烈裂

 




(鈍い音がした)
 自覚すると同時に口角から溢れてくるものがあった。
 芳香でけぶったミルクが舌をくすぐる。ボタボタと零れ落ちる紅茶でソファーが汚れていく。少年は眉も顰めずに、ただ、腹に突き刺した自らの拳を見下ろした。
「やっぱり。これくらいも避けられないの」
「な……。ひ、ひばり、さん」
 上下にゆるく痙攣して綱吉がうめく。
 応接室に呼び出されて五分と経っていない。
 会話など片手で足りるくらいの分量で、書類を運んだ少年に、風紀委員長はお茶を勧めたのだ。珍しいことではなかった。風紀委員のかわりに委員長を手伝うのも、応接室でお茶を飲むのも。もはや慣れてしまった感がある。
 たった今も、向き合って午後の茶会にいそしんでいたはずなのだ。
 ヒバリのカップはソーサーの上に戻されていた。一瞬で置いて、一瞬で突き刺した。綱吉には何もわからなかった。ティーカップが上下左右に戦慄き、中身があたりに散らばる。
 ヒバリは突き刺した拳をゆっくりと広げた。綱吉の腹をソファーの背へと押し付ける。
「あっう」並大抵の力ではない。みし、と軋む音が脳裏で響いた。
 綱吉の手からカップが転げ落ち、ヒバリの靴先で飛び散った。
「君、弱いの? わからないよ。ここしばらく見てたけど。ぜんぜんわからない」
 堰を繰り返し、少年は戦慄きながらヒバリを仰ぐ。一匹の巨大な獣がいた。黒いはずの瞳に赤味を感じた。「な、にか。気の障る……ことでも」
 腹におかれた手のひらにしがみついた。
 押し戻しを試みるわけでもない。抵抗でもない。ただ、少しでも痛みを訴えようと、渾身の力で腕にすがった。ヒバリは表情もなく、ただ彼の腹を突いていた。
「気に障ること」復唱に感情が篭っていない。
 いつにもまして。氷海を思わせるほどに無味な物言いだ。
「いつもだよ」けれども、急転直下のごとく声音に色がついた。
 憎しみすら漂わせた忌々しい語り方だった。
「君のその声、その目、その喋り方、その腕の動かし方目の瞬き方呑み方歩き方、すべてにおいて気に入らない。どうしようもなく気に入らない。君は何なの? ぜんぶが気に障るよ」
「……ヒバリさん」腕に徐々に力がこもる。腹を突き破られる錯覚が、俄かに沸いた。
「考えてた。いつも。何時間も考えてることだってあった。気に障るのに声をかけるのはどうしてだろうって、でも、もう面倒になったよ。だって君はこんなにも弱い」
「ヒバリさん」ゆるく頭を振る。涙がこぼれた。
「綱吉。これくらいのを避けられないんじゃ、やっぱりただの草食動物なんだよ。安穏と草を食んでるだけの雑魚だよ。君はたまにびっくりするくらいの強さを見せるけど、それがやっぱり僕をわからなくさせるけど、でもやっぱり草食だよ。君と僕とは対等じゃない」
 うめくが、もはや声にもならなかった。「ただの草食動物なら」
「肉食に食われるだけだろ? 他にやられるまえに、やってあげるよ」
 口角をグイと指で拭われる。噴きこぼしたティーでシャツがブラウンに染まっていた。
 ヒバリは表情を変えぬままで綱吉のシャツに手をかけた。腹を刺す手のひらはそのままで、もう片方の手でシャツを引っ張る。ボタンがプッと音をたてて弾けとんでいった。
「どこに痣をつけてほしいかな。とびきり青いのつけてあげる。中にも欲しい?」
「痛……いっ。やめ、やめて」途方のない空虚感に少年は目眩を起こす。
「口の中……。噛み付いてあげる。あけて」
 ヒバリのことを友達だと思っていた。
(とんだ勘違いだったんですね)
 首を正面から掴まれて、ソファーの上に引き倒された。

 

 

 

 







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06.1