帰宅のナゾ

 




「ヒバリさんってドコに住んでるんだろ?」
 応接室じゃねーのと、言ったのは山本だ。
 ヤキソバパンを危うく落としそうになった。獄寺くんが大きく頷いた。
「なかなかスルドいじゃねーか、野球バカにしては」
「何でも下校姿を目撃されたことがねぇーらしーぜ。沈黙した扉は何も語らないけどな」その言い方がホラー映画のようで、ゴクリと固唾を飲んだ。山本が神妙な顔で言葉を続ける。
「午前0時、応接室から夜な夜な人の叫び声が……」
「って、それまるきり怪談じゃないかー!!」
「ハハハ。でも下校姿見られてないてのはマジだぜ?」
 獄寺くんが鼻を鳴らして、ぢゅっとストローを吸い上げた。
 すでに昼ご飯のカツサンドは食べ終えたらしい。片手で、ビニールの包装用紙をクシャクシャっと丸めていた。
「あとを追いかけられないようにしてるんじゃねーの? あいつ、用心深そうだし」
「なるほど。それ、ありえそう……。でも学校なのにね」
「頭のイカれたやつの考えることはわかんねッスよ」
 片手でジュースパックを握りつぶし、獄寺くん。そんなものかと納得した十分後、チャイムが鳴った。教室に戻れば窓から校門が見えた。さっきの質問を思いだしてしまう。そんな問いかけをしたのは、今朝、バイクで学校に乗りつけたヒバリさんを見つけたからだ。
(私生活がナゾの人だよな。ホントに)
 机から教科書をだして、……ビックリしてアングリと口をあけた。
 ヒバリさんだ。グラウンドの隅を歩いてる風紀委員のガクランと、ざっくばらんな風体の黒髪! あの後姿は間違いがない。ウズウズとした。帰るのかな?
 誰も見てないっていう下校姿、もしかして、オレが今見ちゃってる?
 じーっと窓を見てると、ポンと肩を叩かれた。
「十代目? 次の国語、センコーが休みで自習だそうで――」
「えっ」顔を上げても視線は外せなかった。もう少しで校門をでちゃう。駆け出していた。「それならオレ、ちょっと見てくる!」
「あっ? おい、どこいくんだよツナ!」
「十代目ー?!」
 教室をでて、すぐさま階段をくだる。
 一階分をおりたとこで、すぐ上をどたどたした足音が過ぎていった。獄寺くんと山本だ、きっと。でも彼らに声をかけるよりも走っていた。早くしないとヒバリさんが帰ってしまう。
「――――」
 下駄箱をすり抜けてグラウンドにでた。
 人影はない。校門まで走っていって、門の脇に体をつけた。そうっと覗く……。
「? 誰もいないや」
 ガクランは見当たらなかった。
 きょろりとあたりを見回す。太陽がさんさんと白光をおろしてあたりを照らす。グラウンドの真ん中で風がそよいでいた。今日は、空気が冷たいけどカラっとしていい天気だ。そして思い出した、ヒバリさんは校舎の裏手にバイクを運んでいったんだ。ドンピシャだった。角を曲がろうとしたとこで、バイクに跨ったヒバリさんが飛び出してきた。「!」
 ギギッとタイヤが悲鳴をあげた。ウワァって叫び声はオレだ。
「どこ見て歩いて――って、沢田綱吉か。喧嘩うるの、すきだね」
「そ、そんなつもりじゃないんですけど!」
 ヘルメットもなしで、ヒバリさんが片足をコンクリートにつけている。
 風でガクランと前髪とが揺れていた。心臓がバクバクいってる。尻餅をついてしまった。呆然と見上げてたらヒバリさんはため息をついて、上へ向けて顎をしゃくってみせた。
「立ったら?」
「あ、はい。ごめんなさい」
「なんで謝るの」
「ご、ごめんなさい」
 しまった。ヒバリさんが剣呑に眉根を顰めていた。
「君って無意識でそーゆーことしてるわけ。喧嘩うってるよ、やっぱり」
「とんでもないです! そんなつもりは」
「黙って」
「全くな――、っ?」
 ヒバリさんが体を伸ばした。
 手のひらが、髪の毛を一房がしりと鷲掴みにする。そのまま引き上げられて口を抑えられた。すぐ近くで低音がした。「黙って。あっちから来たみたいだ」
「あ、あっひ……?」
