らいおん鳥

 

 

 



「――ちい」
 歯軋りをこぼして、ソファーに倒れこむ。
 応接室の扉を蹴りあけたときから、デスクの上で足を組む少年には気づいていた。しかし、相手をする気も起きない。手足がぐだりと弛緩していて、正直なところ、持ち上げるのも億劫だ。
 そいつは、つまらなさそうに鼻を鳴らした。
「情けない姿ですこと。雲雀恭弥」
「君に言われたくない」
 ふっかとした黒地に体が吸い込まれていく。
 ココのソファーは最上のものを用意させてるのだ。
 六道骸は目を細くさせて、背後から夕日を浴びていた。
 首をぐるりと回るものは赤色の首輪で、彼が敗北した証だと赤ん坊に聞いている。六道骸は組んだ腕を解くと、暗緑色の制服を開いて、内ポケットから携帯電話を取り出した。
「つながれて、薄汚いイヌだね」
「地に落ちたトリに言われる筋合いはない」
 クッと喉が鳴る。上半身を起こすと同時に六道骸が喋った。
「いましたよ、ヒバリ君。応接室に戻ってきています」
「僕には風紀委員の業務もあるからね。君らに始終つきあっていられないんだよ」
「何か喚いていますよ……。かわりましょうか」
 しばらくの間を置いて、通話がきられる。
 その頃には、僕は救急箱を片手にソファーに座りなおしていた。
 二の腕から伝ったものが、カーペットにぶつかっていった。
 これは、シミになるだろう。ボトボトと面白いくらいに零れてくけど、皮膚が破けたくらいで済んだのは幸運だ。相手は皮のムチを使ってきたのだから。
「すぐに行くからいい、だそうですよ」
「フン。返り討ちにしてあげる」
「やせ我慢ですか」
 からかう響きはない。
 六道骸は、本気で尋ねていた。
 だから、僕も真面目に返した。
「本気さ」ガラス越しの夕焼け、は、肌をほてらせるほどにまぶしい。
 思い出すだけで腹立たしかった。
 胃袋の底から湧いた黒い塊が、血管と筋肉を伝って全身を駆けずり回って、最後に喉に集まった。吐き気すらもよおす。その黒いものは鉄の味がして、ぴったりと喉中を熱く汚してからまっていく。
「あの男、綱吉の前で――、よりにもよって綱吉の前で、僕に恥をかかせてくれた」
「僕は直接の面識、ないんですけどね。強いんですか」
「…………自分で確かめたら」
「そんな権利がありません身分なもんで」
 自らの指を、首輪にひっかけて六道骸。
 消毒――は、酷くシミた――のあとで包帯を巻きつけて、五分と経たない頃だろう。
 僕が移動しないように見張るだけらしく、六道骸はそれから何も言ってこなかったが、彼は窓の外に向けて目を丸くした。コイツに注意なんて払いたくないけれど、その唇をでた単語には、鼓膜と一緒に指先が震えた。
「おやおや。ボンゴレが先にきましたよ?」
『ヒバリさん!!』
 ――最後に聞こえたのは金切り声だ。
 意識が反転したのは数分だと思う。ディーノとかいう男は血の付着したムチを構えて、口を引き結んだまま仁王立ちになっていた。僕を抱え起こしたのは、綱吉。
『大丈夫ですかっ? 血が――すぐ病院に』
 脳裏での声が収まらない内に、つぶやいていた。
「ディーノとかいう男、殺したいな」
「ボンゴレが怒るんでは?」
「そっちのがマシだよ」
 こんな屈辱に比べたら、数段に、はるかに。
 廊下をバタバタと走る足音は、間をおかずに応接室に飛びこんだ。
「ヒバリさん! どうして逃げるんですか!!」
 叫んだ後で、彼は六道骸に驚愕を向ける。
 思っていなかった存在なんだろう。片手をあげながら少年は苦笑した。
「こんにちは。あいかわらず甘いようですね、その頬はこの男に殴られたものでしょう?」
「骸がどうしてここに?」頓狂な声をあげたが、救急箱を畳む音に正気に返ったようだ。
 綱吉は目尻をつりあげて僕を睨みつけた。
「別に俺は逃げたことを咎めようなんて思っちゃいないですよ。ただ、逃げるなら、もっと遠くにしないと――」
「鬼に追いつかれちまうよなァ」
「ディーノさん!」
 金髪の青年は、のそりと、姿を表した。
