事前情報で居場所は把握済みだ。
「いっぺん警察に突き出してあげようか?!」
 引き戸がバチィンと壁に体当たりをした。
 壊れたと、聞いた誰もが囁く中で少年はトンファーをかざして見せた。
 ザワリとどよめきが湧き起こる。不良の巣窟として有名な黒曜中学校、トンファー使いとして名を馳せる風紀委員長を知らぬものはいない。着席したまま動揺する男たちと、オロオロと教卓にしがみつく教師を無視して、ヒバリは窓辺の最前列へと歩み寄った。
 城島犬は、ヒバリの登場に慌てるでもなく、口を半開きにしてグラウンドを見つめていた。
「六道骸を引き渡してもらう。どこにいった?」
「骸さんはぁ、きょーは早退」
 気だるげに犬が舌をだす。
 ヒバリが忌々しげに叫んだ。
「とことんウマが合わない男だ。入れ替わりか!」
  入室してから踵を返すまで、一分もなかった。犬は垂らしたベロで唇を拭う。ヒバリが肩越しに睨みつけたのは、彼がただならぬ呼称を用いて自分を呼び止めたからだ。
「待てよ。アヒルちゃあーん」
「野良犬が気安く声をかけないでくれる」
「つれねエの。へへへ、ただで帰れると思うわけェ?」
 右肩上がりに高音を昇る掛け声とともに、クラス中が立ち上がった。
 ナックルを拳に装着するもの、ロッカーからバットを取り出すもの。わずか数分のあいだで、ヒバリの周囲が完全に取り囲まれた。風紀委員長は、ナルホドとだけ呟いて、口角を吊り上げた。
「アヒルちゃんの丸焼きあげたら、骸さんすっげえ喜ぶ」
 嬉しげに囁き、アニマルチャンネルを咥内へとおしこんだ。
 制服の上からでも体毛が伸びたのが誰にも見て取れた。ゴリラの剛毛を生やしながら、犬は両手を強く握りしめる。ヒバリは笑ったままだった。足を肩幅に開いて、顔を庇うように両腕を交差させながら。
 トンファーが、かちゃっと密かな金切りをあげた。
 円錐のトゲが、トンファーの表面を彩る。
「今の僕にケンカ売る勇気だけは褒めてあげるよ。どうしようもなく馬鹿だけどね」
 猫型の肉食が居合わせた少年たちの脳裏をよぎる。後ろへ向けてたたらを踏む少年までもがあった。教師が、バタバタと惨めな足音をあげながら廊下を逃げていく。
 足音が消え入る前に、犬が叫んだ。
「怯むんじゃねーよ! 1vs28だ!!」
「後悔するよ。君達、全員!」
 風紀委員の伝統ある学ランが、ひらりっと宙へ跳ぶ!
 さながらに鳥の羽根だ。背中ではためかしながら、ヒバリは、着地地点として二人の男の顔面を選んだ。ぎゃあああ、と、木霊する悲鳴に誘われて隣のクラスからも黒曜生が駆けつけた。こうして、黒曜中学校の六時間目の授業は総潰れとなったのである。
「ヤだね。脳まで筋肉でできてる連中って」
 うめきながら、ヒバリが校門をでたころには夕日が昇っていた。
 生暖かな風を肩で切り裂きながら、風紀委員長は公道でタクシーを呼び止めた。シャツを血染めにした学生なんどに呼び止められたくなかった運転手であるが、だからこそ、無視などできないというものだ。ゆるやかに、いやいやに停車した車体に乗り込むと、ヒバリは沢田家の所在を告げた。
「速く着いて。十分以内」
「は、はい!!」
 ギギッとタイヤが軋む。
 沢田家に乗り込んだヒバリを出迎えたのは奈々だった。
 頷くだけで上の階へとあがっていく少年を、のほほんと見守る母親だが、息子は、やってくるなり掴みかかってきた風紀委員長に度肝を抜かれて絶叫した。
「な、ななななななんですか――っ?!!」
 いわゆるゴロ寝をしながら、マンガをめくっていた最中だ。
 トレーナーの襟首を掴んだだけでベッドに綱吉を放り投げる。リボーンはいなかった。部屋を一望したヒバリは、唖然と見上げる綱吉のジーパンを鷲掴みにした。
「へ、へえっ?!」
「綱吉、服を脱いで」
「うわ、ちょっ……、ぎゃあああ!! ヒバリさん!!」
 ベルトを引き抜かれてトレーナーを剥がされて、顔面蒼白になりつつ後退る。
 しかしヒバリは追いかけなかった。毛布に包まってガタガタと震える少年に、呆れた顔をして人差し指をたてる。それを自らの唇に当てるので、綱吉は、要領を得られずに両目をしばたかせた。一般的には、黙れと語るジェスチャーであるが。
