雪は泥で洗われる

 

「駄犬が」
 窓の外が白い。
 白銀がへばりつく一方だ。リボーンは、雪塗れのコートを見下ろしたまま舌打ちをした。
 ベッドの中で少年は目を反らす。見ていられない。十代目と慕ってくる彼は、窓の外と同じ顔色をして、固く結んだ両手を震わせているのだ。数時間前まで、普段と変わらずに自分にはニコニコとした笑顔を向けていた彼が。リボーンは窓の下に立っていた。獄寺を振り返る。
「役に立たねーだけならまだしも、主人の足を引っぱるか?」
「もういいよ。お、俺、気にしてないから」
「バカヤローが! お前は十代目だ」
 激昂に、少年の顔色も失われる。
 赤子は再び舌打ちした。帽子のツバで表情を隠し、ベッドの足元へと視線を移す。
 三人しかいない室内に沈黙の帳がおりた。パジャマ姿で、頭に包帯を巻いた少年――沢田綱吉改め、ツナには、獄寺へ向けられる酷薄な眼差しが気になって仕方がなかった。あの、冷めた瞳に宿っているどす黒いものが、殺意でないと誰に言えるのだろう?
(俺。俺が、ぼけっとしてたから)
 獄寺は悪くない。
 いつもと同じだった。
 ダメツナとの呼び声に怒ってダイナマイトを取り出し、ツナは、驚いて後退りする。そうして雪に足を滑らせた。校門をでてすぐのところだ。獄寺はすぐさまツナに手を伸ばす。
 その手を見つけたところで、クラクションを聞いた。
 目の前にチェーンの巻かれた大型車輪があった。女子生徒の悲鳴と、雪を慣らしながら突進してくる車輪に息がつまる。獄寺に手を鷲掴まれ、引っぱられたが――。ガツ、とした衝撃に意識を失った。気が付けば保健室で、痛いくらいに両手が握り締められていた。
 バックミラーが後頭部を掠ったと言う。シャマルはベッドは婦女子専用だとボヤきながら手当てを施した。間もなく獄寺に支えられて帰宅したが、待っていたのは、リボーンの辛辣な出迎えだった。
『獄寺。お前、右腕としてダメだな』
 放心したように獄寺はリボーンを見下ろす。
 ツナは、肩をしっかりと抑えていた獄寺の腕から、瞬間的に力が抜けたのを感じた。すぐに力は込め直されたが、ぞっとするほどの絶望感が真横から漂った。蒼白な顔をして、獄寺は黙ったままツナを部屋に運び込んだ。
 ガツンと、ひときわ響く濁音で我に返った。痛みを想像して目を瞑りたくなった。
 獄寺だ。床に額を打ち付けて土下座している。
「申しわけありませんでした!!!」
「ご、獄寺君。そんなこと」
「させてくださいっっ!!」
「謝ればいいのか? お手軽だな」
「リボーン!!」
「俺の注意不足です!!!」
 まっすぐに揃えられた指は震えていた。
「お詫びの、お詫びのしようも……ッッ」
「獄寺君?!」
 額から流れだした血はもとより。
 吊りあがりの目尻で、ぬらりと光るものにツナはギョッとした。
 獄寺は歯を食い縛ったままに謝罪を繰り返す。リボーンが盛大なため息をついた。
「うるせーな。キャンキャン吠えてばかりなのはシラけるぜ」
「…………っっっ」
「リボーン、それは酷っ」
「とっとと消えな」
「ああっ?! 獄寺君!」
 ツナの制止に、最後にスイマセンと吠える声がした。
 扉が猛然と閉められる。階段を駆け下り、そのまま転がったような音を響かせて、再び扉の閉める音。ツナは慌てて窓辺へ駆け寄った。走り去る少年の背中が見えた。
 窓を開けようとした手を、止めたのはリボーンだった。
「アイツにはいい薬だ。放っておきな」
 有無を言わせない響きがある。
 視線を戻せば、雪上の足跡だけが深く取り残されていた。

 

 

