光覆の足跡 道のりの途中
3.
千種が深々とため息をついた。右手でヨハシカメラの紙袋をさげている。
窓の外は真っ暗で、テーブルには空いた缶詰が積み上げられていた。缶ジュースを脇において、少年が丁寧な仕草で軟骨を口まで引き上げていた。日本に来てから箸の使い方を覚えたのだが、犬はまだである。
手掴みで、汁気の多い肉塊をつまんでいた。千種がうなる。
「確かに夕食を用意してますけど……。どうして缶詰になるんですか。骸さま、料理は止めたんですか?」
「やめるも何も。理由がないならやりませんよ、あんな面倒くさいの」
悪びれの欠片もなく平然と、骸。千種が顔を覆った。
「ここのところ、毎日料理を作ってくださってたから油断した」
「そゆとこ、柿ピーもツメが甘ぁーいってか」
犬がペロリと指を舐める。
空いた缶詰を取り上げ、しかし千種はギョッと後退った。
「なんてもの食べてるんですかっ。クジラ?!」
「スーパーにあったんですよ。珍しいなと思いまして」
言葉を失う千種に構わず、奥から皿を引き寄せる。
「こっちが南蛮漬けで、こっちが大和煮です」
「む、骸さま。勘弁してください」
「? 千種?」
「それが西洋で育った人間の一般的な反応だと思うが」
ぼそり。呟いたのは、隅でフォークを握っていたリボーンだ。
彼自身は鯨肉を拒否してカップラーメンをすすっていた。骸が眉を顰める。
「生き物を殺したら肉の塊です。肉の塊っていったら、食べていいに決まってるじゃないですか」
「そーそー。ただの肉なんだから。喰っていいに決まってンじゃん」
骸が向かいの犬をハッとして見つめた。
「犬と同じ意見……!」
「へ? ちょ、骸さまァ?!」
「クジラはやめましょう」
「なっ! なんれれすか骸さーん!!」
「カップラーメンってまだありましたっけ」
叫ぶ犬を放置し、食器棚に隣接した物入れを漁る。
奥のほうで、ビニールに包まれて丸まる赤いラベルと緑のラベルが見えた。腕を伸ばせば、手元にクシャリとした布の感触。「千種、どっちが――」
見下ろした先にあったのは、灰色のエプロンだった。
用は終わった。適当に放り捨てた記憶はにわかにあった。山なりに笑うカバの真上で手をついていた。オッドアイが奇妙な色を宿して歪められる。よぎる記憶はついこの間のものだ。
去る間際に、少年から声をかけてきたのだった。
『……あのエプロン』
『おや。覚えていますか?』
『オレが選んだやつ、ですよね』
一ヶ月も経たない内に宣戦布告をした。その直前だったか、少し前だったか。
下校途中の綱吉を捕まえて買い物に付き合わせたのだ。食器やら日用品やらを選ぶためだったのだが。骸さんって料理は作ってもらうタイプですよね、と、綱吉は笑いながらエプロンを見つめたのだった。
『これしかありませんでしたから。君は、僕が選んであげたものをつけてくれないんですね』
『……そりゃ。つけられませんよ、あんなの』
『可愛らしいウサギさんでしたのに』
唇を笑わせる。本当に言いたいことはなんですか。
尋ねられて、綱吉は『負けませんから』とだけ答えたのだった。
「めちゃくちゃ負け続きのクセに、そーいうことを言うのって卑怯と思いませんかね」
赤いラベルを引き寄せる。焦げた匂いを感じた。肌の下で暗く煮えるようなもの。あの細い非力な体を踏みつけるだけでは飽き足らない。身体も心も総て引き裂いてやりたいと、陰鬱な囁きは妄想にすぎないのだが、その瞬間に骸の鼓膜はたしかに震えたのだ。身体総てが震えたのかもしれなかった。
行き着くのは友情だとでも。かつての囁きが響く。その裏で満ち溢れるものに鳥肌がたつ。
かぶりを振った。バンバンとテーブルを叩く音。犬だ。
「むっくろさ〜まっ。オレの分もお願いしまァす!」
「コンビニにでも走ったらどうですか?」
「ひっど! まだあるれしょ!」
「僕の目には見えませんね。千種、お湯を」
「ちょっと待ってください。買ったの部屋においてきます」
「変なところで律儀ですよねえ。家庭教師さんは……」
「オレを使うなバカが」
肩を竦め、席を立った。ヤカンを乗せてコンロに火をつける。
リボーンが屋敷に住むようになって一週間だ。ほとんど会話らしい会話はない。無造作にカップをゴミ箱に放り込みリボーンが去っていく。骸も犬も気にかけてはいなかった。ヤカンで熱湯がたぎる。目を細めた。
「ほら、犬。フタを線のトコまであけてください。グズグズしてないで」
これから先に起こる出来事は、このときには誰もが予測していなかった。
しかし。うっすらと。骸は、わずかな予感を視界に見付けていた。
終
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>>> 完結後のウェブ拍手小説でした
>>> 「光覆のあしあと」で拉致に至るまでの半年前エピソードです。
>>> (反転で↓につぶやき
このころから、綱吉さんの拉致を本格的に企みはじめるという。
きっかけはあってないようなものだったのかなーという 私見です。
一ヶ月くらい経つと 愛憎じみた言動が表にでるようになって、
綱吉さんに貞操の危機があったりでリボーンが(その方面においても)警戒しだすんだ!
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