 そのままベッドに腰を落ち着かせて、ヒバリは腕を組んで沈黙した。
 十分のあいだに綱吉は服を着なおした。
 何をするでもなく、ただただ腕組みしながら黙り込むヒバリに慄き、それでも元のようにマンガを読み始める。何しろヒバリは動かないし喋らないのだ。それでいて風紀委員長は、奈々が持ってきたオレンジジュースへ飄々とストローを差し込んだりもしたのだが。
 不意に、鋭い眼光を窓辺へと差し向けた。
「くる」「へっ」
 闇から伸びた指先が、窓を押した。
「ボンゴレの貞操は無事ですかっっ?!」
 現れたのは黒曜生だ。土足のまま立ち入ると、彼は綱吉へと飛びついた。
「ぎゃっ、ぎゃあああ!! 六道骸?!」腕のなかに納められながら綱吉がもがく。
 その様子を見つめつつヒバリは二本のトンファーを天井向けて起立させた。六道骸のあとから窓に手をかけたのは、柿本千種だ。ヒバリを一瞥したあとで、少年は常と同じく感情の宿さぬ瞳を主人へと向けた。
「やはりワナでしたね」
「いいんですっ。綱吉くんさえ無事なら!」
 己の頬を綱吉の頭頂へとグリグリ押し付けて、骸。
 しかしその一瞬後、骸は千種の隣へと飛び退いていた。
 綱吉の毛筋がハラリと落ちる。トンファーで毛が分断されるなんて、そんなバカなことがあるわけがないと思いつつも、綱吉は、すっかり腰が抜けてカーペットに這いつくばっていた。
 ベッドを降りるさいに少年を蹴り飛ばしかけつつも、ヒバリは、トンファーと共に両腕を水平にした。
「六道骸。婦女暴行の不審者として噛み殺す!」
「ほう」「ええっ?!」
 驚きの悲鳴をあげたのは、綱吉だ。
 信じられないように骸を振り返ってしかし、彼が満面の笑みを浮かべたので、慌てて視線を反らした。
「そんなこともあったようななかったような……。よく覚えてませんね」
「しらばっくれるんだ? 僕には、そういうのは効かないよ」
 骸が鼻を鳴らす。小馬鹿にしきった仕草だった。
「だから何だというのです。私は理由があって並盛にお邪魔してるのですよ」
「理由?」素っ頓狂な声で綱吉が千種を眺める。
 少年は、顎だけで軽く頷いた。
「もうすぐわかる」
「並盛に転校するんです」
「でぇっ?!!」
 ウットリとした声で骸が続ける。
「その下調べをしてたんですよ! 途中で綱吉くんへの愛も再確認しました。やはり、僕には君でないと無理なようです。女を受け付けない体にしてしまった責任、とってくださいね!」
「ななな何を楽しげに語ってるんだアンタは!」
「自供ごくろうさま」浅くため息をついて、ヒバリは肩をしならせた。
 極めて自然に、緩やかなカーブでもって骸の間合いへと踏み入る!
 が、骸がにやっと笑うのが、ヒバリの黒目に移りこんだ。千種のヨーヨーがヒバリの顔面を狙う。トンファーで弾いたが、かわりに、真正面から骸の膝蹴りを受けるはめになった。
「ぐ……」しかし、笑うのは、ヒバリの番だった。
 骸の口から、なぜ、苦しげな呻き声が聞こえたのか綱吉にはわからなかった。
 けれども数秒後には理解した。トンファーにはじかれたヨーヨーが骸の足首に巻きついていたからだ。強引にヨーヨーの糸を手繰り寄せて風紀委員長は笑っていた。肉食のネコがごとく、勝利の笑みだ。
「どう料理してあげようか? 君にはさんっざん辛酸を舐めさせられたものね」
 蹴られたさいに、にわかに噴いた泡を口角から拭って、跪く少年を闇目で射抜く。
「とりあえず、しばらく外を出られなくしなくちゃね!」
「骸さま!」千種がつんざく悲鳴をあげた。
 心配いらない、とは、骸の言葉である。
「人間道のオーラをもってすればこの程度の糸は――」
「ぎゃあああ!! オレの部屋でグロテスク禁止!!」
 六の字をひっくり返すべく、右目へと指を伸ばす六道の腕に綱吉が縋りつく。
 風紀委員長ががトンファーを振りかざしたまま硬直する。細められたのは、骸のオッドアイで、彼の後頭部がヒバリの顎に命中した!