 両手にムチを持ち、切れ長の瞳にはケモノのような輝きを宿して。カタギの人間じゃあないなんて、一目でわかる。わからないのは綱吉くらいだ。
 今日はもうやめようと、ディーノの胸を押して懇願している。
「そういうワケにはいかねーな。そいつはスパルタをご所望してんだぜ? ……ツナを殴ってくれたお礼もしないと、いけねーと思うんだけど?」
「いいんです! いつものことですからっ」
「ほお。そうなのか?」
 瞬間、向けられた眼差しには冷気がこもっていた。
 ライオンのような男だ。呑気に見えて野獣の本性をもってる。
 六道骸が、面白がるようにヒュウと薄い口笛をふいた。
「殺しあってくれても、僕は構わないんですけどね」
「縁起でもないこというな、骸!!」
「そんなあなたに忠告、ですよ。逃げる場所を変えても同じコト。今回、僕はメンバーのうちの誰もを逃さないよう見張れと、命を受けてますから」
「な……、リボーンか!」
 肩を竦められて、綱吉は目を怒らせた。
「アイツ……。特訓が必要なのはわかるけど、やりすぎだよ今回は!!」
「そうか?」返したのはディーノだ。綱吉を押しのけて、僕へと距離をつめる。
「特訓の成果があがらなきゃ全員、死ぬんだぜ」
 平然と、穏やかに言い捨てるディーノに絶句する綱吉。
 ゆったりと歩いてくる青年。ライオンの男。上等だ。にやりと笑ってやると、ディーノは不審げに眉を寄せたが、構わずにトンファーを投げつけた。綱吉へと。
「逃げた逃げたって連呼しないでくれる」
「うわっ?! ……ひ、ひばりさん」
 間一髪で避けながら、綱吉が目を丸くする。
 デスクへ近寄ると、六道骸が飛び退いた。たぶん、攻撃されると思ったんだろう。
 ディーノがいなかったらそうしてただろうけど。デスクの下段を引いた。書類にうもれて、奥に横たわるのは銀色のトンファーだ。手に入れたばかりのとっておきだ。
「僕は、逃げたんじゃない」
 両手で握り、水平に構える。
「誘い込んだのさ!」
 じゃきんっとトンファーからトゲが飛びだす!
 綱吉がウエッと叫ぶのが聞こえた。デスクの上にある花瓶をディーノに蹴りつけ、それが合図だった。ディーノは綱吉を応接室の外へと突き飛ばすと「六道!」と叫んだ。
「了解です」
 意味ありげに微笑んで、六道は応接室をでた。
 尻餅をついてる綱吉がチラリと見える――扉が、閉ざされた。
 あの二人を一緒にするのはあまり好ましくないが、綱吉がいないのは大歓迎だ。これ以上、あの子にはついてきて欲しくないのが本音だった。
 誰が、好きこのんで跪く姿をさらすというのか!
 跳躍するとほとんど同時に、デスクの表面をムチがしなった。
 焦げ付いたかのようにまだらな黒い線が二本、刻みつく。叫んでいた。
「わかる? あなた、今、僕がいちばん殺してやりたい人間だよ!」
「悪かったって。ツナが来るとは思わなかったんだよ」
「そーは言っても結果が同じだろ! ゼッタイに噛み殺す!!」
「あらー。もしかしてマジギレ? つってもおまえ、どさくさに紛れてツナを殴るなよ。しかもオレの目の前で。あれ、充分、オレにケンカ売ったことになるぜ?」
 どこまでも声だけは能天気に、ディーノ。
 それがさらに腹の底を逆なでする。
「綱吉をどう扱おうと僕の勝手だ。あなたの知ったことじゃない」
「兄貴分なもんでな。放っとく気はねーぜ」
 本当に、どこまでも気に障るライオンだ。床を叩きつけたムチを踏んで、――トンファーのトゲで、真中を刺してやった。「あっ?!」ムチは中間から二つに裂かれた。
 そう、これをこうしてやりたかった。
「お、おまえ……っ、武器破壊は反則じゃねーか?!」
「はん。知ったこっちゃないね」
「デザインが気に入ってたのにー!」
 うめくディーノに、さまあみろ、と言ってやれた。






06.3.2

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>>しかし、今ごろ応接室の外では骸によるイジメに遭遇してるに違いない綱吉さん