甘いものについて



「ふざけてるの」
 受け取ると同時に、老人の脳天を手中のもので殴打した。
 ヒバリの手には直径五十センチはあろうかというクッキー缶がある。
 老人は泡を噴いて倒れ、強面の男達が怒号とともにデスクを乗り越えた。
「テメェ、何しやがる!」
「大丈夫ですかおやっさん!」
 襟首に伸びた手を、ヒバリはトンファーで叩き落す。
 男たちの勢いが弱まった。その間に、少年は扉の真前まで後退る。
 顔中にシワを刻んだ老人は、手下の男に肩を抱かれながらも上半身を起こした。ひときわ体格の良い男に向けて片手をあげる。彼は懐に手を伸ばしていたのだ。
 男たちは、老人の言葉に唇を噛みしめた。
「ヒバリさんの趣向を読みきれなかった自分の責任だ……。だいじょうぶだ」
 うめいた後で、がくりと伏せる。
 男たちはヤンヤヤンヤとヒバリを責め立てた。
 老人は大切にしろ、とか、非道だ、とか、お前もトシとったらこうなるんだぞ、とか、矢継ぎ早の言葉の嵐が襲いくる。ヒバリは壁を蹴るという荒業で対抗してみせた。事務所の壁に穴があくことはなかったが(襲撃対策として特別に頑丈なのである。建物は鉄筋製だ)、男たちを黙らせるほどには重音を轟かせた。
 ――んんんん……と、余韻の残る間にヒバリはため息をついた。
 ポーズとしてのため息である。本心からではなかった。
「馬鹿らしいね。上納金はビタ一文まけないよ」
「そ、そこをどうにか!」
 倒れていた筈の老人が、がばっと起き上がった。
「今月はどこも不況で不況で! 商店が潰れたら自分等も潰れちまうんだって!」
「僕の知ったこっちゃないね。ホラ、上納金」
「ひいいっ。鬼だ!」
「噛み殺してあげようか?」
「ぎゃあああ!!」
 老人は、デスクの裏へと飛び込んだ。
 男達が彼を守るように立ち塞がる。ヒバリはにやりとした。
「――次回は三十万。それでなら勘弁してあげるけど」
「なっ!! 二倍より多いじゃねえか!」
「今、君たちから毟り取っても僕は構わないけど?」
「ああああ! それで! それでお願いしますっ!!」
 泣き笑いで老人が絶叫した。ヒバリは満足げに微笑んでみせる。
 五分もしない内に少年は自動ドアをくぐりぬけた。二度と来るなと誰かの声が背中を追いかける。あとで、電話でもしてさらに十万を上乗せしようかと、真剣に考えた頃には公園に差し掛かっていた。
 幼稚園児とおぼしき児童が、砂場をスコップで掘りかえしている。時計を見るつもりで視線をやって、ヒバリは、彼らの眼差しが自分を捉えるのに気がついた。注視といっていい。ヒバリは子供に好かれない。犬には唸られる。睨めばキャインと泣くのだが。子供も泣いた。未知にはトンファーで叩きのめして対抗してきた。
 右腕を揺らめかそうとして。
 そうして、クッキー缶を思い出した。
(置いてくるのを忘れた)とはいっても、後の祭りだ。
 ヒバリは、公園の出口に差し掛かったところで足を止めた。
 ゴミ箱。公園に常備されているはずだ。さすがの彼とて、こんなものを抱えたまま家に帰ろうとは思わないのである。視界の範囲に目的のものは見つからなかった。
 かわりに、見知った少年を見つける。
 銀色の髪をした彼は、ベンチに腰かけてタバコを吹かしていた。
(獄寺隼人)
 少年は、暇そうに鳩を見つめていた。
 ゆらゆらと立ち昇る紫煙にヒバリは目を細める。
 缶をぶつけてやろうかという衝動が沸いた。が、それは、少年の後姿で掻き乱される。
 記憶の中の残像だ。今朝も見かけた。遅刻寸前に、校門を駆け抜けていったクセ毛の少年。獄寺隼人と一緒にいることが多い少年だ。赤子と親交の深い少年でもある。フムと鼻を鳴らした。
「甘いものが好きそう」
 ヒバリは踵を返した。
 自宅のマンションとは違う方向だった。

 

