火の澱
<ひのおり>



「おや、珍しい客人がいますね。アルコバレーノのボスの条件、君も、呑んだんですか?」
 藍色の髪を持った男性は、右耳にかかった髪を手の甲で掻き分けながらほくそ笑んだ。
 整った顔ではあるが表情にクセがある。髪型も変わっているから胡散臭げな空気を全身から醸しだしていた。
「……ンー?」
 くすくすとした媚笑を頬に寛げつつ、流し目で金髪の男の横顔をのぞく。
 彼は、ホワイトがかったエメラルドの瞳を一度だけ瞬きさせた。うめく。
「ジョットがやる気になっているなんて珍しいから。見たくなっただけさ」
「ほーぉ」
 納得していないように、藍の男が返す。
 和装の男は暗闇を見渡した。
「ほんとうに懐かしい。ふしぎな気分でござるな」
「プリーモさま。いいんですね」
「……久しぶりだな、みんな」
 背の高い青年を傍らに従えているのは、きつね色の髪に、炎の色をした瞳を持った少年――ぎりぎり十代の終わり手前にあるといった歳の程の少年だった。
 少年は、少しだけ顎を持ち上げる。傍らの少年に静かに告げた。
「構わない。我らに許された機会はたった一度きりだが、今こそ、現世との繋がりを今一度抱き、我らの継承を許すときだろう」
「十周年の節目だから――……」
 淡い緑の髪をした子どもが、ぼやいた。少年の傍に控える男に睨まれると頭の後ろで手を組んでみせる。
「なんて、理由なわきゃないよーねー。デーチモに肩入れしてるんですねー」
 足の先では、暗闇の土を掻き出す仕草をしている。
 炎の瞳は、ちらっと子どもを見やる。
「…………。ああ、そうだな」
「ンー。わからないんですか……?」
「彼は、永いボンゴレの歴史の中で唯一……」
「我らの破滅をも祈れる……」
「まだ子どもだが逸材……」
 口々に守護者が囁くのを小耳に挟みつつ、渦中の少年――ボンゴレ・プリーモを名乗る彼は、右手を緩慢に持ち上げた。唇に近づけたところで、今度は中指だけを近づける。すると唇に息吹がかかる。
 うっすら、炎の瞳を細くひらきながら、吐息で語った。
「俺が目をかけているんだ。余計な手出しはするなよ、お前ら」
『…………』守護者が、沈黙した。
 子どもは近くにいた藍の男を肘でつっつく。つま先立ちになって耳打ちした。
「どういう意味だろ?」
「好みなんでしょう」
 男は、子どもが期待した通りにミもフタもない事を答えた。

 

