幽霊と雲雀

 

 朝、起きた。ゴハンを食べて歯を磨いて家を出て、道中で見かけた遅刻しそうな生徒を二名しばいて今に至る。
(寝惚けてるのかな)
 寝起きからの記憶はおろか、昨晩の記憶も完璧だったが恭弥は自分を疑った。
 難しい目で見つめていると、小柄な少年がふり向いた。
「ひ、ヒバリさんっ?! おはようございます!」
 慌てて頭を下げる。
 両手をピシリと胴体にくっつけて、まるで軍隊の整列だったが僕への挨拶だからそれでいいと恭弥は思う。
「君……さぁ」
 言葉が濁る。
「はい?」
 沢田綱吉は、元よりビックサイズの双眼をさらにくりりと丸くしていく。
「…………。いや、なんでもない」
「ヒバリさん?」
「遅刻したら噛み殺すよ」
「ひぃっ?!」悲鳴を背後に、性急に歩きだした。しかし、……そのまま颯爽と去るつもりでいたが、恭弥は無意識の内に足を止めていた。
 肩越しに盗み見る。
 見間違い――見間違いでは――? いや――見間違いじゃないようだ。
(なんだ、あれ……?)
 綱吉の背後では、ばかでかい黒のマントを広げた少年が浮いていた。
 顔立ちは、沢田綱吉に似ているが、狐色の髪とふしぎな色をした瞳のカラーが違う。全身から立ちのぼる雰囲気も綱吉のものとはまったく違う。
 沢田綱吉の肩あたりで浮きながら、マントを海中にいるかのように宙に漂わせる。
 幽霊。背後霊。守護霊。地縛霊。
 思いつく単語を並べてみて、恭弥は結論づける。授業に出る気になっていたのだが。
(……眠いんだろうな。応接室に行こう)
 ふあ。と、ムリにアクビをひねり出せば、確かにまだ眠り足らない気がした。

 お昼休み。あの生徒の教室を覗いてみる気になったのは、昼前のうたたねを済ませてみればやっぱり疑問に思ったからだ。
 僕が、目の錯覚なんぞするわけない。幽霊なんかが実在するのか?
(バカらしい。オカルト主義なんて、――六道骸のバカだけで充分だよ。まさか僕に限って見間違えることもないと思うけど)
「…………」
 昼食の風景は――沢田綱吉は、彼の取り巻きと共に群れて購買パンを広げていた。食べているのはコロッケパンらしかった。
「…………」
 がらららら。
「ぎゃぁああああっ?!」
「風紀委員長だ!!」
「な、なんだっ?!」
 唐突に、教室に立ち入った学ランの生徒に、二年生の教室がパニックを起こす。
 こめかみに筋を立てて立ちあがる獄寺隼人に青褪めつつも、綱吉も立った。ヒバリさん?! どうしたんですか、とか、言っているが恭弥は綱吉の肩を睨む。
「君さ、交通事故現場で手を合わせただろ」
「はっ?」
 ポカンとした後で、綱吉は浅く首を左右にさせた。
「い、いえ……。してません」
「なら、先祖のお墓参りに行っただろ」
「行ってません」
「ウソをつくなら噛み殺す」
「何でーっ?!」
 トンファーを取りだした恭弥の目の前で、あろうことか、幻影が口を出した。
「惜しいな。イイ勘の持ち主ではあるが」
「ひ、ヒバリさん! しまってください! オレなんもしてませんよーっ?!」
「……――聞こえてないの?」
「えっ?!」
 眉間に縦皺を刻み、恭弥は改めて顔をあげた。
 綱吉そっくりの容姿をした少年は、無表情な両眼の下にクスクス笑いを浮かべる。イヤミがちに口角が動く。
「アラウディにはもう会ったのか。しかし声までそっくりとは……。お前は変わらないな。俺と同じだ」
「誰だか知らないけど、不快だよ」
「?! ?!」
 綱吉は、自分の少し上を睨んで怒気を醸しだす風紀委員長に怖じ気づいて言葉を失っていた。隼人が急いで割りこもうとしたが。
「とりあえず――」
 恭弥の黒目が、綱吉の額の真ん中へと移る。
「ひぃいいいっ?!」このごろ、イヤに勘がよくなった沢田綱吉は脱兎の勢いで身を翻した。しかし後ろ襟首を硬く握る。
「僕はふりあげたトンファーは下ろさないよ。群れた罪で噛み殺す、沢田綱吉」
「っ――」綱吉の悲鳴が響き、やや遅れて隼人の怒号が窓を揺らし、そうして昼休みが延長するほどの喧噪を残して恭弥は去っていった。
(綱吉は自覚してないのか。あんなご大層そうなヤツをつれておいて)
 廊下を早歩きで歩いていきながら、恭弥は不意の予感に襲われた。学ランのポケットに入れてある指輪を思いだす。
 指輪――。天才的なひらめきでもって恭弥は一人で頷いた。試してみるのは今日の夜にしよう。

 

