micoto
花の命は短い。
それは誰でも知っている。
「…………。何言ってるんだよ?」
沢田綱吉は、草むらの中に這いつくばっていた。
夜の森は鎮まらない。風が収まらないからだ。下から吹きあげる風に殴られて、バサバサと大きく羽音をたてていた。実際、綱吉の両目には、舞い散る木の葉がトリの羽根に見えた。不吉なイメージだった。まるで、トリが墜落して――、羽根を散らしているようだ。
「いきなり、こんなところにつれてきて。何なんだ。乗っ取るつもり?」
パジャマの襟を両手で重ねて、綱吉は警戒して上半身を起こす。
下駄箱へのメッセージは数日前のものだ。指定された日時に、綱吉は、誰にもいわずに外にでた。待ち伏せしていた骸に連れ出されて今にいたる。約束は、大分違っていた。
「冗談だって……。思ってたのに、俺は!」
歯軋りをしつつ、ポケットから携帯電話をとりだす。
しゅるり、と、ゆるやかに音をたててツタが伸びた。綱吉が悲鳴をあげるあいだもなく、難なく、その手首ごと捻り挙げる。痛みに痙攣した指が、あっさりと拳を広げた。
落ちた携帯電話は他のツタが受け止める。
ツタは、風の発信源に立つ六道骸へと渡された。
「…………。そうですか?」
パチン。何気なく二つ折りの携帯電話を広げ、骸。
手早く操作を終えると、腕を抑えられた綱吉に向けて携帯電話の画面を見せつけた。
「なっ?! なに、アドレス全消去してんですか?!」
「邪魔でしょう。ハイ、返します」
にべもない言いようだ。
足元に投げ捨てられた携帯電話を見下ろしつつ、綱吉は膝をついた。ツタがしゅるしゅると包囲を狭める。綱吉の視界には、はっきりと、ぶるぶると震えている自らの両腕が見えた。
「何だよ……! 何のマネですか、これ!」
「大事な話があると伝えたでしょう?」
「話をする気ないだろ、アンタ!」
「…………」
シニカルに口角を歪めて、骸はかすかに目を伏せた。
「君がそういう態度なら一方的に話さざるを得ませんかもね。ボンゴレ、この蓮の群れがあなたにも見えるでしょう? それくらいに幻視のレベルを高めています」
「蓮なのか、やっぱり、それは」
風が辺りを殴ってまわる。
荒々しい夜だ、骸の足元を起点にして分厚い茎が幾重も伸びていた。辺りの木々、その幹を絡めとって一帯に花を咲かせている。だが、蓮の花はどれも異様な紅色をしていた。
紅色は、血の色によく似ている――。
「この蓮はまぼろしですが、しかし、僕は自然のサイクルに逆らおうとは思わない。一日で枯れるようにサイクルを編みこんであります。花の命はみじかいものでしょう?」
「それと、アンタと俺とがどんな関係にあるんですか!」
狙いを定めるかのように、ツタが綱吉の足元を這う。
内心では金きり声をあげていた。あげていたが、綱吉は出来うる限りの精一杯で骸を睨む。負けてやるもんか、と、六道骸と初めて戦ったときの気持ちが蘇っていた。
「よくわかんないけど――、アンタには負けない。乗っ取られるなんて冗談じゃないよ、骸。俺はここで負けるワケにはいかない」
「誰が、君を乗っ取るためにここに連れてきたと? 違いますよ。この場所は、君ではなく、僕が僕のために用意した儀式のための森です」
「儀式?」
骸が、面白がるように目を細めた。
綱吉の両肩が強張る。彼が何を面白がるか、それは、つまり綱吉の反応だ。挙動のひとつ、どんな些細な動揺も見逃さないとばかりに、骸のオッドアイが正面から射抜いてくる。月明かりは銀色の光になって、その瞳を照らしだす。そうすると、見知らぬ世界からきたかのように骸は異様な迫力を放つ。
自らのこころに鼓舞を投げかけて、綱吉は膝頭を強く握りしめた。骸の目を睨む。
「……くく、くふふ。ボンゴレは、かわいいですね」
「っ! ふ、ざけるなよな?!」
からかうように、スルリとツタが頬を一撫でした。
慌てて手の甲で拭う綱吉を見つめつつ、かすかに含み笑いをこぼしつつ骸が言う。
「僕は……死のうと思います」
綱吉には、一分が過ぎても何を言われたのか理解できなかった。
「気が付いていましたか? 僕の、この目は……輪廻転生のスキルを秘めている。つまり、この目をもったまま死ねば、また同じ魂で生き返ることができるということ」
舞い散る木の葉に視線を転じながら、骸は、実に気軽に言葉をつなげていく。
「この六道骸は、もう、だめだ……。呪縛が強すぎる。この器では世界大戦などできません」