「ぐあっ!」
「ヒバリさん!」
「ナイスフォローですよ、綱吉くん」
 ヒバリが吹き飛ばされ、コップをなぎ倒しながらテーブルへと背中を打ちつけた。
 綱吉が腕を伸ばすのが見えたが、しかし、骸がいかせずに肩を掴んだ。彼の足元では千種がこうべを下げており、ヨーヨーの糸を取り除いていた。終わるころには、立ち直ってトンファーを構えていたが顎は赤く腫れている。
 骸の後頭部もヒリヒリと痛んでいたが、そんなことはおくびにも出さずに、もがく綱吉を引き寄せた。
「あなたがいつまで経っても黒曜中に来てくれないから、行くことにしたんですよ」
「……ストーカー、ここに極めりだね。六道」
 うんざりとうめく。
 綱吉が頷くのには見ないふりをして、六道は自由な左手で大気を凪いだ。
 全能の神がするような、仰々しい仕草で千種はまぶしげに眉を寄せる。
「愛とはかくも美しいと思いませんか? 僕をここまで馬鹿な男にするんですから」
『…………』ヒバリと綱吉が半眼で黙り込んだ。ものいいたげな、しかし、六道骸が自分で馬鹿だといったのだから否定するわけにもいかず、逡巡のすえに千種をとらえる。
 千種は、眉間をいっそうシワ寄せて、ウンウンと二度頷いた。
「……それは、どこに対して頷いてるんですか?」
 重要なポイントだった。それによって、ずいぶん、話が変わる。
 しかし柿本千種というのは寡黙ではあるが賢く自らの意思をもつ少年である。沈黙を守るあいだに、骸が自らフォローをいれた。「千種は愛に感動しているんですよ」
「へえ……」
 白々しげな眼差しを千種に注ぐのはヒバリだ。
 思わずトンファーも下げてしまっているが、骸が当たり前のように綱吉ごと去って行こうとするのを見て声を張りあげた。
「暴走する愛ってのは見苦しいんじゃないの!」
「かわいらしいんですよ」
「どこがだっ!」
 ツッコミは綱吉である。
 必死に六道の胸から逃れようとするが、悲しいかな、背中に回った両腕はがっちりとホールドである。骸は、きらきらとした目で天井を見上げていた。
 窒息死するくらいに綱吉を抱きしめるので、少年の指先はヒクヒクと細かい痙攣を繰り返しているのだが、それにも気付かず――いや、六道骸という少年は、自分にとって都合のよい状況になだれこむならば愛する人を失神に追い込むことだって罪悪感なしにやってのける――それも笑顔で――なので多分、この場合も気がついているのだろう――むしろワザとだ――、骸は自信たっぷりに頷いた。
 そして、ヒバリは彼がそういった人間であると本能的に感じ取っていたので、心底からウンザリとして首を左右にふった。「そうそうねえ……」
「恋路の邪魔をするものは死んだ方がいい。馬に蹴られろと日本のことわざにもあるでしょう」
「君に都合よく話は進まないんだよっ! その腕、両方とも折ってあげてもいいんだよ!」
 ヒバリが駆け出す! ニヤリと笑う骸との間に、千種が割り込んだ。
「それが有りえるのが骸さまだ」
 うめくように言い捨て、ヨーヨーに床を走らせ風紀委員長を襲う!
 ――が、到達する前にヨーヨーが勢いを失った。
 窓をでたはずの六道骸が、千種の背中に落ちてきたのだ!