 翌日も雪が降っていた。
 門をでて傘をさす。そうして、向かいの壁にもたれる獄寺に気がついた。
 気配は感じなかった。咥えた煙草には火がつけられていない。俯いて表情は見えないが、頭部に積もった雪量で長いあいだ佇んでいたことが窺えた。ツナは、迷った末に傘を差しかけた。
「気にしないでよ。俺も気にしてないからさ」
 獄寺が生気の薄い眼差しを向ける。
 何を考えているのかわからなかった。
 じりじりとした色合いが右に左に揺れて、それは、迷い悩むようにも受け取れた。けれど睨まれてもいるようで、内心でヒヤリとしながらへらりと笑う。獄寺は無言で頭を下げた。
 それ以後、動かない。弱りきったが、中学校へと足を向ければ獄寺は静かについてきた。
 一歩を下がった位置である。さらさらと降る淡雪に、肩を濡らしていた。
(傘に入ってくれればいいのに)
(リボーンに言われたこと、気にしてるんだよな)
(獄寺君はダメじゃないし。ダメなのは俺だってば)
 頭の包帯はまだ取れないが、時間の問題だろう。
 ゆるゆるとした足取りで学校に辿りつき、校門をくぐる。そこで、グイと襟首を捕まれた。
「えっ」
(獄寺君?)
 振り返らせようとする、明確な意思をもった動きだ。
 ツナは自ら振り向いた。驚いたのか、襟首を持つ手が自然に離れていく。
(――は、こんなことするワケないよね!)
 風紀委員の腕章をつけた少年は、校門の裏手に立っていた。
 申しわけ程度にボードを右手にぶらさげている。貼り付けられた紙には遅刻調査表との文字が見えた。ヒバリはツナと包帯とをまじまじと見つめ、面倒臭そうにため息をついた。
「元気そうじゃない。車に轢かれかけたって聞いたけど」
 どうしてそれを。言いかけて、校門前で騒ぎを起こしたことに気がついた。
「妙に悪運強いよね、君」
「てめ……っ。十代目に、なんて口を」
 無言を通していた獄寺が、カッとした様子で間に入った。
 ヒバリが目尻を険しくする。ボードが指の間を滑り落ちた。わざと落としたのだ。これみよがしに懐に伸びる腕に、ツナは小さく悲鳴をあげた。
「獄寺君っ。授業始まっちゃうよ!」
「君、近くにいたんだよね」
「あぁ?」
 侮蔑の笑みが風紀委員長の唇を彩った。
「随分、役に立たない犬じゃないか」
「…………」
 獄寺が眉を顰める。
 数秒のうちに彼は目の色を変えた。怒りの色だ。
 ツナも、その頃には昨日の言葉を思い出していた。赤子は獄寺を駄犬と罵ったのだ。獄寺は拳を作って身震いし始める。
 胸中で悲鳴をあげながら、ツナがその腕を取って校舎に向かおうとした時だ。
「決闘だ」
「え?」
 声が張りあげられる。
 生徒のまばらなグラウンドに轟いた。
「決闘だ、テメェ!!」
(な、なに言ってんだよ獄寺君――――っっ?!)
「へえ」
 蔑んだ口元が、さらに吊り上がる。
 一同の視界に影が差した。リボーンが、校門の上に着地した。
「いいぜ、やってみろ」
「リボーン!!」
 小さな掌には、レオンが変化したと見られる黄緑の傘がある。
 獄寺がわずかに体を強張らせた。間近のツナにはわかったが、リボーンは――わかっていても気にしない性分であろうが――コロコロとした平素の笑みを浮かべて獄寺を見下ろした。
「獄寺。ヒバリに勝ってみせろ。見直してやるぜ」
「は……、ハイッ!!」
「僕に勝つ気なの。へええ」
「ちょっ……。な、何いってんだよ!」
「ダメツナ、強くなりてぇって獄寺の気持ちをわかってやんな」
 獄寺とツナの目が合った。一瞬、反らそうかと迷う色が両者に浮かび上がった。
 だが獄寺はツナを見つめ返した。グ、と歯を食い縛る。
「見ててください。俺、十代目のために勝ちます!」
「お、俺のためって」
(何を言ってるんだよ、きみは)
「赤ん坊、僕をダシに使おうっての?」
 後退るツナ。ヒバリが一歩を踏み出した。
 すでにトンファーを用意している。ぎらりとした目は、獄寺を楽しげに射抜いていた。
「いいけどタダじゃつまらないでしょ。負けた方が指をツメる。どう?」
「なっ!! なにを言ってんですか!」
 指を切るなんて、ヤクザじゃあるまいし。続けるツナだが、獄寺はさらりと了承した。
 驚く眼差しを浴びても、銀髪の少年は据わった面立ちで手中のダイナマイトを見つめた。ギュウと音が聞こえそうなほどに握りしめている。噛みしめた声が続いた。
「心配は嬉しいッスけど、今はいりません」
