうに抱かれたむくぐるみが確認できる。
「なにしてるんですか」
「な……、なにも」
 近寄ると、綱吉は怖じ気づいたように人形を抱く腕に力をこめる。
 六道骸は苦笑を闇に紛れ込ませた。
(ウソのヘタな人だな)
 隣に腰掛けて、助け船を出すことにした。綱吉が何を思ってここにいるのかはわかる気がする。骸も同じ目的だ。
「僕はね、別れを惜しもうかと思いまして」
「…………」
 綱吉は、むくぐるみの頭に顎を埋めた。
 ここにきて、ようやく綱吉からも抱擁をもらえて骸にはむくぐるみが幸せそうに見えた。プラスチックのオッドアイをツヤツヤさせて、生き生きしている。
「……かわいい赤ん坊みたいでしたね。ずっとくっついてきて。子供が苦手な僕でもこーして抱いてる程ですよ」
 頭を撫でてやると、つなぐるみは安堵に目を潤ませる。すり、と、骸の胸に頬擦りを寄せてよく懐いた小動物みたいだ。
「骸さん」
 綱吉が、張りつめた声を漏らした。
 骸を見上げながら、手の甲で自分の目尻を拭う。
「むくぐるみ、もう動かなくなってるんです」
「……え? そうなんですか?」
「多分、他のぐるみよりもいっぱい動いてたせいだ」
 震えた声で、綱吉は強くむくぐるみを抱きしめる。
「オレ……どうしよう。何もしてやらなかった」
 わななきを堪えるようにしながら、部屋に戻ってすぐ、背中から重みが消えて、むくぐるみが床に落ちたと語る。
「どうしよう?」
 問いかけながらも、綱吉は暗い水面を見つめていた。
「抱いてあげることさえなかった」
 覆い被さるようにむくぐるみを抱きしめ、眉を八の字に苦悶させる。目尻を淡く光らせている――その姿に、心臓が粟立った。唇が独りでに動く。
「大丈夫ですよ」
「なんで?」
「綱吉くん、その子は君と一緒にいられただけで満足してましたよ。僕が言うんですから間違いありません」
(僕が――いうんだから、)
 ズキリ。先の丸いナイフが、柔らかく心臓の真上を抉る。
「オレ、」
 綱吉の胸を抉るナイフは、先がひどく尖っているらしかった。
 むくぐるみの髪を手で撫でつけながら、ポツポツと涙するように小さな震声を落とす。
「すごく、ひどいことしてた気がして。そうかな? こいつ、不幸じゃあなかったの?」
「……僕を信じてください」
 可能な限りに真心をこめて喋った。
 そんなこと、もしかしたら、人生で初めてかもしれなかった。
「…………」
 綱吉が濡れた瞳で骸を見上げる。
 背後に月があると知った。綱吉の瞳に、楕円の光が揺れている。
 まぶしくて、くらくらときた。吸い寄せられるようにその瞳に唇を近づける。
 微かに動揺したような気配がする。だが、逃げはせずに、綱吉はむくぐるみに無数の皺が寄るほどギュウウウと抱く程度の抵抗をした。唇を寄せた先にしょっぱい水滴があった。チュウと吸い付いて、舐めあげる。
「だいじょうぶですからね。僕は傷ついてない」
「…………っ」
 月を宿した茶色い瞳が、表面を波立たせる。
 ごく間近で眺めていると、眼球そのものにも口付けを落としたくなった。
 かすかに近づけば綱吉はギクリとしたように瞼を閉ざす。ぱちっ、と、すばやく睫毛が唇を打ったことで骸もハッとした。
「あ、す、すみません。つい」
 何がどう『つい』なのか、追求されたら困るが、綱吉はそれどころじゃないようで耳まで深紅に染めて首を振った。
 それきり、体を硬くして、むくぐるみを強く抱擁する。
 口元に手を添えて、自分の行動に驚きながらも骸は心音を聞いていた。ドッドッドッという早鐘が憎たらしい。妙な気恥ずかしさが、数秒ごとに競りあがる。助けを求めるようにつなぐるみに視線を落とした。
『?』と、小首を傾げて、つなぐるみは骸の胸にベッタリと体を押し付けている。
 まるでコアラの子どもが正面から親に抱きつくようだ。
(……余計酷いな)
 体が熱くなる。クス、と、照れ笑いが漏れる。
(君たちはどーしてそんなにもかわいいんですかね)
 そっと、両脇の下に手を差し入れた。
「……君も、そろそろですね」
 つなぐるみを空に持ちあげる。少し体を前に傾けて、仰向けにさせた。
「見えますか? この空が。きれいでしょう」
 丸い手足がパタパタと四方に動いた。まるで、呼ばれているようだ。骸がつなぐるみを抱き寄せる。
 ――つなぐるみは、真っ直ぐに骸を見上げた。
 丸い瞳は艶やかに輝く。
 口元の逆三角形がゆるんで正しい三角形をつくる。
 鈴を振るような、澄み切った美しい音色が鼓膜をかろうじてくすぐった。沢田綱吉の声にひどく似ていた。
「ウン、キレイ。ムックン」
「!」
 オッドアイが驚きに見開かれる。
 思わず叫んだ。
「綱吉くん。こ、この子! ついに喋りましたよ」
「え?」
「今、僕の名前を――」
 言って、つなぐるみを手で手繰り寄せて、しかし言葉を失った。――馴染んだ重みが、妙だ。
 体を持ちあげてみると、つなぐるみの手足がブランッとして虚空を漕いだ。
