黒に視界が慣れた。白んでいく空を見ても闇が広がると感じた。
 月は、白い闇中に吸い込まれていく。
 また夜明けがくる。
 不意に思うことができて僕は手を止めた。悲鳴混じりの喘ぎは色をやわらげた。吐息が指に当たってどきりとした。
 彼の喉を握る。
 この喉があるから、彼が息をしているから、僕は誘惑される。
 今までの自分が壊される気がして殺意を覚える。はじめの数秒ばかりは突動かされて彼の首を本気で絞めるのが常だった。……彼が双眸をゆがめて僕を見上げる。それに性欲が刺激されて手を開く。これもまた常のこと。唇の重ねるだけの優しいキスは僕が忌み嫌うものだったが、こういうときは、やりたくなる。
 母親が子を慈しむように。ゆるく、儚げなタッチで浅く触れて離れてを繰り返すと、恋人同士になれた気分を味わえた。
 あとで後悔するとはわかっている。
 口中に苦味が沸いた。後悔の味だ。からい。
「沢田くん。僕のオッドアイが見えますか」
「みえない」
 下に敷いた少年はガラガラの声で言った。
 彼の両目は丸く開いている。明るい茶色も褪せて感じた。体力も気力も尽きたと見えたが、彼は瞬きだけは定期的に行った。人間はろくな作りをしていないとこういうときに思う。
「僕からは、君が見えますよ」
 愛したばかりの唇に指を添える。
 親指と人差し指とで乱暴に挟んだ。あごまで掴む。
 少年は僕を無視して独り言をいった。彼の思考はもはや傷んでいるようだった。
「まっ暗で……。なにも。わかんない」
「僕とベッドの上にいるんですよ」
「わかんない。痛い。もう、だ、め。いたいよ」
「そりゃあこれだけ犯されれば体中が痛くなるでしょうね」
 例外ではなかった。僕も。体の節々が痛い。
 笑いたくなった。
 この体が、腕が、指先が、性器にでも変わればいい。沢田綱吉の目も口も耳も孔になればいい。そうすれば僕らはもっと強く繋がっていられる。
 ゆるく動きを再開させれば綱吉が喉で泣いた。動物のような音で泣けるほどに彼の自我は崩壊していた。これが一晩の成果だと思うと征服感で心が満ちる。海底から浮上する高揚感に似ていて、薄笑いが声として室内に響いた。自分で聞いていても僕はどうしてこんな狂人の笑い方ができるのか不思議になる。狂っているんだろうか? 狂ったことがないから、狂ってしまえる人間の気持ちがわからない。
 闇がますます深くなる。暗がりが照らされて部屋が白く沈んでいく。その中で僕らは馬鹿みたいに昨夜から同じことを続けている。ゲスで野蛮な動物じみた行為を延々と強いられる彼の姿には興奮する。
「うあ。う」
 顔を横に向けたまま、眼を細くしている。沢田綱吉のそんな仕草には絶望がつきまとっている。目が見えないと、本人が言ったが、そんな症状で済んでいるならまだ浅いと思えた。僕の体に巣食った六道輪廻という名の毒素がもたらす不幸はそんなものではない。
「…………」
 僕の両眼はとうに見えていない。
 違うところから見ている。僕がすることは、霊視とか、一般にはいうだろう。
 朝日が足元を照らしている。触れた箇所がヒリヒリと疼く。沢田綱吉の躯をことさらにゆっくりと丁寧に撫で上げた。
「あと二日くらいで君は僕ナシじゃ生きていられない躯になりますよ。そうなっても、まだ、同情してるなんて言えるんですか?」
 胸を辿って、首筋に。のど仏に指を添える。
 ひっきりなしに打ち震えていた。悲鳴が故か、彼の生体が死んでいくが故の拒絶反応か。
 どっちでもいいと思った。
 白く光る朝の世界。そこにいると、僕は酷く乱暴な気分になる。
 夜の方が好きだ。黒い闇の方が好きだ。沢田綱吉も、どうせならこちらに来れば都合がいい――。どうせこの若いマフィアとは永い付き合いをする気でいる。
「沢田くん。痛いだけで済んでいるウチが幸福だと直にわかりますよ。その同情も憎悪もその頃にはどう変化するか、楽しみですね?」
「うぐ。あ。あ。か、え、……」
 綱吉が閉口と開口を交互にやった。
 やっとのことで絞りだされた声は思わず不憫に見えるほどに痛々しさに溢れていた。うつろな眼差しを彼方に投げて弱く呻く。
「かえ、り、たい。いえに」
 六道骸は目を見開かせている。遅れて、眼球周りの筋肉がそんな風に伸縮したのに驚いた。驚きの感覚はつい先ほどにもあった。
 胸が締めつけられた。何に嫉妬しているのかは、混乱による思考の攪乱にまぎれてわからなくなった。緊張した声がでた。
「そんな場所、君はもう持たないでしょう? わからないんですか? 取り返しのつかない事態が起きてるんですよ」
 もっと深く繋がらないと駄目だ。彼を汚染させるにはまだ足りないのかと暗い期待が躯を濡らす。下肢が大きく疼くのを感じた。
「綱吉……」
 あごを掴み、涙で汚れた顔をふり返らせる。
 僕は、他人と一緒に朝日を迎えたのははじめてなんですよと。伝えたかったが、途中でやめた。彼の頬をすべる涙を見たら間抜けのように思えたからだ。玩具に入れ込むなんて、何をしているのだろうか。僕は……。
 喉がつっかえる。代わりの言葉はすぐに思いついた。それを聞くと綱吉は苦悶で眉を寄せた。朝の闇があたりを照らす。楽しい宴を彩る白い世界がやってきた。
「楽には死なせてあげませんよ」

 

 

 

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