「な、……に、なに。何だよ、えっ……?」
「処刑人に捕まった時点では、まだやり直しがきくかと思いましたが。もう、それも望みません。僕が。だから、死んでやり直すしかないと思いました」
先ほどまで綱吉の体を揺らしていた武者震いが止まった。
「や、やり直すって。人生を?」
「ええ。さようなら、ボンゴレ。その立会いになってもらうため、君を呼びました。千種と犬、それに凪では……役者として不足があるでしょうからね。それに、この六道骸と最も深く交流したのは君でしょう? クフフ。僕なりに、いままでお世話になったと思ってるのもホントですから。君を、選びました」
骸の口調には悲しむような響きがない。それどころか、陶酔した響きがある。
自らに対する陶酔、あるいは自らの運命に対する陶酔。誇り高い宣言であるかのように、骸は両腕を広げた。周囲に伸びたツタが、ぎしぎしと音を立てて木の幹を締め上げる。ツタはそうして木を殺す気でいるらしかった。蓮の花に散った紅色が、本物の血であることを綱吉はもはや疑わない。
「ふっ……ふざけてるの……?」
頭の中身がぐらぐらとする。
やっとのことで発した問いに、骸は真面目に答えようとしなかった。
「儀式を準備する段階で、君に立ち会ってもらうことも考えたんですけれどね。刺激が強すぎるのも考えものだと思いまして……、だって、ボンゴレはそういうことをヒトに話すでしょう? 千種たちと違って」
「…………。本気なの、か」
「もちろん」
「真面目に答えてよ。ありえないだろ、そんなの!」
「それは君のものさしに過ぎませんね」
くすくすとして、骸は自らの襟首に手をかけた。
ビッ、と、迷いもなく一直線に切れ目をつくる。弾けとんだボタンは草むらに呑まれた。いつか、霧の守護者として初めて現れたときとほとんど同じ服を着ていたが――ジャケットの下は、何もない。
上半身を曝けだすと、骸は片腕で蓮のひとつを千切り取った。
「今までも何度か死んだことはあるんですけど。さすがに、自分の幻覚で自分を絞め殺す経験ははじめてです……。今回ほど幻覚のスキルが高まったのが初めてですから――、恐らく、君が原因だと思うのですが。君の炎の能力とは相性がよかったようだ」
「……や、やめろよ……? 自殺なんて」
自失しかけたような掠れた声。
骸は、至極楽しげに唇を吊り上げた。
「ああ、君のそういう声。初めて聞きました。イイ声をしますね」
ヒッ。喉を引き攣らせて、綱吉は自らの両耳をふさいだ。即座にツタが伸びて、その両腕を絡め取って束ねた。両腕の肘が密着するほど強引で、ぐるぐると一本の棒のように雁字搦めにされる。苦痛の悲鳴とともに身を捩ったが、胸を反らしたままでついには固定された。
「ひ、ぐうっ……、……ッッ」
噛みしめた歯の隙間から、薄っすらと唾液がこぼれた。
刮目した綱吉の茶色い瞳。それを眺めつつ、自らの胸に蓮の血を塗りたくりつつ、骸が薄く笑い声をたてる。
「暴れすぎると腕が折れますよ。 せっかく、道連れにはしないであげているのに」
「……――――っ、っ、?!」
目眩がするほどの苦しさに耐えていた綱吉が、目を見開いた。
無理やり、首を動かして骸を見上げる。
「まっ……。さか。むくろ? その、蓮」
言葉がつまって、なかなか、発声ができない。綱吉は顎をがくがくと震わせ、限界まで両目を大きくさせていた。全身の血の気が引いている。
「誰の。その蓮の血、誰の……ものを」
「…………。置いていくわけにはいかないでしょう?」
小首を傾げて、骸は蓮を地に落とす。
彼の言葉と重なるかたちで、綱吉は悲鳴をあげていた。不自然な体勢からだったが、それでも、森中に響きわたるぐらいの大声だ。
血塗れになった自らの胸に片手を当てて、骸は笑顔でその様子を見守る。
やがて、慟哭が萎んだころに晴れやかに声をかけた。
「誇りに思いなさい、沢田綱吉。君は自分の大事にするものを全部守ったんですよ」
綱吉の全身が小刻みに痙攣している。首を仰け反らせながら、嗚咽を噛んでいた。ツタが伸びて、目尻を愛撫するように、顔面の汚れを拭うようにくすぐってくる。
しかし、最後の目的は別のところにあった。
後頭部を掴んで骸へと向き合わせる。真っ赤に腫らした瞳は、骸を一瞬だけ睨んだが、すぐに覇気を失って泣きだした。がくがくと全身が震える。
「……っか、ばかか、なっ……、守った?! 誰がなにを!」
