金色のカメレオンについての記述
「うん? ……ああ、おっけ。わかった」
空返事をして、青年は携帯電話の電源を切った。
街路樹がその背中にくっ付いている。天候は曇り、今にも降りだしそうな暗雲を見つめて最後には自分自身の前髪を見つめた。
縮れた金髪だ。これが珍しいのか、はたまた入れ墨を敬遠しているのか、駅から溢れ出た人という人がディーノを振り返った。
「…………遅いな」
新宿から二駅離れた場所を指定した。
ディーノは、樹の裏側に佇んだ男性に声をかける。彼は短い返事をして、数分も経たない内に歩き出した。
金髪の青年は、ジャケットの襟首についた毛皮の中へと顔を埋める。白い毛並みが、どんな動物のものかは気にしていない。綿毛のような甘さで鼻頭を撫でた。
(ジャッポーネか。いい国だな)
通り過ぎる人という人、すべてが豊かそうに見える。
青年は瞳を細くしならせた。
(でも出し渋るのはよくねえな。ジャッポーネって金持ちの国だろ? ああ、早くしねーとツナが着いちまう)
首を竦めたままで、ディーノはため息をついた。
白い息が綿毛の中に吸い込まれていく。携帯電話への着信を待つこと十分。すっかり全身は冷えていた。ディーノは唐突に小さくうめいた。
タイムアウトだった。賑やかな団体が駅から顔をだしている。
「あれー。おかしいな。ディーノさん来てるハズなのに」
「ツナ君、こっちじゃなくて西口なんじゃない?」
「そんなことないとは思うんだけど……」
集団の中心にいる少年が、不可思議そうに携帯電話を見つめている。ディーノは息を潜めた。すい、と、木の裏側へと足を使って回り込む。
そうしただけだった。金髪は少年たちから見えるところにあったし、彼の姿はまだ見える場所にある。青年は瞼でほとんど視界を覆い隠す。
しかし、そうするだけで、振り帰る人はほとんどいなくなった。
金髪は無色に、その身体は透明になったかのように往来の中に溶け込んでいた。ディーノは一言二言の謝罪を胸中だけで呟いた。
これが終われば。金さえ取れれば後は部下に任せちまうから。
口笛を吹いたような音色が唇を濡らす。
ディーノは空を見上げた。降りだしたのは、雨ではなく雪だった。俄かな歓声があたりから沸きあがる。その中から、少年たちの困惑を掬い上げてディーノは両目を閉じた。
視線を感じる。ただ一人のものだ。アイツだけは気がついているのだとディーノは脳裏で囁く。
顔面に触れる雪が体温を吸い上げる。吸い上げて、すぐに消えてしまう。金髪が濡れていくのを感じながら、ディーノは傘が増えた往来を見つめた。
「どうしようかな〜。なぁ、リボーン。ディーノさん一人でボーリング場まで来れるかな?」
「……部下が同行すンだろ」
「そうだけど。大丈夫かな。昨日、リボーンはいなかったけどディーノさん冷蔵庫の扉に顔面ぶつけて痛そうにしてたんだぞ」
「アイツは部下さえいりゃどーにかなるんだよ。気にするな。メールで連絡でもして、先行けよ」
「やっぱ、そうするかぁ」
やんややんやと各々が意見をあげる。
大方、一致だ。ディーノを置いていくと結論して、少年の一人が声をあげた。
「第一ですねえ、十代目がそこまで気にする必要ないんスよ!」
「あのオジさん、何気に上手そうだな。ボーリングとか」
「……部下がいないと自分がガーターに突っ込みそうだけどな」
(ああ。言えてるかも)
ごり、と、幹に後頭部を押し付けてディーノは両目を開けた。ちらりと振り帰る。案の定、発言者と目が合った。
リボーンはこくりと頷いてみせる。山本武の肩に乗っていた。俗にいう肩車の格好である。
一団が去るのとほぼ同時に、ディーノが携帯電を取り上げる。
沢田綱吉からのメールは公然と無視していた。
「捕まえたのか。どこにいたんだ?」
『ボス、舐められてますよ。西口にいやがった。ワザとです。……ッチ。イタリアンマフィアが何たるものかちっともわかってねえんだ』
「……そうか。どうした?」
『ヤキ入れました。いけなかったですか?』
「いや。構わねぇよ。今はどこに」
歩きだして、ディーノはもはや振り返らなかった。
それから一時間ほど後で、ディーノは適当な店で洋服を買い換えた。ジーンズとシャツ、ジャケット、一通りを揃えて駅前まで戻る。
「ボス。俺もいきますよ」
「いや、それ捨ててくわけにもいけねーだろ。持って帰ってくれ」
もとは綿毛のようだった毛皮が、血に汚れてパサパサになっていた。紙袋の中に突き入れたものの様子を想像して、ディーノは薄笑いを浮かべる。新品の洋服が、早速、雪に濡れだしていた。
「心配すンなよ。リボーンと合流だ」