(! 充電が切れてる)
 覗きこめば、つなぐるみの丸いプラスチックの瞳にも月が映る。だがかつてにあったようなウルウルとした光は消えた。
「骸?」
 不安げに、綱吉。
 人差し指で目尻を拭う彼に、思わず呆然とした顔を返した。
 だが、数秒で表情を打ち消すと、骸はゆるく頭を振った。つなぐるみを膝に戻す。空を見上げる。
 深い青黒の絵の具を塗りたくったボウルを、逆さまにして、星を散りばめたような空だ。目を閉じれば流れ星が見える気がした。
「……つなぐるみの充電も切れちゃいました」
「! そ、う、か。寂しくなるね」
「そうですね。でも、さすがは君ですよ。いつも、最後の最後にがんばるタチなんですから」
 ぬいぐるみの髪を手で梳きながら、小さく囁いた。
 いい夢を。

 日本へと帰る日だ。
 パレルモ国際空港の便を待つ間に、呼び出された。昨夜のことがあったので骸は少し緊張しながら沢田綱吉に向き直った。
 売店の正面を曲がった先にある細道で、奥は従業員用の通路。従業員達が休憩に入らない限り、人通りは皆無だ。
 沢田綱吉は、パーカーのチャックを首元まで閉めた姿で、言いにくそうに眉を寄せている。
「なんですか?」
 キャリーケースに片手をついて、体重を預けながら首を傾げる。
 綱吉は、意を決したように後ろに隠していたものを出した。
「これ、あげる……」
 つなぐるみだ。
 充電の切れた彼らは、行き場がないので本人達の裁量に任せられることになった。骸もケースにむくぐるみを入れている。
「え……?」
 緊張がさらに高まったせいで、くぐもった呻き声が漏れる。
 思わず口角を噛んだが、綱吉は、自分の気持ちに対処するので精一杯のようだ。壁へと無意味な視線を投げる。
「そ、の。あんなに、骸のことが好きだったんだから……オレが持っていても仕方ないし。よかったら。骸さんが、持ってて」
 燃えるように耳を赤くして、まるで、サウナに入った直後の顔だ。
「…………」
 この数日、すっかり抱き慣れてしまったつなぐるみを見下ろして、骸も釣られるように耳を赤くした。
 沢田綱吉はよほど恥ずかしいのか体をもじもじとさせた。
「い、いつかまた動かせるかも知れないし……そ、それまで、骸のところにいたほうが、さ。きっと」
「……わかりました」
 喉をつまらせながら、頷く。
 目の前がちょっと歪んで知覚できた。
 私服のシャツが汗で湿るのも感じる。慣れた重みを両手に渡されると、つなぐるみとの数日間が蘇って胸を切なくさせた。
 やっぱり、と、沸騰しかけた思考の隅に思う。
(この子が僕をどうでもよく思ってるわけがないじゃないか)
 体内を無理にこじあけられている気分になる。居てもたってもいられなくなる。
 キャリーケースのロックを解除した。手早く中身を開ける。
 え? と、戸惑いに震える声に、心臓がドキリと跳ねる。むくぐるみを片手に抱いて、改めてロックをしめた。
 綱吉にむくぐるみを差しだす。
「こ、この子も、もらってあげてくれますか……? きっと君の傍にいたがる」
「…………う、うん」
 耐え難いように、目尻をひくりとさせたが、綱吉は吐息に熱をこめて頷いた。自分の足元を見て、つなぐるみを持つ手を震わせる。
 骸も足元しか見れなかった。頭がぐわんぐわんと鳴る。
 互いに息を潜めて、体熱に耐えていた。
 むやみやたらにこそばゆい――
 ぬいぐるみ達を交換したら、どうなるんだと不思議に思えた。骸は、骸の部屋につなぐるみを置く。綱吉だって部屋にむくぐるみを置くだろう……。交換して、受け取るとは、そういうことだ。
(……こんなの……)
 打ちひしがれた思いで、俯いたままオッドアイを見開かせた。
(ふつうじゃない!)
 痺れるような痛みが心地よさを伴って意識を掻き乱す。
(ふつうなワケない。でも嬉しい。――好き、なのか? 僕は。ふつうに。恋人を愛するみたいに。この子のことが)
 ぶるり、と、肩に震えが走る。認めがたい想いではあった。
 綱吉の方が、かすかに動いた。
 つなぐるみを差しだす。骸も、ゆっくりとむくぐるみを差しだした。互いに、指先をピクリと震わせながらもぬいぐるみのボディを
受け取った。
「…………」
 ゆるく、むくぐるみを抱きしめながら、綱吉が頷いた。
「だ、大事にするね。今度こそ」
 踵を返そうとする彼の手首を反射的に握りしめていた。
「まって。綱吉くん」
「? んぅ?」
 ふり向いた矢先に、綱吉が抱いたむくぐるみの頭を鷲掴みにした。間髪を入れずに、顔面目掛けて押し付ける。
 フニと、柔らかな弾力を人形越しに感じて、思わず固唾を呑込んだ。
 むくろ? 驚いた声と共に、綱吉が後退る。困惑に瞳を潤ませた。骸もオッドアイをにじませた。
「綱吉くん、僕は、」
 言っても言わなくても、もう、戻れない気がするのだった。
「君が、」
(なら、言ってしまえ!)
