神さまの居場所


  遠い昔、手を伸ばせば何かが変わると思った。
  あの頃の特徴といえば、そう、ただ無邪気だったのだ。小学校三年生にして沢田綱吉はサンタクロースの不在を知らされたわけだったが、
「いるんじゃないの?」
  と、真顔でクラスメイトに返して、綱吉はそれから新年まで人気者になったのだ。教室に入るたびに、サンタクロースのお出ましだ! と、迎える声がチラホラ聞こえる。空気のようにふわふわしていて目立たなかった彼が、ここまで注目を集めるなんてはじめてのことだった。
  そうして、少年はサンタクロースを信じるをやめて、むしろちょっと蔑むようになった。
  風が冷たい夕方だ。さらりと吹いて、少年たちが首に巻いたマフラーを揺らした。言われたことが信じられずに、綱吉は真横に立ったセンパイをまじまじと見上げる。
「じゃなきゃ、誰がサンタクロースの手紙を書くのさ」
  彼は真面目に両目をぱちぱちさせる。
「きょ……、恭弥さん。ギャグですか」
「どうして僕がギャグを言うの。この展開で」
  嫌気がさしたように雲雀恭弥が首を振った。
  夕焼けが差した空、オレンジと藍色とが混ざった境目を睨むようにして両目を上向ける。そうしながら、唇を尖らせてボソボソと呟いた。
「もうすぐクリスマスだろ。いそがしいんだよ、サンタクロースは。綱吉がそういうこと言ったらショックだろうなぁ。残念がらせるのはよくないと思うな」
「はあ……?!」
  語尾を高めつつ、綱吉が首を傾げる。
  ヒバリはとことん生真面目な視線を返した。
「いるんじゃないの? それとも、」くるりとその瞳が反転する。黒い瞳は、変わらずに綱吉の頭よりも高いところにあるが、そこに込められた質が硬く変質した。その声音は絶対の支配者が発するものがごとく、細道にポツリと落ちた。
「僕の言うことが信じられないの?」
「へえ?! い、いや、だって……。恭弥さん、いまどき、小学生でも」
「だから、なに? 綱吉は僕の言うことよりもそこらのガキの言うこと信じるワケだ? へえ、つまんないね。つまんないよ、綱吉くん」
  ワザとかしこばった言い方をしながらも、ヒバリはコートの中に袖を入れた。
  もったいぶった態度は彼にしては珍しいことだ。ギョッとしながら、綱吉は後退る。白い吐息をこぼしながら、センパイはトンファーを両手に構えて立ちはだかった。
「お仕置きがいるかな。ねえ、僕が信じられないの?」
「いやっ。そーじゃないんですけど! だ、大体恭弥さんだってそんなガキがいたらイヤでしょ?! いまどき、サンタなんて本当に信じてるヤツがいたら――」
「カワイイじゃないか」
  当たり前のようにヒバリが返す。
「いやいやいやいやっ。大人がですよ! イタいですよ!」
「痛い? かわいいと思うけど……。綱吉はサンタクロースの気持ちがわからないんだね。ああ、違うか。ガキなだけかな」
  独りごとのような声だ。ヒバリは空を見上げつつ、トンファーをカチャリと鳴らした。そのすごすごとした様子は、どこかしおらしかったが、彼が大股で距離をつめてくるので綱吉は慌てた。
「ま、待ってください! 信じます! 信じればいいんですよね?!」
「へーえ。どこまで本気でいってるの?」
「本気、って……。サンタを信じないとガキなんですか――っ?!」
  理不尽だ! 言外に意思を込めて、綱吉は非難の眼差しをヒバリにわたす。
  黒髪に黒目に黒いコートに黒いマフラー、真っ黒な彼は、宵闇に包まれつつある空を頭上にして静かに綱吉を見下ろした。その瞳に感情らしきものがない。本当に、ただ見下ろしただけに見える。
  綱吉はゾッとしたものを覚えて後退りした。
 ただ顎で頷いて、ヒバリは明後日を見つめた。
「ガキだね。ガキだよ、綱吉」
「な、……なんなんですかぁ?」
 信じてもダメで、信じなくてもダメで、それを改めて理解して綱吉の瞳が潤みだす。
