子どもの日


  ちょっとワケ有りで戸籍謄本は燃やした。
  しかし雲雀恭弥は困らない。それが問題にできるほどの人物は、もうこの町にいないからだ。並盛町も並盛中学校もヒバリの庭のようなものだった。
「僕はいつでも自分の好きな学年だよ」
 リボーンに呼び出されたのは、リング所持者の名簿を作るためだった。
「じゃあ、年齢は?」「…………」
  沢田綱吉の部屋であぐらを掻いたまま、膝の上に肘をつく。頬杖をついた。狭い部屋だ。沢田綱吉は、ベッドに寝転がりながらマンガを読んでいた。ちらちらとヒバリを気にしている。
「年齢ねえ」ちらりと視線を窓に流す。
  まばらな雲が青空にかかっている。きれいな一日だ。
「……不明」
「ほお。じゃあ、誕生日は」
「……五月五日」
「ん?」
  声をあげたのは綱吉だ。
「今日だよ。五月五日って。子どもの日だ」
「ほォ。なるほど」リボーンは縦長のメモ帳を手にしたままで顔をあげた。カレンダーをまじまじと見る。ヒバリに視線を戻すと悪びれもせずに尋ねた。
「何歳になったんだ?」
「だから、不明」
「教えろよ。水くせえ」
「…………」ヒバリは頬杖を崩す。不機嫌に沢田綱吉を睨み付けた。
「じゃ、邪魔ならオレ席外そーっかなぁ」
「別に。余計なこと言ってくれる、と思うだけ」
  つっけんどんに言いつつ、ヒバリは片手をぱたぱたと左右に振った。何かを否定するようなジェスチャーだ。
「トシは僕も知らない。忘れた」
  戸籍謄本が無い分、一度、忘れてしまうと取り返しがつかなかった。ヒバリはそれもまた面白いと思って気に留めない。人にプロフィールを聞かれてもマジメに答える気などない。だが、こうした場面が来ると、いくらか居心地の悪さがあった。
「……何?」
「え。あ、いやっ」
  沢田綱吉は無意識だろう。哀れむような目付きをしていた。
「まあ、色々あるからな。裏の世界ってやつじゃ」
  リボーンは重大視しなかった。納得して、メモ帳に記載をする。
「誕生日、めでてーな」
「わお。五年ぶりくらい、人にそう言われたの」
「ヒバリさん、おめでとうございます」
 まったく頓着無く、沢田綱吉。ヒバリはフンと鼻を鳴らす。
  と、リボーンが窓の外に目を向けた。ふよふよと漂うのは鯉のぼりだ。
「ママンがガキつれて遊園地行くっつってんだが……。ヒバリ、てめーもくるか?」
「へー。いやだね」
「じゃ、留守番よろしく」
  リボーンがちゃきりと片腕をあげた。
「いやだよ」というか、受け入れる理由が無いヒバリである。
「やっぱ言った通りじゃん」
  ベッドの上から綱吉がうめく。
「オレは午後からでかけるからなー。京子ちゃん達とプールなの! 通販ぐらい、一日遅れになってもいいじゃんか」
「こぉらダメツナ。テメーにはわからねーのか、このたぎる思いがよ」
  メモ帳を置いてぶるぶると拳を震わせてみせる。ヒバリはじっとリボーンを見つめた。
「何か届くの?」
「ああ。一週間前に頼んだダイエットグッズだ」
「それ、僕に受け取って欲しいんだね」
  プロフィールの聴取が終わったのなら、とっとと沢田家を後にする予定だったが。ヒバリは予定を変えることに抵抗を持たない。すぐに合点した。
「借りひとつ、ね。留守番してあげるよ。但し、ヒマだから沢田綱吉も一緒に」
「おお! そうか? 頼むぜ、それで」
「おおいこら待てぇええええ!!」
「決定だね」
  ふあ、と、ヒバリが欠伸をする。
  その後ろ手でしっかりと綱吉の襟首を掴んでいた。すっかり青褪め、小刻みに震える少年をベッドの向こうに押しやって自分もベッドに膝をつく。
「いつかのゲームは覚えてるね? 音を立てたら負けのやつ。負けてよ」
「ひひひひばりさん、如実に暴力が目的って聞こえるんですけど!」
「そうするのが目的だからね」事実だったので大人しく肯定する。
  沢田綱吉は悲鳴をあげた。てこてこと部屋をでていくリボーンに助けを求めるが、ヒバリが思うに彼はこちら側の人間だ。取り合うわけがない。
「じゃ、留守番頼むぜ。チャイムが鳴ったら起きろよ」
  実際、リボーンはそれで出て行った。
「お、オレの約束は……?!」
「ドタキャン。僕から電話しよっか」
「ああああ自分でやりますう――っっ!!」
  奪われた携帯電話を取り戻し、綱吉がヒバリと距離を取る。
 特別な興味があるわけではない。ベッドに寝転ぶと、ヒバリはすぅと息を吸った。枕が変わると眠れないタチでもあるので、本気で眠るとは思っていない。