「クッ」「うぎゃあ!!」
 三人がなぎ倒しになった上で、綱吉の頭に靴が乗った。
 小さなボディをブラックスーツで包み、山高帽を被る赤子のシルエット。家庭教師、リボーンだ。
 ヒバリは口を引きしめたままだったが、目は微笑んでいた。
「ナイスフォロー。おかえり。どこいってたの?」
「ヤボ用。……コレだ」
 ぴ、と、ニヒルな仕草で小指を立てるリボーン。
 赤ん坊は足の下で折り重なる少年たちを一瞥し、……鼻で笑った。
「テメーらはガキだな。床にのたくって楽しいか?」
「楽しいわけがないですよ」
 綱吉と千種に挟まれながら骸がうめく。綱吉がよろけながらも、頭にリボーンを乗せたまま立ち上がった。落ちないようにわざわざバランスをとるリボーンへのツッコミは後にして、先程からにわかに気になっていた疑問を投げかける。
「リボーン、この部屋に盗聴器があるみたいなんだけど」
「ああっ?! 外しちゃダメですっ。設置に苦労したんですから――!」
「今度、金属探査機もってきてあげる」
 両腕を組みつつ、さりげなく話題に入って恩を売りつけるヒバリであるが、その片足は骸の背中を踏みつけていた。リボーンは背筋もまっすぐにボンゴレ十代目の頭に立ったままで、小首を傾げて難しい顔をした。ニヤリと共犯者に向ける微笑みをつけて、ヒバリへと半眼をおくる。
「今すぐ、欲しいところだな」
「わかった」
 同じくにやりと返して、懐に手を入れる風紀委員長。
 やがて、携帯電話で言いつけられた草壁委員が沢田家の窓からやってくるのだが。
「おまえが大人しく吐くなら、こんな面倒なことやらずにすむんだけどっ」
「ええー。イヤなんですけど。まあ、綱吉くんがキスしてくれるなら」
「ヒバリ。ジャッポーネにはストーカー法があるんだろ。男に適用できねーのか」
「オーケィ。調べてみるよ」
 ……テーブルにジュースを並べつつ談笑するにしても。
 風紀委員長は少年二人が折り重なった上に腰をかけているし。そのうちの一人はベッドに腰掛ける沢田綱吉に懸命に腕を伸ばそうとしているし、沢田綱吉の頭の上でリボーンが足を組ませているし。
 何らかの異常事態が発生したのだと本能が囁いた。
「キスは君からでないとダメですよ。さぁ、どーぞ」
「あのな。誰がするっていったんだよ!」
 青褪めつつ、引き攣る沢田綱吉。
「綱吉、空気の相手しなくていいよ」
 骸の後頭部を肘でグリグリと痛めつけながら、ヒバリがうめく。
 しかし窓辺へと視線をやると、彼はにわかに目を丸くする。
「草壁。いるなら、さっさと入りなよ。もってきてくれた?」
「はい」ピシャンとした返事をするのは、例え何があろうとも風紀委員長への信頼が揺るがないからだ。九十度に腰を折っての挨拶のあとで、草壁は、手提げ袋から金属の箱を差し出した。
「よし。多分、スピーカーの中とかだと思うんだよね」
「へえ〜。オレ、初めて見た」
 物珍しげに黒光りする探査機を見つめる綱吉。
「言っときますけど、この程度じゃ僕の愛は燃え尽きませんからね……」
 どうせまた設置しますし、とは、さすがの六道骸も胸中で呟くだけに留めておいた。
 決して、本気で、空気が読めないわけではないのだ。千種は遠い目で盗聴器を探す風紀委員長たちを眺めた。どうせ、また設置するつもりなのだろうと正確に主人の心中を察していたのだが。
 ふと、視線を感じて窓辺を振り返った。
 骸が上に乗り、その上でヒバリが乗っているので、身動きが取りづらく首だけを回した。
 草壁が、複雑そうな視線を注いでいた。眉根を不審に歪めたが――、風紀委員長に仕えるものと、六道骸に仕えるものと。
 気が遠のくのを感じて千種は目を閉じた。
「…………やばい。気が合いそうだ」
「? 千種、何か言いましたか」
 ゆるゆると、力なく首をふった。
 けれども彼らの上にいる風紀委員長は察知した。何気なく草壁と千種とを見比べて、さらに骸も視界にとめて。十秒ほど後には、ぐにゃっと盛大に眉と口とをひしゃげさせていた。
「? ヒバリさん? 探しましょうよ」
「ああ、うん」心ここにあらずな声音に、綱吉が驚いた。
 なんでもないと強く繰り返しながら、ヒバリが胸中で否定する。
 六道骸の手下に、六道骸と同列と思われたなどと――、絶対にありえない。聞き間違いにちがいない。一人で頷いたすえに、風紀委員長は探査機のアンテナを立てた。
 ……綱吉の、携帯電話のなかから、盗聴器が発見されたのは少し別の話かもしれない。






おわり

 

 




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06.03.19
ティディアーノ*イタリア語「quotidiano」(クオティディアーノ)から。
「日常の、毎日の、」風紀委員の日常…?