ボンゴレと風紀委員長

 


「うあああああっっ」
 悲鳴と砂埃に、下校途中の生徒がざわめいた。
 しかし誰もがすぐに目を反らす。少年は、校門を飛びだして住宅街を走り抜け、商店街に突入した。彼の家は住宅街の半ばにあるので、オーバーランであるのだが。
 背後に続くもうひとつの砂煙が、自宅への直行を許してくれなかった。
 少年、沢田綱吉は死ぬ気で逃げていた。
 走りすぎでおぼろげになる脳裏に、コッソリと自宅に戻る計画が浮かぶ。その言葉だけ、だ。
 実行できるかどうかは、二の次……、と、頭を抱えたくなったところで、悲鳴がツナの思考を遮った。
「きゃあ!」
「ご、ごめんなさいい!」
 スーツ姿の女性だ。肩がじんとした。しかし足を止める余裕はない。
 轢き逃げよろしく、ツナは走りつづけた。何すンのよ、と怒りに満ちた叫び声が背中を追いかける。しかし直後に、派手な悲鳴とゴリっというイカつい摩擦音が聞こえたので、綱吉は涙ながらに両耳を塞いだ。何も聞かなかった、今の人は自分でコケたんだ! と、自らに言い聞かせる。
「おい、あんた、なにして! ……ぐあ!」
 中年男の声も聞こえない。
 ぶんぶんと頭を振りながら、心底から叫んでいた。
「あああ! あんなこと、やらなきゃ良かった……!」
「何言ってんだ、オマエは立派だったぞ」
「! リボーンっ」
 聞き覚えのある声にパッと顔を明らめる。
 現状を打破するに最も相応しい人物の声、とも言えた。
「助かった。なあリボーン、あいつを――って、でぇ?!」
 ぎょっとしたツナの視線の先には、並行して高速で走るカメレオンがいた。
 カメレオンは表情も変えずに前足・後ろ足を前後させている。早すぎて動きが見えない。
「すまんな、今は日光浴の真っ最中なんでな。レオンに通信機を持たせただけだ」
「な、なんだよそれっ! リボーン、オレ、今あの時のセンパイに」
「わかってるって。追われてるんだろ? オマエも難儀だよな」
「そもそもの発端は、応接室に行けっていったリボーンじゃないか!!」
「まあ、これも試練だ。ボコられるのも、また、試練だ」
「ワケわかんないし!」
「要するに自力で逃げろっつーことだ。じゃあな」
 えっ! と戸惑うツナを置いて、レオンは坂を流れ落ちる水のような素早さで地面を這っていった。首筋につけられた丸い物体が通信機だったのだろう。しゃべっている間は赤く明滅していたランプだが、今は、真っ黒く淀んでしまっている。
「そ、そんなァ」
 ショックを隠せずにツナの歩調が弱まった。
 例の風紀委員長に呼び止められたのは十分前だろうか。
 獄寺はトイレに行き、山本は部活だ(「久しぶりに、二人だけですね!」と、獄寺が喜んでいたのがツナには不気味だった)。風紀委員長は、以前と同じような、ひそやかな獰猛さを秘めたような笑顔を浮かべ、下駄箱に立ち塞がった。
『この前のお礼をしようと思ってね……。今、いいかな』
『あ、あのっ。と、ともだちがトイレに』
『煙草嫌いなんだよね。あれには用がないし、構わないよ』
『え、なんで、獄寺くんのこと……』
 風紀委員長の笑みは悪戯っぽいものに変化した。
 彼を見るなり、下駄箱にやってきた生徒のことごとくが回れ右をしてどこぞへと去っていく。
 帰ってゲームしよー、などと言っていたクラスメイトが、わざとらしく「忘れ物した」と呟いて逃げていったのを見て、ツナは危機的状況に置かれたのだと気づかされた。
『調べたからに決まってるだろ? あの時一緒にいた片方は野球部のエースだ。今日は部活。でも、あの赤ん坊のことは、学校にあるデータじゃわからなかったなぁ』
 ギクリ、と、ツナの体が強張る。