「君が、世界を。どうぞ、残りの人生をご自由に。僕は死ぬ……、六道骸は死ぬ。あなたと同時期に生まれたこの世の人間全てが幸福だ。僕は呪縛が強すぎると言いましたね。この器では世界大戦はできないと言いましたね。つまり、そういうことです」
聞き終える前に、綱吉は強くかぶりを振っていた。やめろ、と、掠れた声。
「沢田綱吉くん。僕は、君には生きていてほしい……。だから、無理なんです。大人しく、退場してあげますよ。マフィアになるにしても、ならずに平凡な一生を送るにしても、この世界は破滅を迎えることなく存続する。おめでとうございます。君は僕には一度も負けてなかった。その、結果です」
「……、まっ……ま、て」
「さあ、沢田綱吉、口付けて」
傲慢な態度も崩しもせず、超越した物言いを変えることもなく、骸は綱吉の顔面に蓮をつきつけた。近づいたことにも綱吉は気が付かなかった。
涙で暮れた両目を見下ろして、骸はからかうように嘲った。
「君を僕のものにしようとも思いましたがね……。本当のことを言うと。でも、僕は君を生かしておける自信がなかったですから。いつかは必ず死に至らしめる。でも、僕は君に生きていてほしい……どんなことがあっても。だから、僕が死んであげることにした」
蓮の花弁が綱吉の鼻をくすぐる。
すすり泣く綱吉の前に膝をついて、骸は、もう一方の手を頬に触れさせた。
造形を確かめるように、二度ほど往復する。それから、感触を確かめるように、ゆっくりと指の腹を使って撫でた。やがて、骸の唇が恍惚にゆがむ。
「一回くらいは……犯してから死のうかと思ったりもしたんですけど……」
躊躇するような響きが混じる。綱吉は、両目を閉じて震えていた。
「……やはり無理ですね。その一回で、殺してしまいそうだ」
手が離れた。綱吉が目を開ける。
と、その瞬間を狙ったように骸が口付けた。
舌を僅かに擦り合わせただけで、すぐに止んだ。
間近にオッドアイがある。唇がふるえて、ろくな発声ができそうになかった。それでも綱吉は虚ろに声をだす。
「む……くろ……。あんた……」
「なんですか?」
にこ、と、骸が目尻を笑わせる。
「自殺はやめて」
新たな涙が頬を辿っていく。
骸は笑みを絶やさないままで首を傾げた。ジィと綱吉を見上げる。下から覗き込んでくるオッドアイに畏怖しながらも、綱吉は同じ言葉を繰り返した。今度は、骸は鼻で笑い飛ばした。
「それは社会的な慣例で言ってます? よく状況を考えてみたほうがいいのでは? ……殺されるところだったんですよ、沢田綱吉くん?」
綱吉の髪を指をくぐらせる。そのまま、手で梳かしながら、骸は鼻先をうなじへと潜り込ませた。堪えるような、強く抑圧した声色でうめき始める。
「正直、困りました……。僕は君が好きだ。どうしようもないくらい愛してるんだと思います。でも、僕は、君を本当に殺せる。食べてあげたい。その体……、君が愛しすぎて君が息をしてることすら許せない。精神異常とか狂人とかいくらでも僕のことを蔑んでいい。でも、僕は君が本当に」
…………。体が密着している綱吉でさえも、残りの言葉は聞こえなかった。
骸が体を離す。そうして、微かに微笑みながら蓮の花を前にだした。
自らの胸に擦り付けた紅色の蓮だ。近くでみると、なにか、赤黒い細かな塊がこびりついているのが見えた。綱吉の目尻に新たな涙が浮かび、全身に震えが走る。
にこやかに骸が告げた。
「これが僕の心臓です」
「……や、めて。めて……。死ぬ、のは」
「……まあ、それが君のスタンスなんでしょうね。いいと思いますよ。相手が僕でなければ」
「骸。やめてっ……、俺、こんなのっっ、耐えられない!!!」
ようやく、声らしい声がでた。骸はしばし綱吉の唇を見つめた。
「――ええ。沢田綱吉ならばそういうだろうと思って、ちゃんと考えています。ねえ。ツナ、って、みんなは君のことをそういいますね。ツナ。沢田綱吉。慈悲深い我らのボンゴレ十代目。さて、僕は今から死にますが、それは真実でしょうか虚偽でしょうか?」
「…………っえ?」
「あとに残る六道骸は、はたして、本物であるか僕が残した幻影であるか、どちらでしょう……?」
言葉尻を語るころには、骸は目を伏せていた。信じられないように目を見開かせて、綱吉は彼の目線を辿ろうとする。だが、意図的に避けるかのように骸は目線を持ち上げない。
「さようなら、沢田綱吉」