「ふあーッ。ひ、ひさしぶりのオレのベッドだ……!」
 私服のまま、綱吉は前のめりにベッドに倒れ込んだ。その背中に家庭教師が飛び乗ってみせる。
 ぶぎゅるっ! と、リボーンの革靴が擦れるイヤな音をあげる。
「ぐえっ! な、なにするんだよ!」
「フヌケてるんだぞ。言っただろ、プリーモが見てるんだぞ。しゃんとしやがれ」
「しゃんとしろォ? ンなこと――言われても。本当に……だって大昔の人だろ?」
 言いながら、体を起こし、綱吉は中指に嵌めている大空のリングを見下ろす。
 貝のマークにボンゴレの名が連なり、よく晴れた日の青空がリング中央に埋めこまれている。ここ最近、ずっと身につけているもので、指輪をつける習慣がなかった綱吉ももう違和感は持たなくなった。
 夜は静かで、十年後にきたる生死をかけた争いも単なる悪夢に思えそうだ。
 綱吉は、部屋の天井を見上げた。
 なつかしい。チョイス戦とか白蘭の脅威とかウソみたい。
「……ぜんぶ、夢なら……」
「現実逃避も大概にしろ、ダメツナが!」
「ぶぐぅっ! わ、わかってるよ! 一瞬くらい気が抜けたっていいじゃんか! ここオレの部屋だぞ!」
「てめー、ンなんだからザンザスに乳くせぇとか言われンだぞ。すぐ里心がつきやがって」
「いだだだだだっ! 拳銃で殴ろうとするなーっ!!」
 窓辺に走り寄って、綱吉は頬に押付けられた銃口から逃げる。
 リボーンは不機嫌な舌打ちを漏らして部屋をでていった。オレの次に風呂はいれ、あがったらさっさと寝ちまえ。
「わかったよ」
 明日からはシゴくぞ。
 と、そう言って出て行ったリボーンが、ユニが腰を落ちつけているだろう客室に立ち寄ったのを気配で感じた。
 向こうの方から、話し声がする。
 何を言っているのかわからないボソボソしたやり取りを小耳に挟み、綱吉は鼻腔で嘆息をこぼした。改めてベッドに横たわる。
「…………」
 天井と向き合う。
 目を細める――そこで、はっとして眼瞼を剥いた。
「……えぇえええっ?!」
「何を考えた?」
「どえああああああっっ?!」
 逆さまに瞳に映り込むのは、きつね色の髪にストライプスーツの――両肩をすっぽり覆う大きなマントが現代離れしている――、昼間、出会った残像の少年だった。
「ボンゴレプリーモ?!」
「先刻ぶりだな」
「な、なんでっ?!」
 信じられない事が多くて、ひとまずはそう叫んでしまう。
 プリーモは無表情で綱吉を見返す。
「これが手っ取り早いだろうと思ってな。ボンゴレデーチモ。これは夢ではないし我々も今ここに存在している。目の前の夢想が真実と知れ……」
 口に出しながら炎の色の瞳をしならせる。その瞳の焦点が大空のリングに下がるのを感じて、綱吉はちりちりした焦燥に駆られた。
 咄嗟に、左手で右手を握る。指輪を隠されるとプリーモは口角を歪ませた。
「どうした? デーチモ」
「…………っ。ほ、本気で夢だとは思っていません」
 自分が試される立場であるのを思いだして、綱吉は固い声を帰す。
 プリーモは、隠された拳の上を見つめる。
「わかっている。お前はながらく歯を食いしばって耐えてきた。今さら、目の前の現実を拒否することなどできない。デーチモは真面目なようだからな」
「そんなことないです」
 言いたいことや主張したいこと。もっと強くして欲しいこと、助けてほしいこと。理性的なトコロもまだ意識を保っているから綱吉は余計に混乱した。
 胸の内側でドミノ倒しが延々と続くようなものだった。小さなドミノだったが巻き起こされた砂塵が喉につまって息苦しい。
「プリーモ……。なんですよね」
「そうだ」
 綱吉は口角を噛んだ。
 大空のリングを握った拳が、震える。
「プリーモ。オレは強くなりたいんです! オレに力をください!!」
 息せき切った言葉は、口唇から飛びだした後で喉を引っ掻き傷をつける。綱吉のセリフは容易くヒステリックな淀みを備えた。
「今すぐ――今すぐ強くならなくちゃならないんです、オレ達ッ!!」
 顔をあげれば泣いているような錯覚すら覚えた。胸が痛くて、綱吉は左手で右手が潰れるほど堅く握り込む。
「デーチモ。俺の話を覚えているか。試練だと……」
「そんな悠長なコトいわないでください!!」
 族長の言葉も怒号で遮っていた。
 ぐ、と、右手の関節が妙な音をあげて痛んだが力を少しも抜けない。
「こんな、ことしてる場合じゃ、ないんです! 十年前に戻って――っ、ダメなんです、平和だった頃のことなんか今は思いだしたくないんです。オレだめになりそうなんです。早く戻りたい。こっちに長くいるなんて耐えられないっ!! 母さんにまだ会いたくないしニコニコしてるフゥ太やビアンキを見るのだって辛いんですっ。はやくしないと!! 十年後はみんな――、こんなこと考えるなんてオレが弱いからだってわかってるけど、でもみんなが心配でつらいんです。みんなが死んじゃう前に戻らないとっ」
「デーチモ?」
 ここにきてプリーモは目を丸くした。少年らしい戸惑いを顔に浮かべる。
 すぐに、戸惑いが苦笑に変わった。
「……羽根を広げられない己を恥じる小鳥だな、まるで」
「プリーモ!!」
 頭に血が昇る。
 と、叫び終えた頃には彼は綱吉の真前から消えていた。綱吉の背後に立つ。
「ボンゴレデーチモ。口の利き方がなっていないな。頭を冷やすべきだぞ」