「リ、リボーン。とめてよ!」
「なんでだ? 面白れえじゃねーか」
 グラウンドはピリリとした空気を纏いつつあった。
 遅刻したと思われる生徒が、風紀委員に校門から締め出されるのがツナの目に映る。校舎の窓から身を乗り出す生徒や、それを慌てて注意する教師も見えたが、ツナにはそれどころでなかった。獄寺は両の指の間にダイナマイトを抱える。
 ヒバリが、ヒュンとトンファーをしならせた。
「血染めの雪ってのも好きだよ」
 冗談を言っているような気配が無い。
 ぞくりとするツナだが、獄寺は煙草にライターを宛てた。
「てめーにはいい加減、頭にキテんだ」
 すぐさまダイナマイトを口元へ運ぶ。
「果てろ!」
 投げつけた一本は、しかしすぐに跳ね返された。
 見越した上だ。獄寺は走りこんで爆撃をかわした。
 両手に挟みこんだ十本のダイナマイトのうち、右手の五本が火花を立てる。振りかぶり、ヒバリへ向けて投げ込んだ。少年は馴れた手つきでトンファーを回転させる。
 爆弾が収まらない内に新しくダイナマイトが投入された。
 立て続けの爆撃に、ツナは頭を抱えた。
「ぎゃあああああ!!」
 足が滑って尻餅をついた。
 グラウンドが水浸しになりつつある。雪が解けたのだ。
「掃除しなくちゃな」
「おま! 何で、俺見ていうんだよ!」
 ツッコミを入れるや否や、ツナはハッとした。
 獄寺が居ない。ヒバリの元へ駆け込み、拳を大きく振りかぶっていた。しかし手が下ろされない。相貌を歪めた獄寺は、忌々しげに腕の内側に差し込まれたトンファーを睨みつけた。
「君、何か習ってるの?」
「うっせえ! てめーだってシロートだろーが!」
 がむしゃらに、左手でのパンチ。
 ヒバリは頭を下げた。
「僕のは喧嘩だよ」
 体勢を低くした少年が、すばやく踵に体重を移す。
 獄寺が体を硬くさせた直後、膝が脇腹に突き刺さっていた。獄寺の喉が鈍い悲鳴をあげる。土と水の混じり入ったグラウンドに、頭から滑り込んでいく。ヒバリが囁いた。
「負けなしのね」
「ぐ……ッ」
 グシャリと獄寺の五指が泥を握りしめた。
 離れた位置でツナは息をつまらせていた。心臓がどくどくと高鳴っている。
(ヤバいよ。強い。でも極寺君もすごい。まだ立ち上がってる)
 ツナが視線を移す。獄寺は二本の足で立っていた。
 足元には、指で泥を掻いたような痕がある。腹に手を添え、苦しげではあるが、眼差しはヒバリを一直線に捕らえていた。くつりと笑う声にヒバリとツナが目線をあげた。
 いまだ校門の上で立つリボーンが、楽しげに獄寺を見つめていた。
「勝ちたいか。獄寺」
「ハイッ」
 咥えていたのは吹き飛ばされてしまった。
 獄寺は、震える腕で新たな煙草ケースを取り出した。
「なら敵の特性を考えて防御と反撃を行え。相手のが格上だ。一瞬でも躊躇したらやられるぞ」
「赤ん坊、酷いな。そっちに助け舟か」
「ハンデだ。指をかけてんだろ?」
 リボーンが傘を畳む。ツナは、ようやく自分の傘が吹き飛ばされていることに気が付いた。
「特性――」小刻みに震える腕を押さえつけ、獄寺が囁く。震えは痛みのせいだけでない。リボーンの助言を何度も何度も頭の中で繰り返した。この期待に応えたいと、そんな叫び声も内側から聞こえた。
 手の平で垣根を作り、再び煙草に火を灯す。尾尻を咥えながら、口の端で獄寺は囁きつづけた。歩み寄るヒバリがその目に映る。両手いっぱいにダイナマイトを取り出した。
「仕込みトンファー。ヒバリの得意技はトンファーでの滅多打ち……!」
「何をぶつぶつ言ってるのかな」
 クルリとトンファーが回転した。
 合図だった。ヒバリは走り出し、獄寺は膝をわずかに曲げた。
 ダイナマイトに火をつける。ツナが驚愕で叫んだ。獄寺の頭上でダイナマイトが爆発したのだ。
 そのまま、獄寺を中心にいくつもの爆発が起きる。ツナは再び叫んだ。
「獄寺君?!!」
 ヒバリの位置はツナにも読めた。
 爆風が渦巻く中で、風の流れが違う場所があるのだ。
「なるほど」
 合点がいったと言うように、ヒバリが囁く。
 獄寺が背後にいた。風紀委員長に動揺はない。ニヤリとしてトンファーを差し向ける。
 だが、獄寺は渾身の力で背筋を仰け反らせた。前髪を掠った一撃を残して、全てを避けきる。バランスを崩していることは明白だ。だが、目を見開く少年が目と鼻の先にいる。倒れる勢いをそのままで、ヒバリの腕の付け根を鷲津掴んだ。
「!」
 トンファーが止まった。