 クラスメイトに気を取られた一瞬のあいだに、風紀委員長が目と鼻の先に押し迫った。
『あ、赤ん坊……っ?』
 一瞬、本気でなんのことかわからなかった。
 ツナにとって、リボーンは赤ん坊のカテゴリーに含まれていない。リボーンは、殺し屋な家庭教師、という独特なカテゴリーに分類されているのだ。
 しかしそんな事情など知るよしのない風紀委員長は、フン、とつまらなそうに鼻をならした。
『ぐっ!!』
 喉に焼けるような衝撃が走る。
 硬い円柱が、腹に喰いこんでいた。
『まぁいいよ。おいおいわかることさ。お礼を、先に……』
『伏せてくださいっ。十代目ェ!』
『?!!』
 叫び声に反応してしゃがみこんだのは、ツナだけではない。
 風紀委員長も同じように身をかがめていた。
 不機嫌に眉を吊り上げる横顔が間近にきて、ツナは、内心でヒッと悲鳴をあげた。
 派手な爆発音に激しい爆風。立ち上がれるほどに収まったころ、指の間にダイナマイトをはさんだ少年が、強引にツナと風紀委員長の間に割り込んだ。
『十代目、ここはオレに任せてください!』
 妙にキラキラした目で獄寺が振り返る。
 しかし、すぐさま、彼は白目をむいた。トンファーが後頭部にめり込んでいる。
『うわあああああっっ?!』
『あれっ? 逃げようとか思っちゃうの?』
 ダイナマイトに着火されていなかっただけ幸いか。
 獄寺が倒れきるまえに駆け出していた。背後から聞こえる軽快な足音に、
「うあああああっっ」
 と、叫んだが当然のように助けはなく。
 そうして、今に至った。
 なぜこんな目に、と、リボーンと出会ってからいくども叫んだ言葉を繰り返す。
 今回は山本も獄寺もいないので風紀委員長と一対一だ。リボーンの死ぬ気弾すら期待できないこの状況では生存すら危うい。
「殺されるっ。ぜったい、殺される!!」
「ナニ、殺して欲しいの?」
 ぞくっとするほど艶かしい呟きと共に、後頭部が鷲掴みにされた。
「わっ?!」頭だけで無理に方向を変えさせられ、胃がよじれる。風紀委員長と向き合う格好になった途端、首筋にトンファーが押し付けれた。びくりと硬直したのを見て、風紀委員長はニヤリと笑う。
 抵抗することもできず、ツナは、ビルとビルの隙間へと引き摺りこまれた。
「ここなら邪魔が入らないよ」
 狭い空間だ。否応なしに体が密着する。
 三十センチほど先にある凶悪な微笑みと、一センチの距離で突きつけられたトンファーの柄。言葉も顔色も失ったツナの身体は震え出していた。
 ハ、と、嘲りのため息が、形の良い唇からこぼれでる。
「もろいね。群れがそんなに恋しいの?」
 トンファーの切先が頬にめり込む。
 ツナが無言でいると、腹に、したたかな拳が打ち込まれた。
「ぐっ」
「返事はするように」
 子どもをいさめる母親のように、口調は、やさしい。
「な……、なんなんですか、アンタ」
「あんた? わお、大した口きいてくれるじゃない」
「あうっ!」殴られた腹に、さらに上から打撃を重ねる形でトンファーが牙を剥いた。
 ツナの体が傾く。膝が崩れても、風紀委員長は顎だけを掴んで引きとめた。
「まだネンネするのは早いよ。僕を殴ってくれた礼も、赤ん坊のことも聞いてないからね」
(このままなら、俺、殺される!)
 ギリ、と顎にかかる圧迫を感じ、綱吉の意識が遠ざかる。
(今日の朝、恥ずかしいって思わないで京子ちゃんに自分から挨拶しておけば良かった。明日食べようなんて思わないで、昨日の内にアイスも食べきっておくんだった。ああ、母さん、悲しむかな。不憫な息子でごめん……)
「だから、まだ早いって言ってるじゃない」