「…………っ?!」
 耳元から聞こえた低音に綱吉が身を硬くする。
 横合いから伸びた手が、握り込んでいる左手の上に乗った。そっとして両手首を掴んで開かせる。
 綱吉の視線は、覗きこんできた炎の眼差しに搦め捕られていた。
 向こうが少しだけだが背が高いので、顎が、上に引っぱられていく。
「プリ……も」
「手を痛めるぞ。デーチモ。心優しいのはわかっているが、過度に自分を責めるのはよくない」
 両手をプリーモに握られ、戸惑いながら見上げたのは数秒のことだった。
 綱吉は、掴んでくる力が意外に強いのに気がついて顔を強張らせる。怒らせたのかと思えた。
「プリーモ。あの……っ。は、はなしてください」
「歴代のボスの中で、最も脆い。なぜならお前は正義を愛しているからだ……。綱吉。よく心を研ぎ澄ませろ。俺の心の内を感じてみろ」
「え……」
 背中が湿るのは、綱吉が目の前の少年から妙なプレッシャーを覚えるからだ。
 威圧感とは違うし怖いのとも違う。憧れや敬愛とも離れている。ただ、この炎の瞳で見つめながら語りかけられると、綱吉はイヤとは言えなかった。
「……心を?」
 まだ手を放して貰えていないので、気まずくて、俯く。
 しかし眼球だけは上向ける。
「心を俺に重ねろ」
「はい」
 不承不承に、綱吉は始祖たる少年の前で眼瞼を閉ざした。
 くすり。閉じた視界の作る暗闇に、微笑が落ちる。綱吉は唇に何かが触れるのを感じた。
「!」ぴくりと、目を開けようとするとすぐ近くから制止される。
「続けろ。心を乱すな」
「……は、はい」
 つつ。頬に触れる暖かなものが、なんなのか、確認できなくて心臓が脈打つ。
 綱吉は五分も我慢できずに根をあげた。
「で、できません。プリーモ」
「ふふ。だろうな。俺は心を他の者にたやすく読ませるような愚かなマネはしない」
「んなぁっ?!」
 ぎょっとして目を開ける。
 と、プリーモは楽しそうに歯を見せる。
「綱吉。歴代のボスが漆黒のカラスであったならお前は純白の子鳩だ。だが、それでこそ道が拓けるのだろう」
 炎の目を瞼が隠す。まるで、実の兄でも――自分に兄がいたらこんな人だろうという奇妙な既視感が綱吉の胸に生じた。
 綱吉が生まれたときから、傍で見守っていたかのように彼は思い出深げに語る。その声は自然と祖父のように優しくなるのだ。
「鳩のまま、敵の喉元を食いちぎれ。お前はそれができる希有な子鳩だ」
「…………は?」
 な、なにを言って……。
 たじろぐ子どもに身を寄せて、プリーモはヒソヒソと語りかける。
「え? ええっ?!」
「ふふ――」
「お、おれ、そんなことできませんっ」
「どうだろうか? 俺が許すぞ。我らボンゴレの血を甘く見る愚者など焼き払うがいい」
「どひぃいいっ?! マフィアですか!!」
 うげっとして綱吉は自分の口を両手で抑えた。始祖にツッコミはさすがにヤバそうだ。
 が。向こうは笑っていた。
「ああ、マフィアだが? それがどうした」
「……プリーモって……」
 半眼になって呻きかけると、苦情に近い苦言だと予期したのかプリーモは早口になって語り出した。綱吉はやっと放してもらえた両手首を見やる。ふしぎな感じがする。
「先程の答えだが。これは試練だ。綱吉が一人で泣き喚いたからといって俺の権限で試練を今の一瞬で終わらせるなどできんな。十年後に戻れば一瞬なのだろ?」
 自分の大空のリングを見つめ――綱吉を介して情報を読み取っているのだ――、プリーモが冷静に告げる。
「存分に可愛がってやるが、まだだ。お前を見極めるにはまだ早い。綱吉」
 今さらに、ボンゴレプリーモが自分の名を知っているのに綱吉は驚く。
「……プリーモの名前って、なんなんですか?」
 彼は、炎の瞳をキョトンとさせた。
「あ。いえっ?! 深い意味はないんですよ、ただえーと……、オレはデーチモで綱吉じゃないですか。ぷ、プリーモは、プリーモで……なんだろ? って……、余計なコトだったらすいません!」
「ははは」
「?!」
 ひとしきり、渇いた――妙な声の出し方でプリーモはくつくつとやった。
 片手で唇の上を塞ぎながら、うなずく。
「いいだろう。どのような結果であれ、すべてが終われば教えてやる。褒美だ、綱吉」
「え……?! あ、ありがとうございます」
「心して受けるがよい」
「…………?!」
 彼は、ニコニコとして、綱吉を見下ろした。
 綱吉の肩に手がかかる。
「もう眠れ。綱吉。気がついていないようだが、お前のキャパシティを超える活動を今日に行っているんだよ。苦しかっただろう……、さあ、眠りに堕ちるがいい。この俺が手を加えてやった。安らかな休息になるだろう」
「プリーモ……。でもオレ、まだ話したいことが」
「後だ。体は正直だぞ?」
 あごをしゃくられて、綱吉は目を瞠る。
 自分達の傍らで、沢田綱吉がベッドにうつ伏せに倒れて眠り込んでいた。
「何でオレが眠ってるんだ?!」
「俺が最初に触ったときにお前の心を引っぱりだしたからだ。さあ、戻れ。明日からしごくぞ」
「ちょ、ちょおお、待って!」
「待ったはナシだ」
 強引に、逆らいようがないほどの力で肩を押されて綱吉はベッドに倒れ込む。
 泥に沈む感覚がした。自分の体に戻されているらしい――頭が内側から沸騰する感覚に見舞われ、綱吉は思考するヒマもなく睡眠下に叩き込まれた。