 獄寺が、ヒバリの顎へと強烈な頭突きを叩き込んだ。
「ぐっ!!」
 華奢な体が爆風を突き抜けた。
 ツナが幾度めかの叫び声をあげる。
 ヒバリは転倒はせずともよろめいていた。
「と、とどめェ!!」
 体勢を立て直し、獄寺は右腕を振りかぶった。
 ストレートでのパンチだ。両足はしっかりと踏みしめている。当たれば充分な衝撃があるだろう。ヒバリが両眼を細くさせる。確かな怒りを感じさせる眼差しだった。
「…―甘いんだよっっ!!」
 金属製の細長いものが、獄寺の顔面に命中した。
(トンファー投げた――――っっ?!)
「がっ……――あぐっ!!」
「ご、獄寺君!!」
 怯んだ獄寺の、腹の真ん中にヒバリの足裏が命中した
 まっすぐに吹き飛ばされた。獄寺は泥の飛沫をあげながら地面に倒れこんだ。
 ツナは呆然と獄寺を見つめた。彼はぴくりともしない。辛うじて見える横顔は、泥にまみれて端正な作りが台無しだった。
「そこまでだな。予想通りでちょっとつまんねーが」
 リボーンが、水っぽいグラウンドに降り立った。
 呑気に告げる脇をすり抜けて、ツナは獄寺を抱え起こした。
「獄寺君! 大丈夫っ?!」
「じゅ……。十代目」
 泥が目蓋にどさりとついている。
 拭い取りながら、背後で動く気配にビクリとした。風紀委員長だ。
 トンファーを拾い、ツナたちを見下ろしている。
(そ、そうだ。指ツメるって――!)
 獄寺はまだ意識がはっきりしていない。薄く目を開け、ツナを見上げている。色の無い眼差しだったが、ツナは震えながら彼を背中に庇いこんだ。睨みつける――などと、大それたことはできない。ヒバリを見返すのがツナの精一杯だった。それでもガクガクと視界は揺らいでいたが。
「馬鹿らしくなるね」
 少年は鼻でため息をついた。
「ツメでも切ったら。伸びすぎだよ、君」
「ひ、ヒバリさん」
 振り向いた少年の目に、同情や憐憫は無い。
 ただ、面倒くさそうに口元を歪めただけだ。
「じゃあね」
 踵を返すヒバリ。
 その背を呆然と見つめたツナだったが、背後で、獄寺が咳き込んだ。
 振り向いて唖然とする。一文字に引き絞った口と、八の字に顰められた眉が、今にも泣きそうなほどに強い情感を訴えていた。少年は泥まみれの腕で顔を拭った。余計に泥がついたが、それでも、ごしごしと拭いつづける。
「オレ、負けちまいました」
 最中で、呟く。血を吐いたような声だ。
「いいですか」
「え?」
「まだ……」
 無駄を悟ったのだろう。
 制服のシャツを引っ張り出し、顔を擦る。
 表われたのは、純粋な思慕と熱情を孕みながらも哀願じみた眼差しだった。ツナはぎくりとする。獄寺のひたむきさをツナも知らないわけではない。その先に潜むだろう言葉が脳裏に浮かんだ。考えるよりも口が動いた。
「当たり前じゃないか!」
 獄寺が目を丸くする。
「いいンですか……。まだ、右腕として」
「悪いわけないよ。もー、ホントに、何やってんだよ君は……」
 肩を落とすツナに、獄寺は何かを考えるような視線を送り込む。ツナが見返すと、少年はニカッとした微笑みを浮かべた。光るものが、ぽろりと目尻から零れでた。
「十代目! オレ、やっぱり十代目にどこまでもついてきますっっ」

 

 リボーンの鼻先に雪が落ちる。
 最後の一粒だった。雲間から白色の光が差し込んでいた。
 一時間目が終わる頃合だが、窓辺に生徒の影はない。騒ぎの中心に風紀委員があるとわかって、物見高い連中も顔を引っ込めてしまったのだ。
 ヒバリは、泥で汚れた学ランを両手で広げた。
「損な役回りだね」
「たまにはいいじゃねーか」
「こんなことに意味があるとは思えないな」
 少年とリボーンの先には、感極まってツナに抱きついた獄寺がいる。
 ほどなくしてギャアアと悲鳴が聞こえた。泥だらけのままで抱きついたのだから、ツナの制服も汚れるというのは自明の理だ。フフンとリボーンが自慢げに鼻を鳴らした。騒ぐ二人からは目を反らした。「ああいうのを繰り返して、ガキは大人になっていくんだぜ」
「どこの時代の話だか……」
「もちろん、現代だ」
 コロコロとした瞳が、にっと微笑んだ。

 

 

 

 

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獄寺×ツナを書こうとしたはずが獄寺とツナの友情物語(?)に!
でも獄寺vsヒバリを書けて満足しました。