 一度はバイクで来た道だ。
 徒歩でも迷いがない。ヒバリはあっさりと目的の場所へ辿り着いた。
 以前と同じように屋根に飛び乗り、駆け上がる。ガンガンと酷い音が鳴りひびいたが、誰にも声をかけられることがなかった。すれ違ったばかりの、メガネをかけた小柄な少年がダッシュで逃げていった。
 ヒバリは、当然の如く窓を開けた。
「やあ。プレゼントがあるんだけど」
「お。貢物か」
「そう」
 土足のまま押し入る。
 部屋にはリボーンがいた。
 銃器を並べて、ひとつひとつを丁寧に拭き清めている。
 きょろりと首を巡らすヒバリに、リボーンがクッと喉を鳴らした。
「ツナはいねーぞ。山本の練習試合を観に行った」
「ふうん。赤ん坊、甘いものは好き?」
「喰うぞ」
「沢田綱吉は?」
「あっちも喰うぞ」
 クッキー缶をベッドへ投げる。
 ぼすんと落ちたそれに、リボーンは目を輝かせた。
「おお。某メーカーの最上クッキー缶! でかしたぞ、ヒバリ!」
「どういたしまして」ベッドに腰をおろしたヒバリは、缶を眺めまわすリボーンにクスリと笑みをこぼした。普段の皮肉げな色は見当たらなかった。「やっぱり、赤ん坊だね」
「るせーな。極上のモンには極上の反応をするもんなんだよ」
「なるほど」
 含み笑い。リボーンは、構わずに缶のフタと格闘した。
 ビアンキやらランボやらハルやらと、ヒバリには馴染みがない連中は程なくしてやってきた。女性は甘味センサー付きだものと、ビアンキが得意げに微笑する。ヒバリは顔色一つ変えずにクッキー缶とクッキーを貪る少年少女及び成人女性を眺めていた。
「すごーっ。おいしーっっ」
「イケるわ。レシピが見たいものね」
「ガハハハハハ! 残りのチョコチップは全ていただいた!」
「ざけんな」
「ぐふゥ?!!」
 時折り濁音が聞こえるが、クッキーは見る見る枚数を減らしていく。
 三分の二も減ったところで、ヒバリが呟いた。
「沢田綱吉の分はいいの?」
「いない方が悪いのよ」
 ビアンキは、最後のチョコチップを齧る。
 その細い腕はランボを無理矢理おしのけている。ランボの悲鳴が響きわたった。しかしすぐさまリボーンが「うるせー」と尾っぽを蹴るので沈黙した。見事なコンビネーションである。クッキーはものの十分で食べ尽くされることとなった。空の缶を前に、リボーンたちが満足げに息をつく。ハルが飲み物を求めて階下に行った。
 ヒバリは窓辺に立っていた。歩道がオレンジ色に染まっていたが、あの少年は見えない。ふうと密かなため息をついた。本心からのため息だった。しかし、そうした経験が極端に少ない彼にはこれがポーズでないと気づくことができなかった。
(……甘いもの、好きそうだったけど)
 ハルが部屋に戻る。リボーンはランボに一方的に絡まれていた。
「ヒバリ。窓を開けろ」
 枠を掴み、スライドさせる。
 ランボが爆弾を抱えたまま外へと投げ出された。
 目の前で起きる爆発にもヒバリは平然としていた。ハルの悲鳴が部屋中に木霊する。爆風が収まらない間に、ヒバリは窓から身を乗り出した。
「群れるのは嫌いだ。長居したね」
「おー。またな」
 ガクランの裾が、はためいた。

 

(十万、上乗せさせるんだった)
 それを思い出したのは、向かいからやってくる獄寺隼人を目に留めたからだった。
 廊下の窓は開け放たれて北風が吹き込む。ヒバリの前髪は右に流れ、獄寺も同じだ。二人は、視線が合うなり互いの目尻を吊り上げた。獄寺は懐に手を伸ば――したかったようだが、両手一杯に抱えた紙の束により阻まれた。真横のツナが飛び上がっていた。
「ひっ、ヒバリさん!」
 ツナが持っていた書類が、ばさばさと床に散らばる。
 獄寺の持つ分の半分もない量である。しかしそれでも、ツナの足元は紙片で覆い隠される。
 慌ててしゃがみ込んで書類を拾うが、その目は恐ろしげにヒバリを見上げていた。
「あ、あの。リボーンとかハルとかがご馳走になったとか。母さんが言ってて。ありがとうございましたっ」
「十代目! 十代目が礼を述べる謂れはありませんっ!」
「ご、獄寺君!」
 青くなるツナ。書類を拾うどころではなかった。
 彼を見据えたまま、ヒバリは静かにツナの本名を呼んだ。その目は野獣のようなギラつきがある。ツナの肌が粟立つ。ぴっと背筋を伸ばし、風紀委員長の言葉を待った。「な、なんですか!」
「甘いものが好きそうだよね」
「へっ?」
「君が。好きなの」
「えっ……。わりと好きですけど」
「そう。じゃあ、クッキー食べられなくて残念だったね」
「はあ」甘いものは好きだ。が、ヒバリからの贈り物ならば怖くて喉を通らない。毒でも入っていそうだ。内心で思うツナだが、ヒバリが不快げに片眉をあげたので、慌てて頷いた。
「ハイッ。残念ですッ。なんか、すごい良いトコのお菓子だとか!」
「君も知ってるお店なの?」
「あ、知らないです。でも気になるかなー、なんてッッ」
 そう。一言だけを返して、ヒバリは踵を返した。
 ツナは呆然とその背を見送る。獄寺も、面食らったように呻き声をあげた。「なんなんだ、アイツ……」
 教室に置いていた書類のいくらかを回収すると、ヒバリは応接室へと戻っていった。
 ペンを紙面に走らせる。時折り電卓を取り出した。と、不意に窓を見て、またも忘れていた追加の取立てを思い出した。下校中の生徒のなかに銀髪が居たのだ。隣には沢田綱吉が居る。
(甘いものが好き。そうだろうと思った)
 デスクの隅に放っていたケイタイに手を伸ばす。手の中でくるりと回転させた。
 瞳を瞬かせて見下ろし。数秒の沈黙のあとで、アドレス帳から番号を引きだした。
「……ああ。僕だよ。この前の件なんだけどね。少し気が変わったんだ」
 かの老人は、ヒバリという少年のやり口を知っている。
 気まぐれで容赦がない。鬼も泣くだろう。
 いくら増えるんですか、と、戦々恐々とする声音にヒバリはクスリとした。
 はるか遠方の事務所で老人は呆然とする。優しさとか慈しみとか。そんな感じの、到底ありえない種類の情感を匂わせる吐息だったからだ。
 ヒバリは窓の向こうを透かし見た。釣り目が山なりになった。
「また、あのクッキーを用意しといて」

 

 

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