すばやく、片手で蓮を握りつぶす。
低い呻き声が骸の口をついた。今までに聞いたことがないほど、苦しげで、先ほどまでの貫禄はない。綱吉にもたれかかる形で、ずるずると地面に沈んでいく。握りつぶした数秒後に全ての幻覚が消えた。自由になった両腕で骸を支えようとして――、しかし、触ることができずに、綱吉は広げた両手に何も掴まないままで戦慄いていた。
あまりに、あっけなかった。骸は事切れていた。
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「じゃ、今日は解散だそーですー!」
間延びした宣言は、ハルによるものだった。
ボンゴレ集会と名付けられた集まりには毎回十人ばかりの若者が集まる。いずれはマフィアのボスの護衛に教育するため、ファミリーの一員としての自覚を持つため……、主催者リボーンの思惑はどうあれ、年若い少年少女には楽しめる集まりだった。
「はひぃ……。つっかれましたァ。ドッジボールってハルすごい久しぶりにやりました!」
「ウン、そうだよね。小学生だったころはよくやったんだけどなぁ。授業で」
ハルの隣で、京子が相槌をうつ。獄寺隼人が、ドッジボールを持ったまま走り出した。鞠球のように跳ねて逃げまわるランボを狙っている。
綱吉は、その一団とは離れたところにいた。
半そでのパーカーで、首にタオルをかけている。
「なんですか?」
「…………」
まじまじと六道骸の全身を見つめる。
かつて、霧の守護者としてはじめて現れたときと同じ格好。
この服は、ないはず……。ずぐん、と、全身が震えるくらいの頭痛で思考が止まりかける。綱吉は耐えた。その場に留まっていられず、逃げた。二日ほど置いてひとりで戻ってくると、そこには死体もなく――それどころか、何事もなかったかのように木々がたっぷりと葉をつけていた。どの樹木も、ハダカになりかけていたはずだった。
あの時の記憶はある。しかし、目にうつる光景は、すべてそれを否定していた。
「? 用が無いならよばないでください」
タオルで汗を吹きつつ、骸。
いつもと同じ。綱吉はジッと見上げる。
あの日以来、意識して骸と接触するのを避けていた。骸が生きているらしい、と、周囲の言動から読みとれていたが……会うのだけは恐ろしかった。今朝、何食わぬ顔でやってきた骸に綱吉は腰を抜かした。さらには、逃げられなかったことを悔いた。
「この前の、あれ……。弁明は?」
「ああ。アレですか? 嫌だな、本気にしたんですか? 僕があの程度で死のうと思うわけないでしょう」
目の前に立たれるだけでも脂汗が滲みだす。綱吉は、微かな声で問いかけた。
「……千種さんとか、犬とか凪ちゃんは……?」
「イタリアに帰しましたよ」
「なんで?」
「凪の治療をする為に。いつまでもニセの臓器を使うわけにはいきません」
「へえ……。そうなん……だ」
骸のオッドアイはどこまでも静かだった。
感情めいたものは見せず、軽く片手をあげて会釈をする。
「もういいですね? ツナ君。先日はからかってすいませんでした。では」
背中を見送りつつ、タオルを手繰り寄せて唇をふさいだ。
吐き気と目眩が、怒涛のいきおいで全身をおかす。途方に暮れている、とは、こんな気分を指すのだろうか? 綱吉にはこの頃、何がなんだかわからないと思うことが多々あった。
真実でしょうか虚偽でしょうか?
己が自ら口付けた唇を眺めつつ、骸は言った。
あれは……、目の前のこれは、最後のやさしさだとでもいうのだろうか。これが? 目の前がくらくらとする。綱吉は、膝をつくのを辛うじて堪えた。油断をすると、涙がこみあげそうだ。
「…………。俺は……きらいだよ。骸」
確かめる手段はある。綱吉は未だに骸との出来事を誰にも相談していない。
話すこと事態が恐ろしい。思いだすこと事態が恐ろしい。何よりも、真実か虚偽か――、どちらでも。タオルで両目を強く拭いて、みんなのもとへと走った。どちらであっても恐ろしかったから、綱吉は明確な答えが欲しくない。骸は、極めて鋭い指摘をした。
「みんなっ。この後、うちにくるの?」
公園の大地に陽光が当たる。乱反射のために両目が焼かれる。 ひとりだけで、公園を去る背中は、もうどこにも見えなくなっていた。
おわり
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07.01.17