負背





 
 夕暮れのなかで目を開けた。
 揺れる背中に乗っていた。すべらかな髪に顔を埋めたままで、後頭部を見つめる。やや間を挟んでから、綱吉はバジルに背負われているのだと気がついた。
「あれ。オレ、どうなったんだっけ?」
「気を失われたのです」
 返答は早い。足を止めないまま、バジルが続けた。
「申しわけありません……。やはり、手加減をするべきでした」
「あー……。いや、君が気にすることじゃないよ」気にする必要があるとしたら、リボーンだ。綱吉は静かに胸中で呟くが、小さなヒットマンの姿はなかった。
 バジルに背負われ、気をやる間に下山は終えていた。
 見覚えのある住宅街が綱吉の視界に広がっていた。西の方角へ十分も歩けば並盛中学校が構えているはずである。綱吉は記憶を辿ろうとしたが、バジルの拳が目の前に迫ったところから先が、ひとつもカケラも思い出せなかった。
 ここで気絶したんだろう……。納得して、バジルの両肩に手をついた。
「ごめんね。重かっただろ」
「沢田殿、拙者にやらせてください」
 しかしバジルは綱吉の尻を抱え込んだ腕を、きつく擦り合わせて逃がそうとはしなかった。困惑に眉を顰める綱吉と同じく、バジルも、眉を擦り合わせて気まずげにしていた。
「拙者の責任です。それに沢田殿は足にお怪我があるでしょう」
「あ」バジルとやりあう前に、リボーンにどつかれて、そのときに負った傷があるのだ。足の裏にある切り傷である。
「不肖ながら、殴り飛ばした折に拝見しました。今はそのときではないと、気付かぬフリをしましたが……。かようなところを怪我されては満足な立ち回りもできないはず。拙者との勝負が、はじまるまえに、言ってくだされば応じておりました」
 押し殺した声だった。悔しげな焦りを滲ませて、バジルがうめく。
「ご無理をさせるつもりでは、ありませんでした」
「あー。バジル君……」
 顔を顰めて、情けない声をあげるのは綱吉だ。
 この真面目な少年は。責任を感じて、自分を背負っているのだ。
「ほんっっっとに気にしなくていいから。オレが恨んでるのはリボーンだよ!」
「リボーン殿をっ?」心底から驚いた顔が振りかえる。綱吉がギョッとするまにバジルがまくしたてた。
「すいません! お二人の信頼にヒビを入れるほどの――、それほど差し出がましいことをしていたとは、露も、気がつかずにっ」
「ああああのね、バジル君。君が思ってるほど――」
「なんと詫びればよいのか検討がつきません。申し訳ない!!」
「ぎゃあっ!」おぶったままでバジルが腰を折る。
 必死に背中にしがみついた。道路に頭から落ちるのは免れたが、今度はバジルがうめく番だ。綱吉が渾身のちからで抱きついたのは、バジルの背中ではなくクビだ。
「さ、だ殿……っ。死ねと……?!」
「へっ?!」首にまわした腕に、ゆるく、バジルが手のひらを重ねた。
「……拙者も男です。十代目であるあなたが、そう言うならば――」
「うわ、待て待て待て待て! 怒ってないから! 大丈夫、リボーンとオレはそれくらいじゃケンカしないから!」
 酷く違和感のある内容を叫んでる自覚はあったが、バジルがホッとしたように薄く息を吐き出したので、綱吉はこれでいいのだと思い込むことにした。
 夕日に照らされたバジルの髪の毛は、きらきら光って美しかった。
 バジルは、あくまで自分で担いで帰るのが最善だと思っているようだ。
 もはや抵抗する気がおきなかったが。担ぎ直されながら綱吉は訂正をした。このさい、おんぶなのは良いとしても、ひとつだけは直させたほうが良いと感じたからだ。
「あのなぁ」
「はい?」横目が綱吉を振りかえる。
 気恥ずかしさから、綱吉はぶっきらぼうに言い捨てた。
「本当にリボーンとオレがバジル君のせいでケンカしたとしても、それくらいで、死ねなんて言うわけないだろ」
 落ちていく夕日が一人の影を照らす。バジルが、目を丸くして立ち止まった。
 まじまじと見つめられると、冷や汗がふきでそうだと、綱吉が独りごちる。肌の内側がちりちりとしていた。間違ったことは言っていないが恥ずかしいことは言ったかもしれない、と、それを思うと顔から火がでそうだ。
「沢田殿――」
「あ、足が痛いかもっ。早く帰りたいなァ!」
 頬を引き攣らせたまま綱吉が顎をしゃくる。
 バジルはハイと威勢良く返事をした。背筋をピンとさせて、跳ねるように坂を駆け上っていく。何も走らなくても、と、胸中で呟く綱吉もよそにバジルは全力疾走だ。
「沢田殿!」と、バジルが叫んだのは、綱吉が家の戸をしめる直前だった。
「沢田殿のお心、お見逸れしました! 明日からは拙者、より一層の真心をこめて修行にお付き合い致します!」
「あ……、ああ、そう」
 熱の篭もった眼差しを受け止めきれずに、綱吉が後退る。
 バジルは、きっちりと九十度に腰を折って頭を下げた。そして、そのまま、先ほどと同じように全力疾走で走り去っていった。その背中がやたらに嬉しげだったので、綱吉は、バジルの顔が赤らんで見えたことを一瞬で忘れていた。
 なんて無邪気な少年だろうか。今まで、身の回りにいなかったタイプだ。
「オレより年下……か、同い年と思うんだけど」
 ウーンと唸って、綱吉は戸を閉めた。





 

 

 


おわり


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06.03.22