 バイクを降りて、壁につける。
 ヒバリさんがスラリとした動作でトンファーをだした。腰を屈めて、角のすぐ隣に背中をつける。何をしてるのかわからなかった、けど、やがてガヤガヤした声が聞こえてきた。数人の若い男だ。だろォーとか、マジで、とかがかすかに聞こえる。ガラが悪そうだけど、ほとんど聞こえない会話をヒバリさんは的確に聞き取っているようで、みるみると両側の口角が攣りあがっていった。
「いいね。いいカモだ。本当、こうしてるとよく釣れて嬉しいよ」
「釣れて……?」漂う不穏な空気に身の置き場がない。そろそろと、一人分の距離を空けたままヒバリさんの右隣についた。ヒバリさんは顔の位置も体勢も変えず、黒目だけをオレに寄越して楽しそうに喉を鳴らした。
「バカがつれるってことだよ。沢田綱吉、君、朝に僕を見ただろ」
「えっ!」確かに見た。でもオレが見たのはヒバリさんの後姿だ。
 バイクに跨って、校舎裏にゆるやかに滑ってく姿で……。
「わざわざ校門の前を通って、わざわざグラウンドを通ってココまできたんだ。意味があるとは思わない? ここ最近、風紀委員を襲撃する輩がいるって話も耳に挟んでないかい」
「ええ! そ、そんな事件が……?!」
 フンと鼻を鳴らしたのは聞こえた。「被害は二人だけだよ。でも並盛風紀委員をバカに」不自然に言葉が途切れた。ヒバリさんがゆっくりと言いなおす。両の黒目が、らんらんと獣みたいに輝いていた。
「僕をバカにしてくれたことには変わりない」
 お、思いっきり、『噛み殺してやる』って目で叫んでる……。
 背中がジンワリしてきた。冷や汗だ。男たちの喋り声はオレにもはっきり聞こえるようになっていた。
「こっちだったよな? あいつがバイク停めてたの」
「馬鹿は都合のいいとこだけ見るからね。誘い出すのは簡単さ」
 トンファーが水平に倒される。ヒバリさんはものすごく楽しげだ。いつもの仏頂面だけど、唇と瞳が俄然として生き生き躍動してる。このひとって、とにかく暴れるのが好きなんだろうか……、もしかして。
 ちょっとした思考を読んだのか、ギラリとしてヒバリさんが睨みつけてきた。
「あいつらは集団でかかれば勝てると思ってる。バカだよ。根本的な実力差がわかってない」違った。ギラギラしてるのは、オレがどうこうー、とかじゃなくて湧き起こる闘志で興奮してるからだ。
 男たちの足音はいよいよ近くなっていた。
「あ、あの」小声でこそりと話し掛けた。
「オレ、逃げていいですか……っ?」
「好きにすれば。エモノは、あげないからね」
「いらないですよ!」叫んだのと男たちが角を曲がったの。ヒバリさんが飛び出したのとは、同時だった。ギャアッと、悲鳴と鈍い金属音。男たちは六人だ。ふつーの人なら多勢に無勢なんだろーけど!
「風紀委員長・ヒバリキョウヤ! 覚えてるか? オレらは、お前ら風紀委員が潰してくれた柄割中学の――」
「忘れたね」「ギャアアアア!!」
 ぱかんっと景気のよい音の直後に悲鳴。逃げる間際に振り向けば、頭部から出血しながら倒れる大男が見えた。そのすぐ脇の、ひょろ長いニット帽の男と目が合う――。彼はオレを指差した。
「つ、捕まえろ! 並盛生を人質にするんだ!」
「!」ヒバリさんがオレを睨んだ。
 はっきりいって、男のよりもコッチのが怖い!
「お助け――!!」全力で逃げだした! 男が二人追いかけて――途中で、ヒバリさんが一人の後ろ襟首を掴んだ。掴んで引きずり倒す、が、背後から先のニット帽男がバットを振りあげていた。ヒュンとヒバリさんの体が回転して、ガクランの袖が振り回される。さながらに黒い振り子だ。
 バチンっと男の顔面を弾いて悲鳴があがる。
 あがった直後に、頬にトンファーがめり込んでいた。
「ッガァ!!」とうめいて男が倒れる。心の中で拍手した。
「こ、この調子ならコイツもすぐにっ」
「コイツってのは俺のことかよ!」
「ぎゃああああ?!」ガツと後頭部を掴まれた!