「……あ?」
 風呂から帰ってきた家庭教師はパジャマを着ていた。
 ベッドにうつ伏せになってスゥスゥとやっている人影に目を留める。
「…………。しょうがねえな」
 電気は付けっぱなしだ。
「オレとの身長差考えろよな、めんどくせぇ。手のかかる生徒だぜ」
 呻きながら、リボーンは、綱吉を転がして頭を枕に乗せてやって布団をかけてやった。電気を消す。ハンモックに戻る前に、背中越しに声をかけた。
「テメー、声がでかかったゾ。ユニもな。獄寺たちもだ。お前のことを弱いなんて思ってねえから気合い入れて修行に励んどけ」
「……過保護かつスパルタだな。そんなんだから綱吉が不安になるのではないか? もっと褒めてやるのが俺は好きだが」
「幽霊は黙っとけ」
「ほお」
 ボンゴレプリーモは、淡く発光している体で窓枠に腰掛けていた。ガラスや壁は体が通り抜けてしまう。
 ニヤリとした笑みになる始祖の少年に、リボーンは一睨みをきかせる。
「悪知恵はいれんなよ」
「もちろん。踊り子に手を触れてはいけないというマナーは俺の時代にもあったさ」
 ハンモックに昇ったあとで、リボーンは少しだけ躊躇いがちに尋ねた。
 アテが外れてなけりゃいいなという感じで、
「守護者もお前と似てるのか? プリーモ。クセが強すぎて使い物にならんかったらオレたちは困るんだぞ」
「いつの時代も強すぎるやつはどこかしら欠陥があるものだよ、家庭教師どの」
 唯一の若い血縁者の熟睡ぶりを見つめ、プリーモは体を後ろにずらした。そうして彼が夜空の下の散歩にでてしまったのでリボーンも眠ることにした。

 


 

 


>>もどる

10.04.03

アニリボでジョットさまがジョットさまがああああな勢いがすべて!