 ぼそぼそと電話越しに喋る声がする。窓ガラスがかたりと音を立てる。
  下の階からは子どもの叫び声がした。大きくなって、小さくなって、波のように押しては引いてを繰り返す。やがて、バタンと扉を閉める音。下の階がしんとした。今度は、すり、すり、とした音が聞こえ出す。ページをめくる音だ。沢田綱吉は三十分ほどでマンガを読み終えた。
  ぎし、ぎし、今度は床を慎重に踏みしめる音。
  彼は部屋を出て行った。トイレとか喉が渇いたとか、理由はいくらでもあるだろう――、だが、バタンと扉が閉まる音が再び聞こえて、ヒバリはパチリと目を開けた。
  ベッドの上でだらりと体を投げ出した自分が居る。肩にかかったガクランを払い落としながら、うめいた。
「やられた」
(逃げるとは思わなかったな)
  数秒を置いてから、馬鹿らしいと思い直す。以前、似たようなシチュエーションになったとき、沢田綱吉は入院中だった。足の骨折で動けなかった。だから、あの時の彼は逃げなかったのだ。
「後で血祭りだよ……」寝返りを打った。やはり眠れる気はしない。沢田綱吉のおかげでつまらない気分にはなった。仰向けば、カレンダーが見えた。五月五日。感慨も何もない。
(誕生日とか、意識しないとならないならいつもより少し面倒臭い日だ)
  目を瞑る。窓ガラスがカタカタ音をたてる。鳥のさえずり。と、カラスが多くなってきて、ヒバリは日暮れを察知した。例の通販がやってきたのもその頃だった。適当に印鑑を押して、届け物の箱を玄関に置く。そしてまた寝るのだ。と、……――バタン。扉が閉まる音。
  むくり。即座に上半身を起こして、ヒバリはトンファーを取り出した。
「わお。戻ってくるとは。いい度胸」
  足音は一つ。小柄な体格の人間だ。
  つまり沢田綱吉だ。
  足音をたてないままで階段をくだる。
  彼は台所にいた。どうやって料理しようか。背中からか、正面からか。リビングをずかずかと横断して、ヒバリはトンファーを振りあげた。
「よくも逃げてくれたね」
「あ、ヒバリさん」びゅっ。笑顔で皿を掲げる脳天目掛けて制裁が――、
  くだる前に、ヒバリは動きを止めた。
  沢田綱吉は笑顔のままで卒倒寸前までに白くなる。沈黙は鉛のように重かった。綱吉の全神経はヒバリが翳したトンファーに、ヒバリの全神経は綱吉が持ったケーキ皿に。
「……すいません……」今にも真っ白になりそうな声をだした、のは、綱吉だ。
「プール、楽しかったかい」
「はい……」
 綱吉はすごすごとケーキ皿を拝む。
「お土産です……。やっぱ誕生日っていったら……ケーキかなって」
「二人分なんだね」
「今日は……母さんたちは母さんたちで夕飯食べてきます……」
「キミは友達と食べるとかしなくていいのかい」
「……家にヒバリさんいますし……誕生日ですし……」
 口をもしゃもしゃさせる。その綱吉を、じー、と、見てヒバリは踵を返した。中途半端に用意されたままのテーブルを見渡し、トンファーをイスの上に置く。
「手伝おうか。何、買ってきたの」
「えーと、ウチの近所って洒落たもの売ってなくて、おいなりさんとか手巻き寿司とか。あと栄養偏ってそうだからサラダも買ってみて……」
  テーブルのビニール袋を漁り、綱吉。
  大した会話は無かった。おいなりさんを食べて、手巻き寿司を食べて、サラダをつついて、デザートのケーキである。ヒバリはイチゴショートを取った。
  二人は共に不思議そうな顔をしてケーキを食べ終わる。
  なりゆきとは言え、奇妙な組み合わせで食事をいっしょにして誕生日まで祝うとは。ヒバリは、綱吉が食器を洗っている間に「寝てくる」といって二階に足を運んだ。
  ベッドに身を投げる。胸に小さく穴が空いたような、すかすかした気分だ。来年のこの日もここに来てやっていいかな、と、少し思う。ヒバリは目を閉じた。
「ちょっと……。ヒバリさん、オレのベッド占領したままマジ寝してるんだけど?! どうしよう?! どうにかしろよ、リボーン!」
「ああん? そこまで手懐けたんなら大したもんじゃねーか」
「そーいう問題じゃないよ! 起こせないしオレが寝れないよ!」
  まどろみの中から、そんな会話が聞こえた気がしたが、寝返りを打つだけでヒバリは目蓋を開かなかった。




おわり






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07.05.05