 男の目が血走ってる。見れば立っている他校生は彼独りだ。ヒバリさんへ突き出し、オレを盾にするみたいにしたまま後退りした。
「近寄ればタダじゃおかねーぞ。このまま、俺が逃げるまで大人しくしてろ」
「逃げる? へえ、君、逃げる気なの。仲間をおいて?」
「自分の安全優先に決まってるじゃねーか!」
 ヒバリさんが鼻で笑った。
 トンファーを構えたままだ。……すごく、嫌な予感がする。
「そういう考え方、すきだよ。でも相手が悪かった」チャキっとトンファーが音色を奏でる。予感は的中だ。金属が奏でられた僅かな間でオレはトンファーに腹をはられて吹っ飛ばされていた。ぐえっとうめいてコンクリートに落ちる。打たれた腹の疼きが脳天に響いて吐き気を催した。
 ぎゃあっ、ぐえっ。いくつもの悲鳴が聞こえる。
 一人でこれだけの悲鳴ということは。ヒバリさん、どうやら倒れた相手に執拗に攻撃を繰り返してるみたいだ。よろめきながらも、なんとか膝をついて立ち上がる。
 ヒバリさんがトンファーをしまい、脱力した男の襟首を手放した。
「まったく。しょうもないね。沢田綱吉、君もだよ」
「はあ……。すいません」
 殴られた上にこれって。すごく理不尽だ。
 泣いてもいいんじゃないか、と思ったところで、ヒバリさんが何かを投げて寄越した。……絆創膏だ。はっとして見上げても、ヒバリさんはいつもの仏頂面に戻っていて目を合わせることもなかった。
「あ、あの。これは。どういう」
「報酬。逃亡を防止した功績を買ったんだけど?」
 死々累々と横たわる男たちを蹴ってどかして、バイクのハンドルグリップをつかむ。
 ギロリと睨んだので、オレは慌てて頭を下げた。拍子に腹の痛みが舞い戻ったけど耐え切った。ていうか、絆創膏じゃ打撃は治療できない気がするけど、きっと、突っ込んじゃいけないんだ!
「ありがとうございますっ」
「ふん。たまには、部下にもエサをあげないとね」
 オレがいつ部下になったんだろう。と、思ったけど黙っておいた。
 ヒバリさんにしてみれば並盛中学校の生徒全員が部下かもしれない。エモノとも言えそうだけど。
 バイクのエンジンが辺りにひびく。腹の鈍痛をおさえながら、うめいた。殴られ損っていやだから、せめてコレだけでも聞いておこう……。
「ヒバリさんて、いつもバイクで登下校してるんですよね」
「そうだけど。変な詮索もされずに済むしね」
 じっとオレを見る。なんだか、質問の意図が読んでるみたいだ。でも言い切った。
「いつも校門通らないなら、どうやってここまで? 下校の姿を見たこと無いって、噂があるみたいなんですが……」
「そんなのがあるの?」呆れたような頓狂な声があがる。
 ヒバリさんは不審げにオレを見つめたが、黙って耐える姿に何を感じたのかため息をついた。顎をしゃくって校舎側の壁を指した。
「そこ登る。降りる。以上」
「は?」
「二度は言わない」
 ツンと顔を反らして、ヒバリさんがグリップに力を込めた。
 足も放したのでグッと車体が持ち上がる。二言目を継ぐ前に、ヒバリさんは颯爽とガクランをはためかせて去っていった。エンジンの煙と、バッタリ倒れてる男たちとオレだけが後に残る。呆然と壁を見上げてしまっていた。
「えーっと、つまり壁をよじのってる、てこと?」
  ……そりゃ、見かけないわけだ。しかも校舎裏だし。
 風紀委員長の底なしに並外れた感覚を思うと沈黙してしまう。さらさらした風が流れた。ふと、ウチの校歌が脳裏に浮かんだ。
 大なく小なく並がいい。特定のフレーズが何度も頭のなかを往復する。
 口の中だけでこそっと呟いた。
「どう考えても、あの人は並から外れてるよなぁ」
 トンファーであっけなく殴打された腹は、もう痛みが引いていた。
 一応、彼なりの手加減はあったらしい。





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