「好き……です。愛情の意味で、好いてます」
「っぇ――。う、うそ」
「ウソじゃありません。本気です」
 背筋に震えが走ったのか、綱吉が勢いをつけて後退ろうとした。逃げる気か。ここまできたら、手加減をする余裕も持てなくなって骸は綱吉の腰を抱き寄せる。
 赤面して、こめかみのあたりを汗で湿らせつつも綱吉がぶんぶんと頭をふる。
「ぅ、そだ、い、いくら言ってもダメだって言ってるだろ。おれは、ぼんごれ十代目はやめられな――」
「いいですから。十代目のままで」
「え?!」
「君が好きなんです。好きです。他のことは、どうでもいいから……」
(ただ一言。僕を好きだと言って)
 オッドアイで、一瞬だけ、綱吉の唇を見つめた。
「今は、今の君のままでいい。綱吉くんがイヤじゃないなら。僕に、君を愛させてください」
「なッ。い、いいの? むくろはそれで」
 頷いて、綱吉が抱いたむくぐるみの頭を撫でる。
「……きっとこの子と同じだ。傍にいたい。一緒に、いられるだけで、それでよかったんだ」
 頬をすり寄せても綱吉は逃げない。
 震えはした。骸はつなぐるみを思い出した。ひたすらに、くっつきたがった……。
「つなよしくん」
 呼びかける声が掠れる。
「ぼくはね、つなぐるみにキスしちゃいました」
「…………」
 反応を得るために、わざと、沈黙すると綱吉は渋々と目線を持ちあげた。『なんでわざわざそんな恥ずかしいことを言いだすの』と、その茶瞳が語る。
 その熱っぽい眼差しに心臓がドキドキする。自分のものとは思えないほど声が上擦る。綱吉の耳に吐息を吹きこんだ。
「君もむくぐるみとキスした」
「……何が言いたいんだよ?」
「本体がどんな感触なのか、知りたくはないかと訊いてます」
 綱吉の目が丸くなる。
「…………」
 覆うように、顔を近づけてみても、逃げようとはしなかった。
 そっと、唇を重ねてみると、すぐに視線を合わせるのが辛くなったのか綱吉は目を閉じる。キスのために身を寄せた。互いの胸に抱かれた、つなぐるみとむくぐるみが後頭部を押し付け合った。
 ふにふにとして、柔らかい唇だ。
 食むように口を動かすと綱吉がびくりと体を震わせる。
(かわいい……。僕の恋人)
 背筋がぞくぞくして、骸はオッドアイの焦点を引き絞った。綱吉はまだ懸命に両目を閉ざして眉根を寄せている。
 足元から沸き上がるような充実感。
 意識のすべてを乗っ取られて、本当に、綱吉以外はどうでもよく思えた。
(だから、惚れたくなかったんだ。これじゃ堕とされたのが僕の方だ)
 負けず嫌いな筈なのに、敗北を甘美なものとして捉える頭がどうかしている。頭脳が恍惚に浸って麻痺している。ばかげてる――のに、たまらない気持ちだ。
 骸は、かわいい恋人への口付けをねだりながら自身も瞼を閉ざした。

「アッ!」
 それから数時間後、シチリア島を離れる機内に移動した一同であるが、綱吉が転んだ際に大声をあげたので一斉にふり返った。カバンは、中身を床に広げる。
 むくぐるみが、ポテンと床に転がった。
『…………』思いも寄らぬところから六道骸の人形がでてきて、守護者及び家庭教師の目が点になる。
「あッッッ、こ、これはッッ」
 綱吉が、悲鳴を凍らせて、勝手に動いたとかの苦しい言い訳をする。六道骸は、窓際の席に収まりつつ、片手で顔面を押さえた。真っ赤に変色している。
(ドジ。天才的ですよ、ある意味で)
 隣の席の雲雀恭弥が、黒目をまん丸にして、信じられなさそうにふり向く。
 その肩を乱暴に手で押した。綱吉を呼んで、こいつと席を交換しろと早口で告げる。
「……う、うん……」
 むくぐるみを抱きしめて、綱吉は涙目で頷いた。
 背中に突き刺さる仲間達の視線がよほど辛いらしい。隣にきた彼の頭を手で抱いて、骸は、いまだに目を点にしている連中に向けてぶっきらぼうに呟いた。
「かわいいでしょ? 僕のですから、そうジロジロ見ないでくれますか」
 こういうときは、とにかく、強気に構えるに限る。弱味を見せたら負けだ。


 



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