ガラス細工
「欲しいなら、あげるよ」
ヒバリが無造作に言い捨てた。
這いつくばったままで、呆然としたまま目線だけを高くする。
黒い制服をスラリと着こなす少年は、襟首を直していた。
鋭利な印象を植え付ける横顔はツナを見ようとしない。ただ、繰り返した。
「あげる」
視線を戻せば、淡い朱色のガラスがある。
土台のうえに鎮座し、精巧な細工が施されている。応接室の高尚な空気を彩るのに一役かっているような、高級感のある置物だった。 ガラス玉の大きさは五センチ強だ。ツナがぼんやり見つめていると、ヒバリは、奪うようにしてガラス玉をにぎりしめた。
ツナに腕をつきだす。咄嗟に目を瞑って身構える姿は、ヒバリを苛立たせたらしかった。
むりやり腕をとられて、拳でにぎらされる。
滲んだツナの視界のなか、ヒバリは口角を歪めてみせた。
「今日の記念にでもしなよ」
盛大にゆがんだ少年の表情を見つめながら、耳に唇を寄せた。
硬い髪の毛が頬に当たる。左右にふるえている。ヒバリの舌が、耳たぶをなでた。
「君が、泣きながらレイプされた二時間の証明にさ」
「…………ッッ」
「また泣くの? それより、さっさと整えたら?」
白い指先は、あらわになった胸板をたどる。
慌てた仕草でツナはヒバリの腕を払った。デスクから身体を起こし、散らばった服へと手を伸ばす。耐えるように噛みしめられた唇を見ながらヒバリは笑った。
声をだして。ツナは、ますます眉を険しくさせて、全身を戦慄かせる。
「沢田君は何も言わないんだね。初めてじゃなかったの?」
「はっ……。初めてに、決まってます」
「へえ。派手にはべらせてるのにね。そういえば、今日はいないんだね」
「ずっと一緒にいるわけじゃ……。ありま、せん」
腿に流れ出すネットリとした質感に、体が跳ね上がる。
ゆっくりと服を着るツナを見据えながら、ヒバリは、何かを考えるように窓の外と少年とを見比べた。やがて、着替えが終わるころに話し出す。
「もう暗いね」
「……」黙るつもりでいたツナだが、ヒバリに睨まれると、頷いた。
ヒバリは満足げにひとつ頷き、片手をあげた。
「送っていってあげるよ。裏手にバイクをとめてある」
「え……。い、いいです」
「そんな曖昧な返事じゃわからないね。行くよ」
黒い学ランがひるがえる。
ツナの視線は、先に歩き出したヒバリを唖然とした面持ちで追いかけた。ヒバリは笑っていた。
「鍵をかけるよ」
扉の外に立ってのことば。
冗談なのだろう、と、ツナは思う。
しかし彼が無視をすれば冗談は本気へと変わるのだろう。
痛む体と、奥に穿たれた熱を思ってツナはヒバリの後へ続いた。
校舎にはすでに人影がない。警備員はいるが、二人と出会うことはなかった。ヒバリは、窓をあけると校舎裏へと飛び降りた。ツナが、痛む体と苦戦しているあいだにヒバリはどこかへ行ってしまう。
ようやく裏庭におりると、ヒバリが道路から声をかけた。
「沢田君。沢田綱吉君!」
「は、はいっ」
慌てて、ヒバリのもとへと駆けつける。
すでにバイクに跨った少年は、黒い瞳をきらりと瞬かせた。
「悪いけどヘルメットはないよ」
文句が言えるはずもなく。ツナは、後ろに腰をおいてヒバリに抱きついた。
オートバイに乗るのは初めてだった。それを申告する勇気も気力もなかったが。
ツナの自宅へはすぐについた。徒歩で登校できる距離だ。ヒバリは、あっけないね、と囁いた。
その横でツナは地面におりる。ゆるい振動が体に残っていて、まだ、がくがくと前後に揺れているような感覚だった。とろんとした表情にヒバリが目を細める。
「バイク、はじめて?」
「は、はあ。そうですね。獄寺くんは、乗りませんし」
「ふうん。夜の走行でよければ、また乗せてもいいけど?」
ツナは、堪えるように唇を噛みしめた。
暗示されているのは、数時間前の暴力と陵辱だ。相手もそれをわかっている、と、すぐに理解できた。
ヒバリの目つきは、エモノを前にした肉食動物のそれに等しい。
「遠慮しておきます」
くすくす、と、笑い声が聞こえる。
後退りしたツナは、ポケットのなかから甲高い悲鳴を聞いた気がした。
手をいれて、ハッとする。指先が切れていた。
「これ」わずかに血にぬれたのは、もらったばかりのガラス玉だった。
手のひらをみてヒバリが眉をひそめる。トンファーが飛び出るものと、ツナは目を瞑りあわせた。が、触れたのはヒバリの指先だった。切れた指の腹をなでて、ガラス玉をはねのける。
軌跡をえがいて、コンクリートに落ちていった。
「え、あ、あの……」
「怪我は大丈夫なんだ?」
「あ。は、はい。でも、あれが」
朱色のかけらは、街灯を反射して鈍く光っている。
ヒバリは鼻を鳴らした。つまらなさそうに。
「割れるものだからね」
二人は、無言でガラスの破片を見つめた。
やがてヒバリが視線をそらす。ツナも反らす頃には、バイクのエンジンを動かしていた。ツナが言葉を告げないうちに、片手をあげる。微笑みもせずに、少年は言った。そして去っていった。
「じゃあ、また」
終
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