  はぁ、と、ため息をつきながらヒバリは両手を動かした。じゃきんっ、と、か細く金属音をたてて喉元にトンファーが押し付けられる。綱吉は絶望的な気分になりながら頷いた。何か、魂を売り渡すような気分でもある。
「わかりましたから。信じます! 俺、今からサンタ信じます!」
「そう?」
  脅迫まがいの行為もなんのその。
  世間話を終えたあとのように、ヒバリは気軽に喉をならした。トンファーをおさめ、綱吉に背中を向ける。そのまま十メートル以上も歩いていってから、不機嫌そうに眉根を寄せた顔で振り向いた。
「何してるの。帰るよ」
「…………」
  塀に背中を押し付け、カバンを抱きしめ、冷や汗と涙を顔面に浮かべたままで綱吉は頷いた。
  ヒバリが理不尽で粗暴で人のことを考えてないのは今に始まったことじゃない。何度も自分に言い聞かせながら、よろめきつつ後を追いかけた。
 沢田家の玄関の前でヒバリと別れて、しかし、綱吉は数分のあいだにアンニュイな気分を忘れることができた。今日はクリスマスだ、獄寺や山本といった友人たちが食べ物を持って遊びにきた。夜には彼らと一緒に母親が買ってきたケーキを食べて、パジャマに着替える時間になるまでヒバリのことを丸々忘れていたといっても過言ではない。
「あ」だけれど、就寝の直前に綱吉は窓を振り返った。
  こんこん、と、叩く音がする。
  ここからやってくる人間はその実、限られている。
  ビアンキと一緒にでかけていったリボーンが帰ってくるにしては珍しい場所だ、ディーノにしてもわざわざクリスマスに我が家にやってくる謂れがない、他には……。可能性を確認して、その時間は十秒ほどだったが綱吉は確信するに至った。
「恭弥さん。外、寒いのに」
  黒尽くめの彼は、別れたときと同じ格好をして窓枠に足をかけた。
  綱吉がぶるりと体を振わせる。ヒバリが室内に入ると、彼のために開けた窓をすぐにしめた。どこか満足そうにその様子を見つめつつ、ヒバリは背中に抱えていた白い袋を胸の前に持ってくる。
「恭弥さん、靴は脱い――」
「綱吉」
  弾んだ声と共に、ヒバリは片手でクラッカーを引き抜いた。
「メリークリスマス!」
  ぱあんっ! 破裂音と共に、七色のリボンが弾けとぶ。
  え。くぐもった呻き声をあげて、綱吉はただ無抵抗にリボンを頭で受け止めた。ヒバリは、目尻を笑わせて綱吉の頭に落ちたリボンを毟り取る。そうして、笑顔を見せた。
「開けてみてよ。綱吉に似合うと思った」
「…………」
  白い袋から出てきたのは、正方形のアクセサリーケースだ。
  銀製のウォレットチェーンが入っていた。鍵がくっつけられるようになっていて、既に、一つ。
  細長い鍵がくっついていて、くるくると回っている。綱吉は茶色い瞳をヒバリに返した。完全に動揺し、ワケがわかっておらず、これはなんですか? と目で訴える。ヒバリはにこりとした。
「スペアキー。僕のマンションの」
 へっ? 素っ頓狂な声をだして、綱吉は鍵を見つめる。
  その様子に見入りながら、ヒバリはウォレットチェーンのつまんだ。
「これも。わかる? 弾丸をつないだように見えるだろ。君に合う……、赤ん坊にも見せてあげてよ。面白いデザインだろ?」
「は、はあ……。恭弥さん?」
「?」
「俺……。お返しになるものなんて、何も」
  言いにくそうにモゴモゴとする綱吉だが、ヒバリは目を細めるだけだ。
「期待してないから。綱吉、今度、それつけて学校きてよ」
「はあ」両手に持ってみたり、腰に当てたりとしてみせる。
  綱吉は、ひとしきり自分に合わせて見た後でヒバリを見上げた。今更だったが、言い忘れたことを思い出したのだ。ヒバリは静かに綱吉を見るだけで動かない。
「あの。ありがとうございます!」
 黒目はじぃっと綱吉を見つめる。
