それにも勇気が、

 

 

 

 どうして涙というのは熱いのだろう。
 引鉄が引けなかった。肩が震えて銃口すら定まらない。
 雨で濡れそぼった衣服が体温を吸い上げて、空から振り下ろされる鉄槌の飛沫が全身を殴りつける。うあ、と、こぼれた嗚咽を聞きつけたのは、金色の頭髪をぐっしょりと湿らせた青年だった。オレが心配だからとついてきた人だ。
 背後に歩み寄る気配、のあとで、引鉄に別の手のひらが覆い被さった。
「ツナ。命乞いを相手にするな。後に響く」
 ――――っ。地べたに這いつくばった十歳頃の少年。
 驚愕に目を見開かせる彼の額に、穴が開いた。
 引き換えにオレの腕には振動が残る。発射したあとの震えは、……まるで少年の慟哭のようで、反射的に拳銃を取りこぼしていた。
 ディーノさんが舌を打った。忌々しげなやり方だったけれど、オレの頭を撫でる手つきは優しくて、さらに涙があふれてきた。喉が震えて悲鳴すらもあげられない。路地裏に逃げ込んだはずの少年は、額から、滲むような赤い花を咲かせて、光のない眼差しをオレとディーノさんに向けていた。
「そんなに辛いなら、殺しは部下に任せて部屋に篭もってるのも手だぜ?」
「いいん……です。オレが、自分からやりたいって言ってンだから」
「見たくないものまで、ムリに見る必要はないぜ」
 それでも、
 と、言いかけた言葉の先がでなかった。
 肩の震えが収まらない。ディーノさんは、フウと薄くため息をついた。
「オレは、今のツナで充分ボンゴレらしいと考えてんだけどな。ムリはよくないぜ。やりすぎると、その人が本来持つはずの『らしさ』も奪っちまう」
「……あと一ヶ月なんです。あと一ヶ月で、オレは何千と言う人間の頂点にたつ」
「人も殺せなくても度胸がなくても、それがツナらしさなんじゃねーか?」
 やさしく、言い聞かせるように、ディーノさん。
 オレのことを考えてくれてるんだってわかってる。
 でも首を振った。ディーノさんのところに、住み込みでお世話になるようになってから半年が経つ。リボーンが去ってから一年が経つ。
「決めてるんです。ファミリーを守れるようになりたい、って」
 推し量るような目をしながら、ディーノさんはオレに背広をかぶせた。
「やっぱり、ツナって俺に似てるぜ。ココだけの話だけどな、躊躇いもなく銃弾ぶっ放せる人間にろくなのはいないんだ。でも俺らは、それができないとファミリーを殺しちまう。……語弊もあるし相応しくない言い方だ。でも、これに必要なのも、」
「勇気」
「……そうだ。リボーンが言ったのか?」
「ハイ」いつだったか。別のやつの家庭教師になるって、リボーンが告白した夜だったか。
『ダメツナ。最後だから、言ってやるよ。オレはお前がダメなヤツなんて思ってねえ』
『ツナにはぜんっぜん、これっぽっちも足りてないものが一つだけあったんだよ』
『わかるか。ゆうき、だ。勇気さえ持てばお前は何にでもなれる』
 深く息を吸い込んでから、長く細く、吐き出した。
 記憶のなかでリボーンがオレを睨んでる。
 ディーノさんは肩を竦めて、雨でけぶった街並みを見渡した。黒いシャツが肌に張り付いて、ところどころに付着した血液は縦線になってこぼれた。
 雨粒にたかられる拳銃を見つめたまま、黙っていると、ディーノさんは低く囁いた。
「次は、自分でやるんだぜ。部下は躊躇うことも許されるが、ボスは、許されねえ」
「ハイ」短く息を吸った。
 きびきびと拳銃を拾い上げる。
 ギュウと知らずに握りしめてしまったけど、目に見えて震わせてしまうような、醜いマネはしないで済みそうだ。よかった。
 ディーノさんは変わらずにオレの憧れの人だから。
 できれば、格好悪いとこをみせたくない。懐に銃をしまいこんで、ディーノさんを見上げた。思ったよりも近くに顔があった。額の真ん中に体温。――キスではなかった。
 親猫が子猫にするみたいに、毛並みを整えてあげるみたいに、張り付いた前髪をどかしたのは舌だった。ビックリするオレに悪戯に笑いかえして、ディーノさんは自らの唇をぺろりと舐める。
「ボスが、ボスに甘えるのは許されると思うぜ」
「ディーノさん……」
 この事態に、何を。
 赤くなるオレを見て満足したらしい。
 天頂へ向けて「んーっ」と両手を伸ばし、懐からムチをだす。
「そろそろロマーリオたちが突入する頃合だ。いいか、ツナ。部下には常にかっこいい自分を見せる。これもボスのテクニックだ」
「けっこう計算高いですよね、ディーノさんって」
「そりゃボスだからなァ」
 冗談のように笑う声は朗らかで、オレまで笑ってしまう。
 最後に、ディーノさんが独り言のように呟いた。すでにロマーリオさんたちが突撃したはずのビルを目指して、歩いていたけれど、その両目は少年が生き耐える路地裏に向けられていた。
「昔はリボーンが何だかんだで甘えさせてくれたんだけどな」
 それは、わかる。リボーンのやり方は、スパルタのようで……その実。
「ツナは、オレがダメなやつでも許してくれるか?」
「何を言ってるんですか。ディーノさんは最高のボスで、」
 少し躊躇ったけれど、言い切ることにした。
「部下がいないとダメな人で、オレの兄弟子でしょう。ウチでご飯ぼろぼろ零しながらメシくってたじゃないですか。今更、何がこようと驚きませんよ」
「そっか。じゃあ、これが終わったら、俺を慰めてくれるか? ツナ」
 込められたニュアンスがわからないほど、オレも子供じゃなくなった。
 頷くと、額に柔らかいものが押し付けられる。今度こそ正真正銘のキスだった。まるで共犯者の気分になりながら、キスが唇まで降りてくるのを待った。

 

 




>>>もどる

 

 

06.3.3