「どうせ俺が帰ってもロマーリオさんが迎えに来ますよ」
「この心配性め、って伝えておいてくれや」
歯を見せて、おかしそうにディーノが首を竦める。
男は、苦笑のような奇妙な笑いを返した。一礼して、紙袋を下げたままで人波に消えていく。
見えなくなるまで見送って、若きボスは携帯電話を見つめた。液晶の画面を見つめて、数秒。沢田綱吉からのメールは短いもので、念のためにとボーリング場の電話番号が付けられていた。
(どうなんだろうなぁ。……オレの見た目、そんなに目立つかねえ)
人々が物珍しげに青年を振りかえる。
堂々と受け止めながら、ディーノは、堂々とボーリング場の電話番号を無視した。最初と同じように街路樹の一本に背中を預けて、沢田綱吉へと直接コールをかける。
『ディーノさん?!』
驚きながら、綱吉が応えた。
「おお。すまんすまん、西口と待ち合わせ場所間違えてた。さらにすまねーんだけど、迎えに来てもらっていいか? 今まで歩いてたんだけど、いくらやっても駅に戻ってきちまってさ。辿り付く前に夜になっちまいそうだ」
にこやかに語り掛けつつ、ポケットに手を入れる。初めて触れたそこは意外に暖かい。吐き出すたびに真っ白くなる息を見つめながら、通話を切った。綱吉が迎えにくるという。
少年は、十分もしない内に現れた。信号機の向こうから手を振って、一直線にディーノの元へと駆けてくる。
「ディーノさん! 大変でしたね」
「ああ。もう、くたくただぜ」
にへらと笑いつつ、ディーノは眉根を寄せた。
「すまねーな、わざわざ出てもらって」
「そんなこと、ないですけど」
どこか嬉しげに、綱吉。
その様子に気がついて、ディーノは薄く唇を開けた。僅かに間を挟んで、問いかける。軽薄な割りには深みのある声色だった。
「オレ、目立ってるか? すぐ見つけたみてーだけど」
「あっ。だって……ディーノさん、格好いいし、髪の毛の色が金だし。遠目でもすぐにわかっちゃいますよ」
「一目でオレがどこにいるかわかるのか?」
「わかりますよぉ」
テレながらも隣を歩く少年を、ディーノはまじまじと見つめる。やがて、笑った。
「ツナはかわいいなぁ」
「なっ。何言うんですか?!」
「いや、正直にだぜ? あー、可愛い弟弟子が持てて幸せだ。オレはお前の五年後が楽しみだよ」
「え……?」
「どんなボスになってるんだろうな」
達観したような笑みが目尻にまで広がる。
雪空を見上げる青年に、綱吉は不安げな眼差しを返した。それが物語ることは知っていると、胸中で呟いてディーノはツナを振りかえる。
「オレが教えてやれること……や、違うか。オレだけが教えてやれることっていっぱいあると思うぜ? ツナ。……そのままでいい。オレを信用しといてくれ」
「……ディーノさん?」
わずかに、不審がった声だ。
綱吉の歩幅が縮む。茶色い瞳を覗き込みながら、青年はニィッと朗らかに歯を見せつけた。
「オレもツナを信用する。つーわけで、ぼーりんぐってヤツのやり方教えてくれよ。球を転がしてビール瓶を割るんだっけか?」
「ビ……、ビールは使わないです」
少年は、口ごもった後で苦笑した。
「…………はは」
「なんだ?」
「イタリアにもボーリングありますよね? やらないんですか」
「んー。あんま記憶ねえなぁ」
はらはらと雪が降る。見つめながら、ふと、金髪がびしょ濡れになっていることに気がついた。
言ってみると、綱吉は目をしばたかせた。
「服はあんま濡れてなさそうなんですけどね」
ディーノは目尻を少しだけ持ち上げる。
彼はすぐにニコリとした。
「木の下にいたからな。雪の塊とかあったかも」
「ディーノさん」
頭を抱えて、綱吉が半眼をする。
なははは。笑いながら、ディーノは瞳を空へと向けた。
雲を透かし見るかのように、何度か大きく瞬きをする。
(勘はいいんだっけか)
(あれだなぁ。ツナがボスになるときには)
(しばらく俺の屋敷にいてもらうか。教えたいことは、いっぱいありやがるからな)
ボーリング場は駅の近くにある。何度か曲がりくねった道を通ったところで、綱吉が振りかえる。
前方に建物が見えた。看板に蛍光色のモールが巻きついていた。
「俺がいたときには一番成績良かったの山本だったんだけどな」
独りごとのように綱吉が呟く。ディーノは頷いた。
「アイツ、運動できそーな顔してるからな」
(ツナはボスに向いてそうな顔してるぜ、オレの見立てだと)それは胸に閉まっておく。ディーノは決めていた。まだ。まだ、悲しむだろうから。
おわり
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06.11.22