 右頬に熱が集中する。平手打ちを喰らった、と理解した時にツナは奥歯を噛みしめた。
 死ぬ気弾は死ぬ気にさせる銃弾だ。もとを辿ればツナ自身の力のわけで……。イチかバチか、である。
「うおおおっ。死ぬ気で風紀委員長を殴ッ」
「おっと。その手はもう喰わないよ」
「いたっ!」
 ガン、と後頭部がコンクリートに打ち付けられる。
(やっぱりリボーンがいないと無理――ッッ)
 見ると両手首が鷲掴みにされ、壁に押し付けられた。
 手首と一緒に握られたトンファーの無機質な冷たさにぞっとする。
「にしても、よくわからないね」
 薄気味の悪い笑みを浮かべながら、風紀委員長はツナを見下ろす。
 瞳が奇妙にきらめいていて、なおさら少年を脅かすのだが、吊り上った口元は至極楽しげだった。
「草食動物かと思えば、いきなり、襲い掛かろうとしてきたり?」
「い、痛」
「どっちが本当なんだい」
 鼻と鼻が触れ合うほどの距離だった。
 綱吉の目尻に涙が浮かぶ。あんなことするんじゃなかった、と凄まじい自責の念に追われつつ、ふるふると首を振る。風紀委員長は、極度に怯えた様子に気をよくしたようだった。
「僕は群れるのが好きな小ウサギでも相手にしてるのかな」
 つ、と、前髪の一部が摘まれる。
「黙秘を貫くのかい? 怖くてモノが言えないの、それとも、抵抗してるつもりなの……?」
「う、っつ」
 指に髪を絡めたまま、風紀委員長は指を口元へと運んだ。
 引っ張られる形になったためにあがるうめき声に、ますます、風紀委員長の笑みが深くなった時だ。
 足元に視線を落としたツナは、鈍く輝く希望を見つけた。
 深く考えるヒマもなく、叫んでいた。
「レオン、馬に変身して!!」
「?!」
 足元で白煙があがり、風紀委員長はツナとの距離を空けた。
 わずかなすき間に押し入るようにして現われたのは、漆黒の毛並みをもった黒馬だ。
「なっ!」
 切れ長の瞳が大きく見開く。
 黒目は、ツナが首にしがみつくのを捉えた。ヒヒン、と、馬が吼える。
 本能的に背後へと飛び退いた。狭い空間である上に咄嗟なことなので、バランスを取れきれずにたたらを踏んでしまう。しかし、先程まで彼が佇んでいた位置には、くっきりとしたヒヅメの痕が刻まれていた。
「…………っ!」
 トンファーを構える風紀委員長と、首にしがみついたツナとの視線が交差した。
 互いに、驚き緊張しつつもどこか呆けたような表情をしている。風紀委員長は頭の真ん中が熱くなるのを感じた。馬が地面を蹴ると同時に、鋭く吼える。
「僕のことは雲雀恭弥と呼べ!」
 悲鳴があとに続いた。商店街に飛び出した風紀委員長が見たのは、馬の尾っぽとヒヅメと、往来で腰を抜かしている人々だ。風紀委員長の足元には、誰かが落としたのだろうリンゴが落ちていた。
「フン」艶やかなリンゴの表面に、歪曲した自分自身が映る。
 生きた顔をしているのだろう、という確信があった。
 拾い上げて、親指で汚れた表面を拭う。
「面白いじゃないか!」
 大きく振りかぶり、空高くに投げつける。
 はるか遠方で綱吉の脳天にヒットしたのは、……真実である。
 そして、綱吉の自宅では、スーツ姿の赤ん坊がつぶらな瞳で望遠鏡を覗いていた。馬にしがみ付く半泣きの綱吉を映しながら、にやりっと笑う。
「にらんだ通りだな。ヒバリは、ボンゴレファミリーの一員に相応しいぜ」
 望遠鏡を懐にしまい、サングラスをかける。
 赤ん坊には似つかわしくないハードボイルドな動作だった。

 

 

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一番最初に書いたリボーンSSです
ヒバリさん初登場すぐな感じで