  やがて、ヒバリは膝に両手をついて腰をかがめた。綱吉と視線を合わせると、まっすぐ見つめながら口角を歪ませる。純粋に、笑っているだけに見えて綱吉は驚いた。
「信じて損ないだろ? ねえ、綱吉」
 ヒバリの手のひらが綱吉の頭を撫でる。
「楽しみにしてたんだろ。メリークリスマス。ほんとは、こういうのって僕のガラじゃないんだけど。どうすればいいのかよくわからなかったけど……。でも、喜んでくれるならもういいや」
 一人でくすくすと笑うヒバリは、いつもの凶暴さがなくて歳相応に見える。
  不思議なものを見る気分だ。綱吉がおそるおそると声をかける。
「恭弥さん……。何で俺にこんなもの」
「あれ。まだ、わからないの」
  ヒバリが笑みを消す。
「いやっ。あの! すごーい嬉しいんですけどね?! ただ、なんか見返りあるのかな――……とか、思ったりしないでもないというかっ。恭弥さんからだし」
「…………」
  ヒバリは腰をあげた。
  両腕を組んで、フムと鼻を鳴らしてみせる。
「……恋人がサンタクロース、ってうた、知らない?」
「…………え?」
「知らないなら、それ返してもらおうかな」
  不機嫌に呟いて、ヒバリがチェーンに手をかける。
  綱吉は無言のうちにウォレットチェーンを奪われた。腹をたてたかのように、ヒバリが肩を怒らせて窓に向かう。パジャマ姿の少年は、ヒヤッとした冷気が室内に流れてきて肩を竦めた。その冷気が逆に救いになった、我に返って、綱吉は大急ぎで窓にかじりついた。
「恭弥さん!」
  既に屋根の上に乗って、彼は帰る気になっていた。
「ほんっと、ガキだよ。あー。ガキ。クソガキ」
「恭弥さんってば! 待って……。こっち向いてください!」
  なかば、やけくそになって綱吉は窓枠を掴む手のひらに力をこめた。
  ヒバリが振り向く。その瞬間を狙って目いっぱいに腕を伸ばして、首を伸ばす。軽く唇が触れ合った。数秒だけで、綱吉はすぐに力尽きて屋根の上に倒れこんだ。
 その首根っこを掴んで、落下を止めたのはヒバリだ。
  少年は黒目を丸くして自らの唇に手を当てた。
「……め、メリークリスマス」
  屋根に這いつくばりつつ、綱吉がうめく。
「…………綱吉」
「はい」
「及第点あげるよ」
  クッ。愉快そうに喉を鳴らして、ヒバリは綱吉の両脇に腕を差し入れた。持ち上げて、室内に戻す。綱吉がくしゃみをすると、自分が巻いていたマフラーをその首に巻きつけた。
 ちゃらりと金属が擦れあう音が混じる。綱吉にスペアキーを握らせれば、自然と、ウォレットチェーンもくっついていって綱吉の手の中に戻る。
  ヒバリはくすくすとしながら、片手をあげた。
「じゃあね。月曜日に、それ付けてきてよ。ノロウイルスが流行してるから気をつけて」
 音もなく、影すらも見せずにヒバリはすぐに屋根から消える。たん、と、蹴ったような足音だけが夜の向こうから聞こえてくる。はい、と、くしゃみ混じりの返事が届いたかどうかはわからなかったが、綱吉は構うことなく窓を閉めた。
 客人の消えた室内はシンと鎮まっている。ティッシュで鼻を噛んだ後に、綱吉はクリスマスプレゼントを見下ろした。これは、手を伸ばしたからこそ、今ここにある。
「サンタさん」呟いてみると、少しだけ自分が幼くなったような気がして綱吉ははにかんだ。手の中で揉みこむスペアキーが、夜と同じ温度をしているから暖めてみたくなる。
 首に巻かれたマフラーに片手を添えて、窓をみつめた。
「黒尽くめのサンタさんって、ちょっと物騒じゃないかなぁ。恭弥さん」
 言ってみたら、来年は赤い服でも着てくれるだろうか? 想像してみて、綱吉はひとりでくすくすと楽しげに喉を鳴らした。もうすぐ、クリスマスが終わる。



おわり






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06.12.22