「……ひとつ、質問をしよう」
 思った通りに声がかけられた。背後から。振り仰げば、そこにはマントを虚空にゆらゆらと広げる少年が座っていた。
 何もないところに腰を落ちつけながら、少年はしげしげした眼差しで観察を続ける。
「なぜ、ツナから指輪を奪おうとする? お前は俺が気に入らないのか」
「ビンゴだね。やっぱり草食動物のコレだったんだろ」
 寝巻き姿で、綱吉は恭弥の足元に倒れていた。
 風呂上がりに、部屋に戻ってくるとき――油断しまくっている一瞬を狙って首筋にトンファーを思いっきり叩きつけた甲斐あって、綱吉はベッドにもたれるカタチで意識を失っていた。
 恭弥の右手は、まさに、今、綱吉の胸元をまさぐったところである。
 金属の鈴鳴りを響かせて、恭弥は、綱吉やその群れが大空のリングと呼んでいるものをネックレスの鎖ごと引っ張り出す。
「僕の指輪も、火にくべてから変な金髪男がでなくなったから。これも処分してあげる」
「ほー。ほー。問題児のようだ」
 恭弥の勝ち誇った笑みに、沢田綱吉似の少年は半眼を帰す。
「しかし、無駄だぞ。我らをそのような手法で追い払うヤツがあるか。指輪もアラウディも必ずお前へと戻るだろう」
「それならまた捨てるまで」
「無駄だな」
 今度は、断定で言われたので恭弥も不穏なもので腹の底をピクリとさせた。
「噛み殺してあげてもいいんだよ、死に損ないが」
「お前、俺の質問に答えていないぞ」
 割りとどうでもよさそうな口調で――綱吉に似ている割りに、口調も、立ち振る舞いもまったく似ていないので恭弥は詐欺にあっているような気分になった――少年は、先の質問を繰り返した。
「指輪を処分してあげるんだよ」
 恭弥は、やはり同じコトを言ってみる。
「違う。気にかけていないと見せかけて気にかけている貴様の立ち振る舞いについて尋ねているのだ。密かに便宜を図ってやって貴様はツナをどうしたい?」
「何をいってるのさ。目障りだから消す。それだけだよ」
「それも違うな。……真実も雲に隠す気か? 俺が焼き払ってやるぞ?」
「何を……」
 反論しようとして、だが、少年の薄笑いで気が変わった。ムカつく男じゃないか。
「――君は、噛み殺す」
「ほー。そうか」
 少年は、気絶している綱吉を一瞥してから無表情になった。
「俺からも言っておこう。あまりイタズラが過ぎると痛い目に遭うぞ」
 親指を曲げて、ぱちんっと音を鳴らす。
 恭弥の下で綱吉が身動ぎした。打たれた首筋に手を当てながら、体を起こし、乱暴にボタンの外されている胸元に気付く。
「イッテェ〜〜ッ。な、なにが起きたんだ今……って、ヒバリさん?!」
「綱吉」
 咄嗟のことだったので、つい本名の下の名で呼んでしまう。
 綱吉は、恭弥の手にあるリングを見つめ、自分の剥けた肌を見つめる。その頬が次第に青くなった。
「えっ……」
 背後霊の少年は、マントを広げながら綱吉の後ろに降りた。教えるように一言だけを口にした。
「夜這いだな。よくないオオカミだ」
 まるで、その声が心臓まで響いているかのような絶妙のタイミングで綱吉が悲鳴をあげた。パジャマの首元を握って抑えると、チリンッとリングと鎖がこすれた。
「う、うわぁあああああっ?!」
「…………っ!」
 顔を真っ赤にしてベッドの毛布に掴みかかって――身をよじっている綱吉に、恭弥も目の奥が疼いた。
「ち、違う! ちょっと――見回りにきてあげる気になっただけだろ?! 何を勘違いしてるんだよ、綱吉!」
「えッ。あ、えっ?」
 恭弥が下の名を呼んでくることも含めて当惑しているのか、綱吉はますます頬を赤くした。
 こめかみに、汗を浮かべながら必死に首を縦にしている。
「す、すいません! あれ――。なんでオレ、そんな……すいません、ヒバリさんは絶対にそんなことしないのに」
(絶対って)
 それはそれで、君が一体、僕の何をわかっているんだという気になった。
 しかし恭弥も自覚する。体が熱かった。
「違うから。赤ん坊は? 赤ん坊は何をしてるのさ。君のお守りが仕事だろ」
「残念だな。公認だぞ、俺は」
 ベッドの上でマントをゆらゆらさせて、少年が面白がる。
「…………。この男は、何?」
「だ、誰のことですか」
 パジャマのボタンを直した後で、綱吉は手の甲で汗を拭う。
 恭弥は、幽霊のような少年を顎で示す。
 しかし綱吉は不審げに顔を顰める。
「ヒバリさん?」
「……あー、そ。そう。へぇ。……指輪ね……。へぇ」
 イライラとしてくる。この胸の痒みを自覚するなり恭弥は踵を返した。
「もういいよ。じゃあね」
「お、おれは一体なんで殴られたんでしょうか……?」
 申し訳なさげに真意を尋ねる綱吉は放っておいて、窓を出て行く。夜空に飛び込むように走って、屋根から道路に飛び降りてからも走っていった。
 辿り着いた先は夜の並盛校舎である。
 応接室の電灯をつける。ついこの間、使用した暖炉の下に手を突っこんだ。指輪は、燃えるどころか以前よりも澄んだ銀光りを宿して恭弥の手中に戻る。
 息が、鼻腔に溜ってハァハァと揺れる。しばらくは無心に指輪を眺めた。
 群れは嫌いだし、関係ない争いに首を突っこむのも趣味ではない。だが。やがて指輪を握りしめて学ランのポケットに戻した。
 校舎の校門を昇り、学校を後にする道中で呟く。
「しまった。幽霊の予言通りだな」
 結局、綱吉と別れてから、恭弥がその晩に口にしたのはその一言だけだ。翌朝。さらに翌々日。綱吉の後ろには幽霊が浮き続けていたが、恭弥はもう目は遭わさずにコトがくる日を待つことにした。









10.05.07


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